娘はもう小学1年生。
学校も楽しいようで、毎日元気に登校している。先日授業参観にも行ったが、確かに楽しそうだった。
親の俺が言うのも何だが、娘はちょっと変わってると思う。世界に一つだけの花理論みたいなきれいごとではなくて、ちょっと変わってる。いつも空想話をして、空気が読めず、いきなり踊りだしたり、ちんぷんかんぷんな発言ばかりしている。動きもフニャフニャバタバタしてどこかおかしい。昔風に言えばトットちゃん、今風に言えば軽度の発達障害の気がある。
客観的に見るとふざけてるように見えたり、ひどくだらしなく見えたり、あるいはものすごく身勝手に見えることが多い。実際、行動はその通りだから、そうだと言われても否定は難しい。
だけど本人は、むしろいつでも至って真面目で、いろいろ考えて「きちんとしよう」と思っていて、そう考えれば考えるほど、子どもならではの知識の不完全さも手伝ってちぐはぐでおかしな行動をとってしまう。
親として見れば、ちょっと心配になるところもあるにはあるが、まあ微笑ましいものだ。なにせ本人はいつも至って大真面目なのだし。多少の空回りは健気にも見えてむしろ愛おしい。
学校でも、先生はおそらくよく配慮してくれてるのだと思う。よく出来たことは誉めてくれる一方で、きちんと出来ないことについて、注意はしても必要以上に責めたり罰を与えたりはしていない。ありがたくて、頭が下がる。
友達もちゃんといるようで。
・・・そうやって、不器用ながらアレコレ一生懸命な(傍から見たらサボってだらけてるように見えることもしばしばだろうが、本人としてはだいぶ頑張ってると思う)娘と、それをサポートしてくれてる先生、違和感なく接してくれている級友を見て、安心したり嬉しく思ったりする時に、一方でふと寂しく思うことがある。
いや。正直に言って、泣きたくなるほど悲しい気持ちがこみ上げることがある。
何で、俺の時にはそうじゃなかったんだと。
何で、俺が期待に胸を膨らませて小学校に入った時には、先生は俺を教室から追い出したのかと(俺の机は一時期廊下にあった)。
毎日男子とケンカして負けて、女子にはばい菌みたいに疎まれて、なのに先生すら味方にはなってくれなかった。俺は余りにも視野が狭く、自分が疎まれていることにすら気付けなかったから、先生のことは好きで、クラスの皆は友達だと思っていて、だけどあちらはそう思ってくれてはいなかった。気付けてなかったから悲しくはなかったが、いつも違和感があったし、やはり、どこか苦しいものはあった。
唯一、隣の隣のクラスのおばさん先生(いや、お姉さんだったのかも知れない)は、廊下で会うといつも声をかけてくれたり時には頭を撫でてくれて、幼心に「何なんだ」と思っていたけど・・・後から考えてみれば、俺の待遇を憐れんでくれていたのだろう。
その後、教師には「影がある」と言われ、女子には「根暗」と言われるようになった自分の性格を、その原体験に責任転嫁する気はない。たぶん、自分には元からそういう二面性がある。多弁で楽観的な部分と、寡黙で悲観的な部分と。
だから、幼いころの俺を義務教育の場で率先してクラスから弾き出すようなことをした若い先生を、今でも恨んではいない。それが、仮に俺の上履きがボットン便所に落ちていたり算数セットが消失したり、給食に雑巾が投げ込まれたりという日常を助長していたのだとしても、恨んだりはしていない。俺はどちらにしろ、自分で活路をひらいて、それなりに十分な稼ぎも得て、こうして愛すべき娘もいるのだから、かつての自分の境遇やそれに関わる人々に、感謝はしてもよいが恨みをもつことはないし、実際そんな気持ちはないのだ。
だけどふと、エキセントリックな娘にかつての自分を重ねる時に、寂しい気持ちになることがある。
妬ましいわけではない。ただ、戻ることのないかつての時間、疎まれながら過ごしていた幼い自分が少し不憫に思えるだけだ。良かれと思ったこと、頑張ったこと、出来たと思ったことが軒並み裏目に出て罰や嘲笑の的になっている少年の姿が哀しくて切なくて、少し泣きたいような気持ちになることがあるだけだ。
・・・まあ、そんなこんなを乗り越えたおっさんだから泣きやしないけど。
教育の現場にも未だいろいろ問題はある、政治にも社会にも、闇も病もある。だけど、それでも世の中は少しずつ良くなっているんだ、と思う・・・少なくとも娘が受け入れて貰えるような背景というのは、ここ10年ほどで大分進歩したのだろうし。
そう思えば、やはりそれは嬉しいことでもある。それが実感できるのは、楽しいことだ。
2015年9月16日水曜日
2010年6月20日日曜日
ヘッドハンティングというのは実在の事象なのか?
最近、仕事が忙しい。
一日中パソコンをいじっているのにも関わらずネットのニュースすらまったく見ない日が続いている。そのためもあり他の事情もあり、休日は何とか休んでいるが遊びに行く余力がない。
さて、そのように仕事が忙しいので、仕事のメールすらまともに読んでいない日々であった。…忙しいから仕事のメールも読まない、というのはおかしな感じだが、俺が現在進めているプロジェクトはそういう進め方が出来る性質であり、俺は集中している時にくだらない会議に呼ばれたりくだらない質問に答えさせられたりするのは嫌いなのでそうしている。
とは言え、ずっとそんなことを続けていればもちろん職務上の問題が生じるので、先日、仕出しの弁当を自席で食いながら数日分のメールに目を通していたところ、面白いものを発見した。
えーと、タイトルは忘れたが、とにかく、「いきなりですがビッグなプロジェクトをご用意しておりますから一度面接に来てください」的な内容。
この手のものは以前にも数回見ており、また凝ったスパムだなと思ったが、数日後に同じところから再度メールが、今度は違う文面で来ていた。
これまた凝ったスパムだこと、と思いながらも目を通すと、しかし住所や企業情報はちゃんと書いてあるし、その通りのサイトもある程度まともなものが存在しており、しかも俺の実名を名指しで来ているし、俺の職務内容を知っているかのような文面でもある。
…まさか、本物なのか?ヘッドハンターなどというのは、モンスターハンターと同じく架空のジョブだと思っていたのだが。
とは言えだ。
俺の実名でネットを検索すると、過去の俺の善行の数々のうちいくつかが確認できるので、そのくらいのことで「本当に俺を知っていてメールを書いている」などと断じることは早計だ。それにしても、俺の実名を知っていないでその情報に辿りつくのは面倒な筈なので、凝ったスパムにしては効率が悪過ぎるが…。
ただ、仮にスパムで無かったとしても、俺の実績であてがわれるようなビッグプロジェクト、「ふさわしいポスト」などというのはたかが知れている。少なくともエグゼグティブではなかろうし。そうであっても余計に困るけど。
ま、いずれにしても、今は俺は自分の仕事(というより作業)が面白いと感じているし、やっていること相応の報酬はもらってると思っているし、「これは俺の能力を活かしきれない」などとは思っておらず、むしろ、「俺の能力で果たして足りるのか?」と毎日冷や汗ものなので、スパムか本物か、返事をすべきかどうかと悩む必要はないのである。
ちなみに、これは単純に自分に自信がないという意味ではない。俺は自分は少なくとも直接周囲に見えている連中よりは「出来る」と、半ば自己暗示的な確信を持って仕事にあたっているし、1日に10回くらい「やっぱり俺ってすげえ、クールだわ」と声に出して感嘆しつつ、同じくらいの回数の不安に襲われているという意味であり、つまりゲーム難易度的には一番面白い線だということである。である。
そう思って、周囲の席の連中に「俺、ヘッドハンティングされたぜ!」と自慢だけしてさっさと仕事に戻ったのだった。
が、今、風呂入って寝る前に一息ついていたら、ふとまた、アレって結局なんなんだろ?と思い、このように語ってみた次第。
ま、もうどうでもいいけどね。
こういうモヤモヤしたものは、ブログに独り言を吐き出すくらいの対処でスッキリしてしまうものだから。
2009年4月16日木曜日
アルジャーノンに花束を。そして俺にも。
「アルジャーノンに花束を」は、言わずと知れた名作だと思っている。
高校生の頃に図書室で読んだのが最初で、その後にも読んだ気がするが、今また、読んでいる。
ま、通勤電車の中で、ここのところ仕事寄りの本ばかり読んでいたから息抜きにと思って。この本、よいと思うのに何か忌避する感覚もあって、買ってからしば らく放置してたのだが、読み始めるとやはり、何と言うか、特に今、最初の方の1/3くらいを読んだところだが、10ページ毎に目頭が熱くなるのを感じ、通 勤向けではないなあ、と思いつつ読み進めている。
有名な話だからあらすじは書かない。知らなくて気になるなら、買え。
「りこうになりたい」と切に願う、白痴の32歳、チャーリィ・ゴードン。大学の実験に協力することで68のIQを人並み以上に上昇させるが…
知らなければよかったこと。
わからなければよかったこと。
気づかなければよかったこと。
知識は、知能は、教養は、願っていたような幸せだけを与えてくれるものではなかった。
それは楔となって、人と人との間を穿つ。
…ああ、あらすじ書いてしまった。
それにしても、この話は本当に、何か切実に共感?を感じてしまい、切なくなる。
なぜか?
わからないけど、もしかしたら関係があるのかも知れない自分の記憶。ささやかでショボい幼き日の武勇伝を思い出す。
俺は、幼児の頃、髪の毛と言葉の発達が遅く、この2つについては諦めた方がいいと、親は医者に言われたそうである。
就学前の知能検査では赤点ギリギリ(セーフかアウトか不明)の低空飛行だったらしく、親は通常の就学について検討を要請されたそうである。というか、それは俺自身も覚えている。
結局、普通の小学校に入学したが、「特殊学級」への勧誘を何度となく受けたことも覚えている。体験受講?もした。
この時は、”クラス替え”は嫌だし、なぜ答えのわかりきった質問ばかりされるのかと思った。紙にいろんな図形が書いてあり、これは何?とか聞かれ、三角に決まっているだろう…と思いつつ、そこまで単純なことを聞かれるはずもないと考え、「二等辺三角形」と答えたことを覚えている(俺は二年生だったが、校庭で拾った4年生のテスト用紙を見て、覚えていた。これは自慢)。乗り物とかの絵の時は、「くるま」と答えるべきか、「じどうしゃ」と答えるべきか、あるいは家で親父が言っている(はっちばっく)とか(せだん)とか言うような言葉で答えるべきか迷ったが、それらの言葉の意味も正しい発音も不明だったので、散々迷ってから「…じどうしゃ」と答えた。
判定結果は、通常の授業を受けながら週に数回、そっちの教室にも来るようにだったはずで、数回は行った。
当時、バレンタインデーというものは今以上に流行だったのか、7、8歳の女の子さえ、学校でチョコを大盤振る舞いだった。
きっとそこに恋心はほとんど介在して いなかったのだろうと思えるが、クラスで、1つもチョコを貰えなかったのは俺だけであった。余ったチョコを「誰か欲しいひとー」と言っている女の子に、当 時まだ傷つくことを恐れない勇猛果敢な少年だった俺は「はい!」と元気に返事したが、「お前は嫌いだから嫌だ」と正面切って断られたことは今も覚えてい る。
相手の顔は忘れたが、俺一人だけがもらえない、つまりどうやら俺は1番の嫌われ者なんだと、突然自覚させられた日だ。
…俺は自分で言うのもなんだが、クラスで一番というほどの不細工ではないと思ったのに。なぜに、明確に俺だけ拒否されたんだろう。
…あ。今、突然に思いついた。もしかして、「特殊学級通い」だったからか。クラスで、”明確に俺一人だけが持っていた属性”ってのはそれしかない気がする。…これ正解だったら、今更ながら悲しいな。
カタカナを習う授業の日、他の子達は幼稚園だかで習っていたためか既に読めていて、先生は1時間だけで50文字を教えやがった。俺は、幼稚園など行っておらず、その日初めてカタカ ナを習うはずだったのに教科書を忘れて、教室の後ろに立たされていて、しかも、後ろを向かされていた。
このままでは読めなくなる。まずい。
そう思い、先生 の隙を付いて黒板を盗み見ようとしていたが、隣で同じく立たされていた中島君の貧乏ゆすりがムカついて、殴ってやったら喧嘩になり、俺は結局カタカナを覚 えることに失敗した。リカバリーには結構な時間を要した。ひどい先生だったな。
ちなみに中島君にも負けた。
算数の授業中に挙手して「麦茶が飲みたいです」と発言したことがある。何か意見がある人、ってなことで、「今の授業に関して」と限定されていなかったからいいのだろうと思って。ああ、これではさながら…。
1時間、大声で車掌の真似を続けたこともある。おかげで、俺の席は一定期間、教室の 外(廊下)にされた。授業なんかこれっぽっちも見えねえから、ノートにガンダムを書くことにだけ集中することにした。ひどい先生だったな、やっぱ。
…ちなみに、テスト用紙にザクを書いて提出したこともある。
あ、思い出したが、車掌の真似は俺一人がやったんじゃないのに。なんで俺だけ外になったんだ?背中に「僕は授業を聞けません」みたいな紙まで貼られて。
イジメじゃねえかよ。酷いなおい。
小学校2年の終業式の日、掛け算九九が1の段しか言えなかったので、居残りで補習?を受けさせられたのは明確に覚えている。
通知表には、各科目には「遅れている」という評価が並んでいた。図画工作だけは最高評価だったけどな。って、それではさながら裸の大将じゃないか。残念ながら俺には超絶な記憶力などないが。
ノロノロと給食を食っていると、皿に濡れ雑巾を投げ込まれた覚えが一度ならずある。
仲がいいつもりでいた友達グループが、俺以外だけで楽しい企みをして秘密を共有していることを知ったことがある。
自由に班分けをすると、大抵は余り組になる。
俺の額には、大きな傷がある。脳の手術を受けたわけじゃないけどな。ただの怪我だ。
怪我をしたのは8歳の時だ。額を、24針縫った。
8歳、つまり小学二年まで、「遅れている」一辺倒だった俺の通知表だが。
小学三年の最初の通知表では、「5」が並び、成績優秀ということで委員長など任命された。塾とか行ったわけじゃないし、何の反省をしたわけじゃないが、突然に成績は上がった。
それに連動してかどうか、チョコレートはたくさん手に入るようになった。一時的にだが。
しかし先生に、成績が良くても目付きがダメだから社会に出ればダメ人間だと言われたことがある。10歳で。
ま、俺の場合、「頭に傷を負ってネジが嵌ったんだ」なんて冗談もあったものの、実際のところは、性格が若干アレな上に保育園や幼稚園に行かず、家でも学習せずに小学校に入ったせいで初っ端に出遅れ、3年目くらいで本来のポテンシャルが発揮できた(つっても、普通の公立小学校の”成績優秀”だから、大学進学希望者的には並程度ですよ、念のため。)だけなんだと思ってるが…。
それでも、ささやかながら、「知恵遅れ(気味)」→「学業優秀」という周囲の評価の転換を経験しているし、それを記憶しているので、ことさらにこの本の主人公に共感を覚えてしまう。
もちろん、俺の方の知能は、チャーリィと違って誰もついて来れない領域まで上がったりはしなかったから(当たり前だ)、天才の孤独を知るには至らなかったが。ああ、でも単に性格が悪くて孤独というのはあったか。
ほんとにまあ、戯れ言ですけどね。
高校生の頃に図書室で読んだのが最初で、その後にも読んだ気がするが、今また、読んでいる。
ま、通勤電車の中で、ここのところ仕事寄りの本ばかり読んでいたから息抜きにと思って。この本、よいと思うのに何か忌避する感覚もあって、買ってからしば らく放置してたのだが、読み始めるとやはり、何と言うか、特に今、最初の方の1/3くらいを読んだところだが、10ページ毎に目頭が熱くなるのを感じ、通 勤向けではないなあ、と思いつつ読み進めている。
有名な話だからあらすじは書かない。知らなくて気になるなら、買え。
「りこうになりたい」と切に願う、白痴の32歳、チャーリィ・ゴードン。大学の実験に協力することで68のIQを人並み以上に上昇させるが…
知らなければよかったこと。
わからなければよかったこと。
気づかなければよかったこと。
知識は、知能は、教養は、願っていたような幸せだけを与えてくれるものではなかった。
それは楔となって、人と人との間を穿つ。
…ああ、あらすじ書いてしまった。
それにしても、この話は本当に、何か切実に共感?を感じてしまい、切なくなる。
なぜか?
わからないけど、もしかしたら関係があるのかも知れない自分の記憶。ささやかでショボい幼き日の武勇伝を思い出す。
俺は、幼児の頃、髪の毛と言葉の発達が遅く、この2つについては諦めた方がいいと、親は医者に言われたそうである。
就学前の知能検査では赤点ギリギリ(セーフかアウトか不明)の低空飛行だったらしく、親は通常の就学について検討を要請されたそうである。というか、それは俺自身も覚えている。
結局、普通の小学校に入学したが、「特殊学級」への勧誘を何度となく受けたことも覚えている。体験受講?もした。
この時は、”クラス替え”は嫌だし、なぜ答えのわかりきった質問ばかりされるのかと思った。紙にいろんな図形が書いてあり、これは何?とか聞かれ、三角に決まっているだろう…と思いつつ、そこまで単純なことを聞かれるはずもないと考え、「二等辺三角形」と答えたことを覚えている(俺は二年生だったが、校庭で拾った4年生のテスト用紙を見て、覚えていた。これは自慢)。乗り物とかの絵の時は、「くるま」と答えるべきか、「じどうしゃ」と答えるべきか、あるいは家で親父が言っている(はっちばっく)とか(せだん)とか言うような言葉で答えるべきか迷ったが、それらの言葉の意味も正しい発音も不明だったので、散々迷ってから「…じどうしゃ」と答えた。
判定結果は、通常の授業を受けながら週に数回、そっちの教室にも来るようにだったはずで、数回は行った。
当時、バレンタインデーというものは今以上に流行だったのか、7、8歳の女の子さえ、学校でチョコを大盤振る舞いだった。
きっとそこに恋心はほとんど介在して いなかったのだろうと思えるが、クラスで、1つもチョコを貰えなかったのは俺だけであった。余ったチョコを「誰か欲しいひとー」と言っている女の子に、当 時まだ傷つくことを恐れない勇猛果敢な少年だった俺は「はい!」と元気に返事したが、「お前は嫌いだから嫌だ」と正面切って断られたことは今も覚えてい る。
相手の顔は忘れたが、俺一人だけがもらえない、つまりどうやら俺は1番の嫌われ者なんだと、突然自覚させられた日だ。
…俺は自分で言うのもなんだが、クラスで一番というほどの不細工ではないと思ったのに。なぜに、明確に俺だけ拒否されたんだろう。
…あ。今、突然に思いついた。もしかして、「特殊学級通い」だったからか。クラスで、”明確に俺一人だけが持っていた属性”ってのはそれしかない気がする。…これ正解だったら、今更ながら悲しいな。
カタカナを習う授業の日、他の子達は幼稚園だかで習っていたためか既に読めていて、先生は1時間だけで50文字を教えやがった。俺は、幼稚園など行っておらず、その日初めてカタカ ナを習うはずだったのに教科書を忘れて、教室の後ろに立たされていて、しかも、後ろを向かされていた。
このままでは読めなくなる。まずい。
そう思い、先生 の隙を付いて黒板を盗み見ようとしていたが、隣で同じく立たされていた中島君の貧乏ゆすりがムカついて、殴ってやったら喧嘩になり、俺は結局カタカナを覚 えることに失敗した。リカバリーには結構な時間を要した。ひどい先生だったな。
ちなみに中島君にも負けた。
算数の授業中に挙手して「麦茶が飲みたいです」と発言したことがある。何か意見がある人、ってなことで、「今の授業に関して」と限定されていなかったからいいのだろうと思って。ああ、これではさながら…。
1時間、大声で車掌の真似を続けたこともある。おかげで、俺の席は一定期間、教室の 外(廊下)にされた。授業なんかこれっぽっちも見えねえから、ノートにガンダムを書くことにだけ集中することにした。ひどい先生だったな、やっぱ。
…ちなみに、テスト用紙にザクを書いて提出したこともある。
あ、思い出したが、車掌の真似は俺一人がやったんじゃないのに。なんで俺だけ外になったんだ?背中に「僕は授業を聞けません」みたいな紙まで貼られて。
イジメじゃねえかよ。酷いなおい。
小学校2年の終業式の日、掛け算九九が1の段しか言えなかったので、居残りで補習?を受けさせられたのは明確に覚えている。
通知表には、各科目には「遅れている」という評価が並んでいた。図画工作だけは最高評価だったけどな。って、それではさながら裸の大将じゃないか。残念ながら俺には超絶な記憶力などないが。
ノロノロと給食を食っていると、皿に濡れ雑巾を投げ込まれた覚えが一度ならずある。
仲がいいつもりでいた友達グループが、俺以外だけで楽しい企みをして秘密を共有していることを知ったことがある。
自由に班分けをすると、大抵は余り組になる。
俺の額には、大きな傷がある。脳の手術を受けたわけじゃないけどな。ただの怪我だ。
怪我をしたのは8歳の時だ。額を、24針縫った。
8歳、つまり小学二年まで、「遅れている」一辺倒だった俺の通知表だが。
小学三年の最初の通知表では、「5」が並び、成績優秀ということで委員長など任命された。塾とか行ったわけじゃないし、何の反省をしたわけじゃないが、突然に成績は上がった。
それに連動してかどうか、チョコレートはたくさん手に入るようになった。一時的にだが。
しかし先生に、成績が良くても目付きがダメだから社会に出ればダメ人間だと言われたことがある。10歳で。
ま、俺の場合、「頭に傷を負ってネジが嵌ったんだ」なんて冗談もあったものの、実際のところは、性格が若干アレな上に保育園や幼稚園に行かず、家でも学習せずに小学校に入ったせいで初っ端に出遅れ、3年目くらいで本来のポテンシャルが発揮できた(つっても、普通の公立小学校の”成績優秀”だから、大学進学希望者的には並程度ですよ、念のため。)だけなんだと思ってるが…。
それでも、ささやかながら、「知恵遅れ(気味)」→「学業優秀」という周囲の評価の転換を経験しているし、それを記憶しているので、ことさらにこの本の主人公に共感を覚えてしまう。
もちろん、俺の方の知能は、チャーリィと違って誰もついて来れない領域まで上がったりはしなかったから(当たり前だ)、天才の孤独を知るには至らなかったが。ああ、でも単に性格が悪くて孤独というのはあったか。
ほんとにまあ、戯れ言ですけどね。
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