ハッカーと画家、という本がある。
数年前に読んで非常に面白かったのだが、最近ふと思い立って、再度読んでいる。ま、通勤電車内でも気の向いた時、iPhoneでのゲームの合間などにちょこちょこと。
最初の方の、ナードの分析(著者の自己分析)も非常に面白いというか、そうだよなあ…と頷かされると言うかだし、その他にも面白いことがたくさん書いてある。
最近流行りのビジネス書なんかが実にバカバカしく思えるような、「それ言っちゃオシマイだけどその通り」みたいな話が多くて、こういうのばかり読んでると会社の上司というか管理職の方々と真面目な顔してお話できなくなってしまうと心配になるくらいだ。
今度時間がある時に、気に入った名言をいくつか引用でもしてみようと思うのだが、とりあえず一つ、とても気に入ったものの見方を紹介しておく。
曰く、
流行の本質は、それが流行だとは誰も思っていないという点にある、
とか何とか。
いま手元に本が無いので、そのままの引用ではないが意味は合ってるはずだ。
これは、俺も昔から思っていたことだが、まあ奇麗な一文にまとめてくれたものだと。
ここからは俺の回想を述べる。
小学校高学年くらいの頃、ケミカルウォッシュのボンタンジーンズ(足首は非常にスリムなのだが、2タックとかの)が流行っていた。そう、まさに流行っていた。
で、社会の教科書か何かで70年代頃の若者の写真が載っていて(ただ写真が古かっただけで、若者の服飾文化云々という話ではなかった)、それを見て俺は大いに笑い転げていたのだ。
…ナニこのジーパン、ベルボトムっての?昔はよくこんなの穿いてたよな。だって変だよ、なんで膝細くて裾がやたら太いのさ!
中学はスリム/ボンタン全盛期にあたり、そのまま過ごした。高校生になった時も、そういう形の改造制服(実際は改造じゃなくて、そういう店で買って来るだけなのだが)を着用していた。
ところが、高校3年になった頃だったか。どうもこの、スリムズボンがダサくなって来たのだ。なんかオシャレっぽい者はむしろ標準的なストレートのズボンになっており。そこで俺も、もともと持っていた標準制服のストレートズボンを穿くようにした。
さらに大学に入る頃には、もはやジーンズはブーツカット全盛期であった。俺ももちろん、ブーツを履いてブーツカットのジーンズを穿いていた。いわゆるオタク臭さ全開の同級生が、いまだストーンウォッシュのスリムジーンズを穿いているのを見て、(自分もボーダーラインのくせに)うわ、だっせえな、何でモモ太くて足首細いんだよ、あり得ねえだろ、などと内心で笑っていた。
この時、もちろん、自分が数年前に正反対のことを考えていたという事実には気付いていた。
だが、俺は愚かにも、こう考えていたのだ。
やはり、スリムのケミカルウォッシュが格好いいなんて思っていたのが流行の恐ろしさだよな。あんな変なものが良く思えてしまって、フレアしたワンウォッシュのシルエットの格好良さがわからなくなるなんて。やはり、ズボンの形は本質的に裾広がりであるべきなのに。なぜって、その方が遠近法と裾が下がる視覚効果により脚がすらっとして見えるはずだし、理にかなってる。暗い色は脚を細く見せる効果もあるだろう。だが、明るく不自然なウォッシュ加工で、ロールアップして足首なんか出してたら脚は太く、短く見えるじゃないか。それが格好いいなんて、加工技術の発展で一時的に生じた麻疹のような流行による病的な感覚だよ…。
…。
そして、就職して数年、社会人になって、しばらくはスーツ生活だったがジーンズで出勤できるような職場に転職した俺は、ある時、若くオシャレな青年のズボンがスリムであることに気づき、しばらくは「へえ…」などとスルーしていたのだが、結局、なんだかブーツカットは古臭く思えてきて、スリムなズボンに乗り換えるのであった。
先日に購入したズボンも、ハードなウォッシュで明るめに加工されたスリム…まあ、むしろスキニーのデニムである。いまは裾をおろしているが、去年の夏などはロールアップで通勤していた。
もっとも、もはや俺は、だからと言ってブーツカットやストレートやベルボトムを「根本的にかっこわるい」などとは勿論思っていない。さすがにそこまでバカじゃない。
ただ、若かったとは言え、自分が、周囲の流行には左右されにくいなどと自認している自分が、思い切り価値観を流行によって塗り替えられていたという事実は、実に面白いと思っている。
俺は、ズボンの観察によって、流行と言うのは「これが流行っている」などと思ってるうちは本物じゃないのだな、とある頃に気付いていた。本当に流行している時には、それはただ常識的な価値観になっているのだ。
ま、ファッションの流行は、俺にとってはただの面白いネタだ。そこまでオシャレに拘ってるわけでもないし。
ただ、ビジネス界の流行には、しばしば辟易させられる。不惑も過ぎたような大人達が、流行に惑わされて右往左往して、したり顔で何か言ってるのを聞くと、笑うのも困るのも通り越して、何か悲しくなってくる。人間て、こんな程度なのかなと。