2010年1月31日日曜日

越乃寒梅

携帯の変換辞書に入ってて一発で出た。

今日は出勤した。
本当は昨日出るつもりだったのだが、寝坊してしまったので。

11時頃から15時過ぎまでの4時間強を作業したのだが、オフィスに入ってからこの間、同じく休出していた社長に「おはようございます」ということさえしないほどに、独り言以外はただの一言も発することなく、ひたすらにコーディングした。

結果、思ったより大分進み、平日の1.5日分はやれたと思う。良かった。

まあ、直していたのは金曜夜に自分で「リファクタリング」と称して破壊した部分だったんだけどね…。


で、まあそんな頑張りもありつつ、夕方には先週作った眼鏡を引き取りに行く。

5万円までなら事故の保険にて賄われるということで、悪いが貰い事故だし、せめて景気良くと、「予算5万円でオシャレな眼鏡ください」とオーダーして最初に出てきたものだ。

LESS THAN HUMANという、微妙にとんがった?ブランドの「MAZINGER Z-1」というモデルだ。マジンガーZとコラボだって。そんなことはどうでもいいのだが、手に取るものが自然とアニメに絡んでしまうのは俺の中に眠るオタクセンスの見えざる力がそうさせるのか。

まあ、仕事向きだから普通に暗色のセルっぽいのだけど、よく見ると裏が七色だったり枠が浮いていたり面白い。カラーも入れたのだが、10%は薄かったかなあ。でも以前に濃くし過ぎて夜の運転とか不安だったこともあるのでまあいいか。

で、その眼鏡をイオンの専門店街の眼鏡屋で受け取った帰り、酒コーナーにふらりと寄って、最初はワンカップの酒を買おうと思ったのよ。

この正月に浦霞で酒も美味いなと思ったこともあって。とりあえず、いくつか味見したいなと。ワンカップでも嘉泉とかもあるからね。

でも、その横に越乃寒梅があったものでね。

まあ、ベタベタにベタだけど、なんかよく似た名前の酒はよく見るけど、本物は意外と見ないなあ、と思って、いい機会かと買ってしまった。

ちなみに900mlほどの瓶なのに2980円だったから、プレミア乗ってんな。定価は一升で2000円ほどだそうだから。

とは言え、地元まで買いに行ったらすごい金かかるし、居酒屋で飲んでも…というか、居酒屋なんか行けば、アンチプレミアムな生ビール数杯でたいして美味くないツマミを食っても3000円くらいすぐ行くわけで、それを考えればまあ…。酒なんて俺は1日2日じゃ空けないしね。

で、早速1杯だけ飲んでみたのだが…。

うまい。うまいよこれ。

白ラベルっつう、一番スタンダードクラスのヤツなんだけど。

元祖端麗辛口だそうだが、別に辛いわけじゃなく、むしろ甘いと思った。が、日本酒の味のうち、俺の嫌いなべったりした甘さ成分が、とても薄い。だから相対的には辛口なわけかね。
さらりとしていて、悪酔いしそうな気がしない。

根っからの日本酒好きだったらむしろ物足りないんじゃねえの?と思うくらいだが、日本酒はどちらかと言うと苦手な俺としては、とても受け入れやすいし、また、「酒飲むぞ!」と気負わずに飲める感じなので料理も幅広く合いそうだ。

オッサン臭さの欠片もない味。冷やすとより良さそうなので、冷蔵庫に入れておいた。ちょこちょこ飲むべ。


とは言え、一升2000円ならまだしも、プレミア価格で買うのはシャクだから、この瓶空けたら当分飲まない気がするけどね…せいぜい味わって飲むとするか。

2010年1月20日水曜日

割り勘ツール

いまちょっと計算機が使いたくて携帯いじってたら、割り勘ツールなるものがあら初めて操作してみた。

以前に、テレビかなんかでコメンテーターかなんかが、これを携帯発の建設的なイノベーションの一例みたいに言って覚えがあり、どんなもんかなと。


…ただの割算じゃねえか。合計と人数のどっちを分子と分母にすればいいかもわからないんじゃ小卒以下の学力だぞ…。嘆かわしい。

素晴らしき現代医学

1週間ちょい前に事故で擦過傷を受けた右手。

右下、手首付近の傷がいちばん浅かったのだ。だから血もすぐ止まり、安い絆創膏で対処した。

甲の中央部はより深く、少量ではあるが血がなかなか止まらなかった。だからなんか特殊立体メッシュみたいのを病院で貼ってくれた。
結果的に、こっちの傷の方が早くきれいになりつつある。

…とはいえ見た感じ、「根性焼き」を強く連想させる傷痕になっており、恥ずかしいので早く消失して欲しい…が多少残るかな…。


事故に限らず、バイクや自転車で擦過傷や挫創での通院は数年おきにしてる気がするが、その度に治療方が地味に変化している。

ちなみに、顔面の傷にはさらに先端?ぽいゲル状のシートで対処していて、当初に傷を見て想像したよりだいぶキレイに治りつつある。

こういうのは難病の特効薬みたいに注目されないけど、研究者たちは地味な進歩を続けているのだな。

どうも我が国には、科学者や研究者を「とんちんかんな役立たず」と蔑視しがちな風潮が感じられることがあるのだが、毎日彼らの死ぬほど地道な作業の恩恵を受けて暮らしていることを、もっと認識されていいのではないかな、と思うね。

2010年1月19日火曜日

神経が、かさつく

今日から本格的に仕事開始。
先週は一度顔見せ程度行ったが、長く喋ると腫れた顔面がぼうっとして集中出来ないし、あちこちイテエしで結局休んでしまった。

傷が癒えてくるにつれ事故より盗難への怒りが。

道で駅前で、原付に跨がって粋がってるヤンキーを見ると腹が立つ。帰宅して遠くバイパスからダセエ排気音が聞こえて苛つく。

しかし一方で、そういうバイクが盗んだものと決め付けられないのもわかる。意外にちゃんと購入してマメに手入れしているケースもあるわな。嫌いだけど。

逆に、一見まともな進学志望の中高生がこそこそと度胸試しして調子こいてるケースもママあるわな。

さらに売却目的の他、引ったくり等の犯罪利用目的、部品取りなんかで持ってくカス・オブ・カスな大人もいらあな。

悔しいけどそれらを探して天誅喰らわすのは俺には出来んし、たとえ出来てもやれば犯罪だ。

切り捨て御免の世なら斬りに行きたいが、本当にそんな世なら俺や家族が斬られてもっと酷い話になってる可能性の方がより大きい。

つまりは、バイク窃盗犯なんかイチイチ探しゃしないお巡りさんをそれでも信じ、枕を濡らして待つしかない。

遣りきれん。

まあ、事故が片付いたらコレも併せて記憶をヌルデバイスにぶちこもう。

2010年1月16日土曜日

スーパーカブで秩父ツーリング

(まえがき)

結果としては、このツーリングの翌日に事故(貰い事故)に遭い、翌々日には盗難に遭ってしまい、俺の短いカブライフは終わった。
悔しくもあり、切なくもあるが、とにかく久しぶりに”ツーリング”出来たことは良かったのだ、きっと。

   *   *   *

行きたいけど行くか行かないかわからないなあ、なんて言っていたスーパーカブ110でのツーリングだが…実行しましたよ。

正月休みは何もせずに家でひたすらまったりしていたので、1月の連休はどこか行きたいと思っていた。で、
  • スノーボードに行く
  • 釣りに行く
  • ツーリングに行く
のどれかにしようと考えたのだが、スノーボードはもう少し雪がなくなってから(クルマがノーマルタイヤだからな)にしようか、とか釣りは何もこの時期じゃなくても、とか、まあ消去法的な判断に加えて、ツーリングはずいぶんと長いこと行ってないからここらで一念発起してやっとくかということで。

バイクだって寒かろうに何もこんな時期に行かなくても…という気もしたが、結果的には、おかげで一度だけでもカブツーリングが出来たわけだ。


行き先は、過去にもあまり行っていないので新鮮な気がする秩父方面。このエリアは高速道路でのアクセスが悪いのだが、どうせ原付二種で高速乗れないので関係ないしね。

今回は、普段はクルマに積んであるナビを利用してみる。ポータブルの利点をいよいよ活かす時が来たわけだ。
連休初日の夜に俺のクールなポータブルナビ、Garmin(nuvi205)にいくつかポイントを登録しておく。

とりあえずの目的地を群馬県の上野村にある道の駅上野に設定。一般道優先設定でルート探索すると3時間なんぼで着く…らしい。まあそんなもんだろ。

さらに経由地をいくつか設定する。

1つは、ツーリングマップルでいつも気になっていた「関八州展望台」、もうひとつは同じくツーリングマップルに記載されている群馬県中里村の「さざなみ岩」。

どちらもマイナースポットなので、マップルの緯度経度を使って場所を特定しての地点登録。だれかツーリングマップル記載のスポットをまとめたカスタムPOIデータを作ってくんないかな…。こういう場合、自分で作って公開します!というのが素晴らしいのだろうが…俺はマメさとボランティアスピリットに欠けるので無理だスマン。

さらに、本当は…これが一番行きたい場所でもある、「御荷鉾スーパー林道」へと進みたいのだが、おそらく時間が足りなくなりそうなので取りあえず、上野まで行って余裕があればということにしておく。


連休の中日、朝は6時に起床したが結局出発したのは7時直前。

時期柄、この時間でもまだ薄暗い。当然、かなり寒い。が、いつものダウンジャケットに加え、ユニクロで秋に買ったナイロン+中綿のズボンを穿いているので大丈夫だ。…たぶん。

しかし写真せつねえな。これが最初にして最後の出発となろうとは…。

ま、そういう話は置いておこう。

ナビをどう設置するかはだいぶ悩んだが、結局、ジャケットのハンドウォーマーポケットにそのまま突っ込んだ。この状態でボリュームを最大にしたら、走っていてもギリギリでガイダンスが聞こえる。停まった時にざっと確認しておけば、後は音声ガイドだけでだいたい事足りるものだ。
胸ポケットがあればもっとよく聞こえたかも。

ただし、俺は通勤スタイルなのでヘルメットが半帽型で耳がオープンな上、カブにはだっさい大型ウィンドシールドを付けているので聞こえ易いということはあるので、そうでない場合は聞こえるかは不明だ。

まずはさいたま市の自宅から一路、国道463号で西へ。買い物でも使うので走り慣れた道ではあるが、これから数百キロを行くための道だと思うと何か愉しい。これぞツーリング。うひ。

秩父方面へ行くにはまず川越方面へ出る必要があるのだが、原付二種の特典である「有料道路の料金が激安」を活かそうと、富士見川越有料道路を使うことに。ところが、使ってみたらすでに無料化されていた…まあそれはそれで有り難い。今度からクルマでも気軽に使える。

…バイパスなど走ると、カブだからか、クルマに強引に抜かれることがある。俺の前のクルマとの車間は特に広くなく、一定なのにも関わらず無理に並走して来て前に割り込む輩がいる。最初は頭に来て無理矢理前に割り込み返していたが、自分が低能な連中と同レベルに堕ちている虚しさに気づきやめた。

川越は関越道に乗るために通ったくらいしかなかったのだが、今回、市街地を走り抜け、尚かつ少し道を間違えて(ナビがあっても間違えるのが俺イズムだ)しまった結果、なるほど「小江戸」を名乗るだけの風情はあるのだなと思った。氷川神社には厄よけ初詣の人びとが朝から行列していたし、何か古臭い商店だか蔵だかみたいのもポツポツ。でもこの辺りはスルー。

川越を抜けて県道15号川越日高線でさらに西へ。

さいたま市から川越の間はなんだかんだ都市圏だが、川越を西に抜けると郊外らしくなってくる。これより西に大きな市街がないからか。

いつの間にか、交通量も減り、道の向こうに山も見える。ツーリングらしくなって来たな。ただ…足の指先と手指がもの凄く冷たい。家を出て2時間くらいは走ったが休憩してないし…。

コンビニを見つけて最初の休憩。熱い缶コーヒーで手指を温める。それでも、防寒袋+軍手は強力でこの時期にしてはだいぶ楽な気で、少し温めたら十分楽になった。

足の指先の冷たさはもっと深刻だ。カブには一応レッグカバーがあるが、床はないし、足先への風当たりはスクーターより厳しいようだ。初めて、靴に入れるホッカイロというのを購入してみて、早速入れてみたが、これはなかなか具合がいい。
走り始めてからもいい感じだったし、寒い時期の釣りなどでも使えるかな…あんまりしないけど。

肉まんあんまんなども食い、気力も回復したところで先に進む。さらに西へ。

北西に向かう国道299号へ入ってからはぐっと山っぽい雰囲気だ。それなりに幹線道路ではあるが…どう見ても田舎道である。このまま299号を進んでも目的地には着くが、しばらく行ってから県道61号へ右折し、顔振峠を目指す。

山の中の隘路となり、いよいよツーリングらしい。

顔振峠には茶屋が数軒。

案配によれば、その昔、源義経が奥州に逃れる際にこの道を通る時素晴らしい景色のために顔を左右に振ったとか、いやお伴が疲れ果てて顔を振り振り歩いたのだとか、そんな由来だそうだ。

が、俺の理解では、「義経の奥州落ち」、「平家の落人」、「信玄の隠し湯」が意味するものは、「この辺りには何もありません」ということだ。



この峠はわずか700mほどの標高だが、なかなか眺めは良い。関東平野の西の端だからだろう。
大気の条件が良ければ、富士山が見えるそうだ。

この日は好天だったが、青霞になっていて富士山は見えなかった。

この後、ナビを持っているにも関わらずそして分かれ道がほとんど無いにも関わらず少し道に迷ったが、関八州見晴台を目指す。

ツーリングマップルで「絶景」と書かれており、いつも気になっていた場所だ…さして標高の高い山でもないし、いったいどんな景色が拝めるのか…。




ワインディングを快調に進み、ほどなく、「関八州見晴台」の入り口を発見。

少し手前に、駐車場併設の小汚い土産店(ただし閉鎖している)があり、入り口っぽく書いてあるが、そこは罠だ。ハイキングなら通るんだろうが…。

その少し上に、この写真の入り口がある。ここからは、歩いて数分で見晴台に着く。

写真の杉林はすぐに切れて、草地に低木が植わった丘を登る。植栽なのだろうが、微妙に高山のようなイメージ?だ。見晴台は登り切った頂上だから、ほんとにプチ登山のような気分を味わえるようにしてあるのだろう。

頂上には高山不動尊奥の院という小さな祠もある。それと、ベンチがいくつかと、景色の案内。

果たして、見晴は…確かに絶景だった。


南と東はずばり平野を見渡せる。南東には都心の高層ビル群の影も見える。こう見るとやはり東京都心はその他市街地とはひと味違う。

南の方には神奈川県の大山なども。青少年時代は神奈川県川崎市で長く過ごしており、「大山牛乳」や「大山豆腐」、小学校の大山登山などで馴染み深い離れ山である。

丹沢や奥多摩の山々も、登山の経験は少ないのだがバイクツーリングやキャンプ、釣りではかつてよく訪れていたところで、そういった連なりを遠く眺めると、何かノスタルジーを感じる。

海まで見えているのかも知れないと思ったが、それは霞んでわからない。



北西は山が多い。

特に西側は、すぐに秩父の山々が迫り、その奥もずっと山。奥多摩方面の山へと続いたり。

北側には平野が広がるが、南や東と違って、平野は長く続かず、その向こうに栃木の山々などが見える。男体山もよく見えた。

個人的には、南西側の富士箱根伊豆丹沢というのは学生時代までの思い出が多く、北西側の山々は、数年前にさいたま市に引っ越すまでの間には縁が薄く、昨年には日光でキャンプして釣りをするなどがあり、景色に自分の人生の時間的な対比を重ねてしまうところがあり、面白い。

それはそれとして、関八州を見晴らすとはなるほど、関東平野の端っこの山の尾根筋であるため、ぐるりと360度眺望できて、そのうち西以外は平野をずっと遠くまで見渡せる。

道路からわずかでこのくらいの眺望を味わえるなら、ずいぶん立派なものだ。夜に来て星や夜景でも見ても奇麗かも知れない…途中の道が狭くて恐いけど…。


関八州見晴し台を過ぎてしばらく峠道を走っていると、路面の端に白いものが。ここのところずっと晴天だったはずだが…いつだか降った雪がずっと融けないであるのか?



なんにせよ、要注意だ。

路面は濡れてもいないから、基本的にツルツルということはないが、ブラインドコーナーでいきなり湧き水が凍ってるとか勘弁だしな…。

その後、多少道に迷ったりしつつも峠道を堪能する。飛ばして速いバイクでもないのでそう目を三角にすることはないが、それでも前後にクルマのいない山間の隘路をテケテケと走り、たまに眺望が大きくひらけたり、また薄暗く湿った道になったりとしながらも軽快に走るのは愉しい。

愉しくて、そのうちステップがガリっとか言い出したものの、まあいいかと思っていたら…転けた。とは言え、低速コーナーでスリップダウンしただけなので、カブの損傷は左グリップエンドの傷のみ。

ここと、後はセンタースタンドやステップの端で接地するらしく、プラスチック部品類には1筋の傷も付かなかった。マフラーなどもまったく傷無し。頑丈である。

ちなみに俺は左足を擦りむいたが、まあただの擦り剥けなので「いってェ」で終わりだ。


再び国道299号に合流。

秩父の市街を通り抜ける。そば屋などもそそるものがあったが…昼飯には思うところがあったので、とりあえずスルー。途中、信号待ちで停まった際に目の前の肉屋「ひつじや」なる店が、やけにそそったので揚げ物を数点購入。名前からしてラム肉のいいのを売ってそうだから、ここでラム買って一人BBQとか言うのもやってみたいなあ、と思いつつ。

秩父市外はそのまま抜け、志賀坂峠を超える。

この峠から北側は群馬県になる。

おー、カブで群馬まで来たぞ…とささやかな達成感。だが、北側は路面がシャリシャリしてて結構恐ろしかった。融雪剤が撒いてあるからなのか…シャーベット状のものがそこら中にあって恐い。だいたいこれは滑らないのか滑るのか、少なくとも普通の路面より良い状態でないのは間違いないから、ともかく注意して進んだ。

さて、そのまましばし進むと、「漣岩」なる名所がある。



名所とは言っても、えらい寂れようである。

この写真が、漣(さざなみ)岩である。国道沿いの岩壁で、横に石碑があり、道路の向かいに説明看板がある。


またすぐ近くに駐車場と土産店がある。が、土産店はどう見ても廃業しており、駐車場にはクルマ一台いない。



ステゴサウルスのモニュメントがえらく寂しい。

そもそも漣岩と何か。

これは、露頭と呼ばれるもので、露出した地層である。大きな岩が落ちているのではなく、地盤そのものの岩だ。これに写真で見てわかるように、モンガラモンガラした模様が型押しされたようになっている。
これが、「さざなみ」の化石なのだ。波の化石とは珍妙な、と思うかも知れないが、さざ波のような水流において作られる水の底の地形の遺跡のようなものと思えばいい。

さて、この漣岩は、もともと上記のような、地形の化石であることは知られていたが、後に「恐竜の足跡」として有名になったものだ。写真で言うところの崖の上の方を水平に4歩ほど大きな足跡、少し右に傾いた縦に小さな足跡が見受けられるだろうか。見えないかも知れないが心眼を開けば見えるのだ。

これらが、大きな恐竜と小さな恐竜の個別の足跡の化石だとされる。

注意すべきことは、恐竜が壁を歩いたわけではないということだ。

崖の面は現在、ほぼ垂直に近く切り立っているが、この面に、「漣」の模様が見えるということはだ。漣はほぼ水平の運動でほぼ水平に模様を描いたのだから、この「壁」はかつては「床」だったのだ。その頃に、漣が洗う水辺を恐竜が行き交い、その柔らかい水底に足跡を残した、それがその後、秩父が山になったりする過程で縦になったというわけだ。

この岩からは、この岩が泥から岩になってから90度近くひん曲がっている、つまりこのあたりに激しい地殻変動があったこと、ここにかつて漣の水辺があったこと、つまり、海と陸の境界であったこと、その水辺に複数種類の恐竜が棲息していたこと、それらが歩いていたこと(泳ぐのでなく)、その大きさ(歩幅と足の大きさから推定できる)、…その他多くのことが読み取れるのだ。

ま、多少乱暴な説明だが、だいたいそう言う話だ。

が、普通は、この地味な岩を見てそこまではわからんだろう。説明書きの看板は一応あるが、一発で納得するにはちょっとねえ。

結果、村の期待を背負ったステゴサウルスは寂しく佇む羽目となっている…と。


閑話休題。


志賀坂峠の北側に入ってから、日陰が続いていてえらく寒い。それで昼飯を食うタイミングを逃していたのだが、道の脇に日当りのいい空き地を見つけたので、飯にすることに。


本日の豪華ランチ。ジャジャン。



「外で食うと美味いんだよ」で有名なカップヌードル、そして秩父で調達した揚げ物。鶏ももフライ、手羽先唐揚げ、揚餃子。

揚げ物はプリムスのトースターで温めて食った。なかなか良いあんばいだ。




惜しむらくは、これ、食ってる間に気がついたら日陰になっており、寒かったこと。曇ったわけじゃないのだが、山の谷でギリギリの日向だったから、少し太陽が低くなったらギリギリアウトになってしまった。



ちなみに、飯を食っていた空き地のすぐ近くにあった沢の石。細長いあばたのように見える凹みは、二枚貝類の化石である。空の断面を見るような角度だな。そう見ると、並び方に方向性があるのがわかるだろう。

写真右の大きなものと直交するような角度で左側に小型のものが多くある。

すると例えば、こういうことが推測できるだろう。二枚貝というのは、図鑑を見ればわかる通り、生きているときは縦になって地面に潜っている。死ねば表面に殻だけが散らばる。散らばる殻は平たく並ぶが、生きている貝は縦に何匹もつながるようには並ばない。

とすると、上の写真で、この場所で生きていたの大きな貝か小さな貝か?大きな貝だろう。小さい方は貝殻だ。潜っていない状態の貝殻、ということはここに住んでいたのではない。死んでからここに流されたのではないか。

だとすると、例えば、貝殻が水中に積もる海とはどんな海だろう?水の流れの向き、強さは?…などなど…またいろいろ考えることが出来るわけだ。


…再び話をツーリングに戻す。


さて、すっかり寒くなって来たが、もう少し進む。


そこからは、たいした距離を走ることなく、まためぼしい名所もなく道の駅上野へ。

道の駅上野は…存外、寂れていた。施設はそれなりに整っているようだったが…。時期か。

土産物を物色したが、結局、ちょっと意外なイチゴを買った。朝に取ったばかりだというイチゴが、ビックリするほど瑞々しくて美味そうだったので。実際、帰って食ったら美味かったよ。

さて、冬の短い日は傾き、山にはなんとも侘しい空気が漂って来た。缶コーヒーを飲みつつ少し考える。遅くなると峠は凍結の恐れもあるから、そろそろ帰りたい。

だが、あと少しだけ足を延ばしてみたいところがある。

少し悩んだ末、行ってみることにした。





ここです。

日航機墜落事故の慰霊碑。

この事故の犠牲者に俺の縁者はいないけど、「クライマーズハイ」とか、事故の記録など読んで涙したくらいのことはあるので、行ってみたいと思った。俺は宗教的信仰心というものがほぼ皆無なので、ただの感傷なのかも知れないが、なんとなく、何か記念碑があるなら手を合わせてみたい気がしていた。

…幼くして亡くなった命もある。墜落直後は生きて、生き延びようとしていた子どももいたと言う。その子らに何もしてやれない。
俺には、死んでしまった人間に出来ることなどない。だが、世界はまだ、何もかもをすっかり忘れてはいないよと、呟いてみることは出来る。
それは、自分にとって意味があることだ。そして、自分が社会でまだ当分生き続けるならば、僅かであろうと世界にとって意味を持つ。それが、少し、本当に少しでも、犠牲者の短い人生の有り様の意味を強くするなら、何らかの供養にはなるのではないか。

…子どもが出来たから、そんなことを考えたのかも知れないな。






慰霊碑は公園内の丘の上にあり、そこへ至る道には雪が積もっていた。動物の足跡だけが残る雪に、自分の足跡を重ねる。


…当初の予定では、この後さらに御荷鉾スーパー林道へ行ければなどと思っていたが、それはとっくに諦めていたから、この後一路、国道299号を使って帰路についた。



最後、さいたま市に着く頃には、ぶっ通しで走ったということもあり大分疲れた。後から考えると、安い半帽を被っていたため、頭の一部が当たって頭痛を起こしており、それも大きかったかも知れない。走ってる時は、寒さのせいかな、単なる眼精疲労かな、などと思いながらひたすら進んでいたのだが、帰宅して風呂に入ったら、ああ、メットの形が合ってなかったんだと気づいた。


疲れたし、とにかく1日走って、ビックリするような凄いモノを見たり食ったりはしてないのだけど、何だか久しぶりに疲れて、風呂が気持ち良くて、ビールが美味くて、つまり愉しかった。


   ※    ※    ※

エピローグ

冒頭に書いたように、この翌日にカブはまさかの事故、続けて盗難となる。

あまり言いたくないが、上記のような話だと、オカルト好きな人は呪いだ祟りだ変なモノが憑いただと言いたがるのではないかと。

俺はもちろん、そんなくだらない事は考えていない。それでも、どうしても無理矢理にオカルティックな解釈をしないと納得しない人がいるならば、こう考えて欲しいなと思う。

カブで、俺を完全に見落としたクルマに真横から撥ねられた俺は、まともに右足をクルマとバイクの間に挟まれ、吹っ飛んだ時に半帽メットは外れ、そのままコンクリートに顔面(側頭部)を打ちつけている。

そう速度が大きくなかったとは言え、普通に考えて、死んでいてもまったく不自然じゃないと思うし、五体満足でなくなってもおかしくないような当り方じゃなかろうか。

それが、骨折の一つもなく、1ヶ月以上経った今、どうやら傷跡もわずかしか残らない程度の怪我で済んだのだ。事故が起こったこと自体は不幸だが、その結果はだいぶ幸運な部類に入ると思っている。

ならばつまり、もしオカルトパワーの作用を考えるなら、それはむしろポジティブなものだったのだと。

2010年1月15日金曜日

犯罪じゃないのかね

カブはもし発見されてももう乗る気はない。
なんつうか、さすがに縁起悪い(心霊は信じないが縁起は担ぐことはある。理由はあるが面倒なので説明しない)し、曲がりなりにも命を預けて乗るもので、バカにいじくられた車両など気持ち悪くて乗れない。

…すべて点検し直せばいいかも知れんが、んなことやってりゃ損がかさむばかりだし。

ということで、次に何を買うかを何となく検討している。

せっかくなので今度はスクータータイプにしようと思う。
同じホンダならリードだが、トランクが浅いという噂が気になる。

ならば快速の呼び声高いアドレスV125か。でもそうするとまた店を変えないといけないなあ。ホンダドリーム店はなかなか良さそうだったのに。

エイプ100にボックス装着?意外とアリかも知れない。GIVIボックスは使い勝手良かったし、ギヤはやっぱりロータリーよりリターンだ。市街地で多くなる低速での取り回しではクラッチもあった方がいいなと、カブに乗ってて思ったし。

とは言え、エイプはちょっと高いか…。

ああ、それに大型ウィンドスクリーンの効果は絶大だったから…やっぱりスクーターかな。

それともいっそMTB?たぶん、駅まで原付で15分のところがせいぜい20分強になるだけで、時間の差は意外と小さく、健康上も良いならば…でも、夏は汗掻いて電車乗るの気持ち悪いな。


…なんていろいろ考えていたら、そんで予算はどの程度組めるかなと気になり、一応、目処を付けたくて事故の慰謝料について検索してみた。

俺が探していた情報は、要は全治二週間で普通どの程度になるか、一般的な算出による例が知りたかっただけだ。確か1日数千円程度だった気がするが…と。

ところが、検索すると出て来る出て来る、

「保険屋を徹底的にしゃぶってやりましょう!」

「むちうちで数千万円を手にする方法!」

「早めに首が痛いと言っておけばいい」

「示談交渉の勝ち組になる方法!」


…。

何だ。

何なんだこのカスどもは。

交通事故というのは不幸だ。確かに。被害者はつらい。それはわかる。現に俺も今被害者だ。愉快な気分とはほど遠い。

しかし、何か違わないか?

被害者ならば何を言ってもいいというものでもないだろう。
自分に過失がないのに怪我させられたんだから、嘘でも強弁でも金を取り立てていいと、そういう理屈はないだろう?
それは、言うなれば、先に1発殴られたら仕返しは死ぬまで殴ってもいいんだ、とそう言う理屈じゃないか?
もちろん、飲酒ひき逃げで大事な家族を失うような、冷静でなどいられないケースもあるだろうが、上記のようなものは、およそそんな話じゃない。

そういうバカがいるから逆に保険会社も被害者を疑いの目で見るんだろ。お陰で善良なる(普通の)被害者が時に受けるべき補償を受け損ねるんだ。

まあ、こういう話は保険に限らないか。

貧困ビジネスも話題になっているし、最近頻繁に郵便受けにチラシが入ってる、借金の過払い取り戻しビジネスも然り。

被害者だなんて言ってる連中はいつの間にか加害者になっても平気でいる。苦しいから、怒っているから、相手が悪人だから何をしてもいいなんてはずはないのに。

小学校の先生なんかはよく、「いじめられたことのある子は他人をいじめない」とか抜かす(抜かしていた)が、そんなのは嘘だ。いじめられっ子というのはチャンスが来れば復讐に走るし、下手すれば復讐先は八つ当たりになる、というのがむしろ現実だ。そんなことは小学生でもわかってる。

目に目を、歯に歯を、という血腥いフレーズで有名なハムラビ法典は実は平和的だ、なぜなら…受けた被害までの報復しか認めないからだと、大学の哲学の授業で習った。それはもっともだし、現代において、確かに憲法や法律はそれ以上に進んだ。
しかし、少なからぬ人間の心は未だに古代バビロニア以前から一歩も進んじゃいない。

なぜ人間はこうも進歩しないのか。自分さえ良ければいい、という単純な罪から、なぜいつまで経っても抜け出せない?

交通事故や盗難は痛かったり金や物が無くなったりするのも嫌だが、実は、その対処の中で、結局こういう絶望的な事実をしばしば突きつけられるのが…それが一番堪える。


まあ…まずはとりあえず、1日も早くむちうち症の客観的・合理的かつ明確な診断が出来るようになるといいのだが。

スーパーカブの「直結防止回路」とは?

今日気づいたのだが、スーパーカブ110のニュースリリースによると、

「 メインスイッチとハンドルロックを一体化し使い勝手を向上させるとともに、盗難抑止システムとして直結防止回路を採用。」
だそうなんだが。

どう考えてもあっさり直結で持ってかれたんだけど。同じ車種が近所でもう1台やられてるという警察の話からも、腐れDQNには既に「直結防止回路」破りのハウツーが広まっているんだろう。

…発売して1年も経たずに糞ガキどもに突破される「防止回路」ってどうなのかと思うよ…。

スーパーカブ110乗りの方がもしこのページを見ているならば、その回路に期待しない方が身の為ですぞ…しっかり補助鍵を掛けることですじゃ…クッチャクッチャ(老人の好物バーチャルガムを噛む音)

2010年1月14日木曜日

神懸かり的三連コンボ(α)

実は、この事故—盗難事件は、それだけではない。

なんと、事故の前日には山道で初の転倒も喫しているのだ。

つまり、新車で買ったバイク、ちょうど一ヶ月点検を挟んだわずか3日のうちに、
  1. 転倒し (バイク屋も気づかないほどだったが、左足は打撲しずる剥けた)
  2. 翌日に事故に遭い(被害者。右真横に突っ込まれ、両手と右足と顔面を打撲、創傷)
  3. その翌日深夜には盗まれた (まだ事故の見積もりも取れてねえのに)
というわけだ。

普通、あるか?

最近は原付しか無かったとは言え、俺も長い事バイクに乗っており、それなりにトラブルにも遭った。しかしだよ。こんな奇跡的な悪夢のジェットストリームア タックには遭ったことがない。この、本来は単独でもレアなそれぞれのトラブルは独立して発生しているのだ。それが見事に連続だ。神懸かってる。

しかしだ。

ここでよく考えてみよう。

高校1年で自動二輪の免許を取得してからの、俺の免許歴は18年ほどに及ぶ。

バイクの窃盗に遭ったのは2回目だ。

運転中の事故は、クルマのケースや警察に行かずに示談したのも含めると、実に…ええと…少なくとも…8回はあるな…。

転倒は、ちょっと思い出して数えられるような回数じゃない。とりあえず50回としておこう。足りないと思うが。

さて、今回、もっともレアな窃盗は起こった。
だが、18年もの間、何らかのバイクをほぼ常に所持しており、しかもいずれの期間も保管場所は集合住宅の駐輪スペースであり、そして俺はお世辞にも施錠に熱心とは言えない(ワイヤーロックU字ロックは持っていても掛けない事が多い、今回もだ)、原付ではカバーすら掛けない(不便になるから)、という状況に対して、2回の窃盗被害というのは必ずしも大きい確率だろうか?
また、前回の窃盗と今回の窃盗、共通するのは、ホンダのゴリラ、カブといったポピュラーで構造が単純な原付であり、しかも保管場所が俺の過去の住居の中で、居室から離れて死角になる度No.1と2の場所であるという共通点がある。
そういう意味では、ある意味で、今回被害に遭うことは奇異に見えない。もちろん、鍵を追加してないから俺に落ち度があるなどとは思わないが。だからと言って、どう考えても盗まれるはずはない!なんて状況じゃないのは確かだ。

で、転倒は。
これは何の不思議なことはない。
とても久々に山道に行った。正月明けで路面が凍っていた。空いていたし、カブの手軽感もあったし、いつもの通り、面白くなってきて気が緩んだ。下りのヘアピンで寝かせ過ぎた。転けた。
先の50回、つまり年に2、3回ということだが、実際の所、いくらなんでも晴れて路面が乾いた市街地で転けたりはしない。転ぶのは雨の日、山道、路面温度が低い時など。この日に転ぶ確率はつまり、2/365などではなく、もっとずっと高い。

事故は。
18年の間に8回はある、としたら、2、3年に一度はあるペースだ。通勤もあり、毎日クルマかバイクのどちらかは乗るし…それでも多いのかも知れないとちょっと思ってるが。ともかく、自分の実績はそうだ。前回の事故は3年前だ。とすると、今頃に事故があるのは、これも不自然ではない。この確率にはいろいろ要因があるだろう。俺の注意力レベルの問題、生活パターン、いろいろな要素の結果だと思う。だが、結果として言えることはともかく、急に事故に遭い易くなったという事実は無いということだ。

ちなみに、自分で事故多めかなと思ってるのだが、重大事故を起こしていないのが救いだ。歩行者を撥ねたことはないし、誰にも流血させたことはない。俺は結構血みどろになったことがあるが。運がいいのか悪いのかわからないが、単に、バイク対クルマが多いという問題だろう。

つまり、個別の事象については、とりたてて奇特な確率で起こり始めたとは言えない。それぞれの相関関係は薄いから、それぞれがポアソン分布的に起こるとしたら、たまたま同じ時期に集中することはおかしくない。逆にきっちり17日おきにトラブルが発生するとかの方がむしろ恐い。

加えて、この3日間というのが、正月休み明けの3連休であることにも意味はある。

窃盗がクソ厨房の犯罪だとすれば、冬休みの火遊びの勢いが残ってる(管内で正月に同型車がやられている)と言えるし、転倒の原因である山道というのも連休だからこそ行ったのだし、事故についても、相手方も正月気分の最後の日で何か立て込んでて焦りがあったかも知れない。俺自身も、これでお屠蘇気分もおわりだと思ったからいつもより早く買い物に行き、結果、道路が買い物客で溢れる宵の口という、いつもよりはリスクの高い時間に動いたのだ。


そう考えていくと、確かに結果はすごい連続技になっているが、まあ、嫌だけどこのくらいのことはあるか、とも思えなくもない。もっと注意力をあげるようにしなければいけないが…。

それに、こう立て続けに起こるのも、必ずしも悪い事ばかりでもない気がして来た。

いや、起こってしまったことは仕方ないとした上で考えればだが…

そもそも、窃盗は事故と関係ないから、事故に遭わなくても起こっただろう。目を付けられていたなら尚更だ。これが単純に窃盗なら、単純に無くなって終わりだった。
だが、事故がその前だったから、いくらかでも補償されるのだ。もちろん、逆に先に盗まれていれば事故で痛い目に遭わなくて済んだとも言える。死ぬ目に遭うくらいなら先に盗んでもらった方がありがたいけど、結果的には打撲程度で済んでいるしな…。
もう一回やれと言われたら全力で断るが、そう捉えてみれば、何やらこの痛みにも価値を見出すことは出来るのではないか。見出せ。



そして、いまこうして、一瞬奇異に思える出来事から、自分の過去に注意を向けたことにも価値はある。

つまりやはり、2、3年に一度の事故は多過ぎるし、年に2、3度の転倒も多過ぎる。

仮にこんなペースで事故に遭い続けていれば、可愛い愛娘と、娘に付いて来る妻を同乗させて事故を起こしてしまう可能性は、低いとは言えない。俺は自分だけでなくて家族もいろいろなところに連れて行ってやりたいと思うが、事故には遭わせたくない。怪我をしたりさせるのは論外だし、怪我がなくても、事故現場の虚しい気分を娘に味わわせたくない。俺が一人で怪我をして働けなくなるのも困る。

子どもが出来て丸くなった、なんて揶揄されようが、俺は、反省しなければならないのだろう。
もし妻子に何かあれば、貰い事故だとか、過失がない筈だとか、補償がたくさん出るとか、そんなことを言ったって何の慰みにもならない。

神懸かり的な出来事だ、と言ったが俺は神だの運だ霊だの厄だの障りだの、そういうものは一切信じてはいない。文化としてはある部分まで受け入れるが、「超自然」のような意味では一切。

それでももし”神懸かり的”と捉えようとするならば、これは優しい戒めだと理解すべきだろう。活かすことが出来れば、少しの、一時の痛みと引き換えに、将来の災厄を避けることが出来るはずだから。

…出来ればあと少しお手柔らかに願いたいところだったが…。

神懸かり的三連コンボ(β)

実は、この事故—盗難事件は、それだけではない。

なんと、事故の前日には山道で初の転倒も喫しているのだ。

つまり、新車で買ったバイク、ちょうど一ヶ月点検を挟んだわずか3日のうちに、
  1. 転倒し (バイク屋も気づかないほどだったが、左足は打撲しずる剥けた)
  2. 翌日に事故に遭い(被害者。右真横に突っ込まれ、両手と右足と顔面を打撲、創傷)
  3. その翌日深夜には盗まれた (まだ事故の見積もりも取れてねえのに)
というわけだ。

普通、あるか?

最近は原付しか無かったとは言え、俺も長い事バイクに乗っており、それなりにトラブルにも遭った。しかしだよ。こんな奇跡的な悪夢のジェットストリームアタックには遭ったことがない。この、本来は単独でもレアなそれぞれのトラブルは独立して発生しているのだ。それが見事に連続だ。神懸かってる。

思えば、俺の人生はツキがない。いつもそう思っていた。

かつてやっていた競技の、最後の大事な試合の直前には食中毒になった。体重も筋肉も落ちてベストどころか大会出場基準の記録さえ出せなかった。
受験の直前にはインフルエンザに罹った。マスクをして38度以上の熱に茹だりながら受けた試験は当然落ちた。
初めて買った大型バイクは多額の借金を残し2週間で大破した。
ツーリングでフェリーに乗れば台風で接岸できず。別の時には行く先々で大雨が降って(災害史に残るヤツだ)俺自身も体調を崩した。そういや高校の修学旅行も記録的台風だったか。宿の窓が割れたり、建物自体が崩落したりしたなあ。あ、小学校も中学校も雨だった気がする。

まあこんなのはまだ気楽な笑い話に出来るネタで、実際の所は他にも、重過ぎてここに書く気にはなれないあれやこれや。

いつもいつも、これからと言うとき、何か良い事がありそうだと思う時、どこからともかく不幸が忍び寄って来る気がする。

善かれと思った選択はいつも間違いで、運を願って叶うことはない。

もうずっと前からそう思っていて、だからこそ、俺は物事を理詰めで考える。運なんてものはない。何か思い通りにならないなら、それは己の実力不足だと。運なんてない、無いものに頼らない、無いものを恨まない。

だけど、こりゃあいくらなんでもな。

ちょっと、無いんじゃないかなと。

偶然というには、酷いんじゃないの?俺が何をしたって言うのさ?

ま、初日の転倒は不注意だったよ。

でも、二日目の事故はさ。見てたんだよちゃんと。俺は優先側に…標識もそうだし、左でもあるし、直進でもあるし、どう考えても優先側の道路にいて、それでも注意して見て、アクセルも緩めたのさ。そして相手が止まったから進んだ。そしたら真横だよ。俺は悪くないだろ?優先でもなんでも交差点だから徐行しろって、十分注意してれば何だって避けられるって、そこまで求めるのか?そこまでしなかったからってこんな痛い目見ないといけないのか?
おまけに窃盗か。
事故現場に放置とかじゃないんだぜ。ちゃんとウチまで持って帰って、鍵も掛けたんだ。それなのにだよ。壊れた証拠がないから、下手すりゃ物損補償は何も出ないぜ?貰い事故で受け取るべき補償がなくなって、直すべき車両も無くなってって、辻褄合ってると言えば合ってるが、何かおかしくないか?なんで不条理のしわ寄せが全部俺に来る?

絶望したい。どうせこんなことの繰り返しなら、何をやったって最後は裏目に出ておしまいだ。神がいるなら、そいつはよっぽど俺の愕然とする顔が好きなのだろう。特別待遇だというならば有り難き幸せだ。反吐が出る。

バイクだけの話じゃないんだ。人生そのものがそうなんだ。ずっと前からそうで、誰のせいでもない。自分はそう言うものなんだ。

やってられない。

バイクの盗難というのは原則的に泣き寝入りなのです

…ということです。

今回の俺のケースもそうなのか、自分の納得のために考えてみよう。

まず、盗難された状況。

  • 自宅マンションの駐輪場
  • 時間は深夜、おそらく1時〜2時頃(よく思い出すと「随分早い新聞配達だな」と思った記憶が)
  • レッグカバーが残されていた。ネジはちゃんと外してあった(破壊せず)

続いて、駐輪場の立地。
  • 路地に面している
  • 路地は左に進めばバス通りにつながる。右に進めば住宅地が少し続き、あとは広大な農地。
  • 路地の人通りはごく少ない
  • 駐輪場前にはゴミ捨て小屋もあり、正面からでなければ車両は見えない
  • 正面は農地。最近に住宅地に転用され、目下基盤工事(上下水、都市ガスの配管、基礎工事などをしている)
マンションの状況の補足。
  • 駐輪場前の1階の部屋は最近、引っ越しがあり空き部屋。

警察の話では
  • ごく最近、近隣で同型車の窃盗あり。それはすぐに発見された。


さて、上記諸々を考慮すると、短絡的には次のような推察が可能だ。

  1. 状況から窃盗犯は、直結で乗り逃げしている
  2. 重要な部品を放置しており、売却目的ではなく乗り回す目的
  3. 窃盗犯は、スーパーカブ(110)を最初から狙っていた(必要な工具と方法を知っている)
  4. 窃盗犯は、この駐輪場にスーパーカブがあることを事前に知っていた

つまるところ、プロの窃盗団などではなく、度胸試しとオモチャが欲しいだけの、近所の住宅に住むか、その仲間の中高生クソヤンキー像が高い確率でイメージされる。

日常でウチの前の路地を通るような立地の家は限られている。その中のどれかの家の息子が犯人だ。サボりがちとは言え、4年は鍛えた空手の技を全力で活かし、鼻と顎と肋の骨を打ち砕いてやり尚かつ倍額で賠償させたい気分ではある。

が。

俺が通り魔やテロリストでなく社会人であるならば、「それではただの傷害事件だ」とかいうレベルの話以前に、次のようなことも考えておかねばならない。

  • 通勤、通学でバイクを見つけていたと言い切れるか?真正面の現場に出入りする若い作業員、日常的に路地を集会するガス屋石油屋ピザ屋に寿司屋、運送業者にチラシ新聞配布員、何かの巡回セールスマン。カブの所在やマンションの状況を事前に知り得た人間はいくらでもいる。いずれも近隣の人間ではあるが、ごく近所とは言えず、個人が把握できる範囲ではない。
  • そもそも、「何度も訪れている」必要はない。一度だけ通って場所を覚えていれば十分だ。しかも、その「事前に知っていたのでは」ということ自体も推測だ。
  • スーパーカブを盗んで乗り回すのは中高生、というのはありがちだが、必ずそうだと断言は出来るか?世の中には脳内が中学生レベルの社会人はいくらでもいる。
また、よしんば推測により犯人を絞り込めたとしよう。そいつが窃盗をした事実を証明するのはこちらの責任となる。警察権力も持たない俺に、どのように合法的に過去の窃盗を証明できようか。

簡単そうな手がかりは、まず放置されたであろう車体を発見することだ。車体を発見するのは並大抵ではない(つうか今日、一応近くでクソヤンキーが夜中に遊んでそうな河原やガード下は多少巡った)。

僥倖にも見つけたとしよう。張り込んだとしよう。これまた運良く、乗り捨てたヤンキーが部品取りや給油に訪れたとしよう。
バカ故にすぐ群れて、クソ故に逆恨みばかりのウジ虫どもに、リスクを犯して正面切って突撃だ。しかも傷害事件にならない範囲で立ち回りつつだ。
それでもこれまたさらに幸運なことに、取り押さえることに成功したとしよう。

ここまで、いくつの幸運を重ねたかわからないが、全部クリアしたとする。

それでも、そいつは必ずこう言い張るのだ。

「放置されているのを見て、遊ぼうと思った」

これだと、窃盗ではなく横領で、窃盗の被害者に対して賠償の責任は負わない。横領でなく窃盗であることを立証するのは、これまた嫌疑をかけている側の責任だ。そんな捜査力は個人にはない。

結局、窃盗の証明が出来なければ、横領で補導されるか逮捕されるかどうかは知らんが、バイクの原状回復はない。

それでは結局、骨折り損のくたびれ儲けというものだ。俺はバカの更生に手を貸したいなんて気持ちは鼻毛の先ほどもない。


警察は、多発するバイク盗難に対して、個別に捜査網を展開するなんてことは出来ない。しないというより、出来ないだろう。

だから唯一の希望は、盗んだバカがガス欠前に運転中に警察に捕まり足が付くか、良識ある親が息子の悪行に気づいて出頭するか(可能性はとても低いが)、そういうことがあった場合だろう。

この週末までに出なければ、もう無理だろうな…。


ちなみに、読めばわかると思うが、そういうわけで俺は腐れヤンキーは大嫌いであり、腐れヤンキーを美化した漫画ばかり乗っている青年誌も大嫌いであり、「ぬーすんだバイクで走り出すー」とか歌ってる尾崎豊も死ねばいいと思ってる。あ、もう死んでるか…。


ちなみに、バイクを盗まれたのは二度目だ。盗んだ方は度胸試しと一時の楽しみだけなのだろうが、盗まれた方はどうなのか。今回の俺などは車両価格と経済力から考えればだいぶマシな状況だ。若いうちや学生のうち、何年も必死にバイトして貯めた金でやっとバイクを買って、文字通りの「愛車」として何より大事にし、その後のバイク生活に夢を膨らましているピュアな若人もいるのだ。というか、世間のイメージは知らんが、族なんてのはバイク乗りではなくてただのゴミで、本来バイク乗りはそういう無邪気なくらいにピュアなメンズが多いんだ。だからバイク用品は子どもじみてセンスの悪いアイテムが売れるんだ。

そういう人びとを踏みにじるバイク窃盗を、「若気の至り」とか「やんちゃ」とか気楽な一言で済ますような、あるいは青春だとか複雑な家庭事情だとかで正当化するような連中は、ぜんぶまとめてクソだ。糞だ。はあ、はあ…。

…いかん。興奮して論旨がずれた。

ともかく、まず戻って来る期待は持てないし、戻って来ても元に戻してもらえる期待はさらに持てない。

因果な乗り物だ。

有り得ざる事が起きた

買って早々に跳ねられたスーパーカブだが、物損の見積りもとらないうちに今度は盗まれた。

保険会社も「方針を検討します」だとよ。…俺が盗難偽装したと思われると厄介だが、盗難保険もないしこちら被害者側なのでそんなことしてもデメリットしかないのは自明。

レッグカバーが外されていたところを見ると直結でもしたんだろうから、地元ヤンキーの仕業だろう。家の周囲では見かける事もなく安心してたのだが…。

車体が見つかり犯人も見つかり賠償もさせられる可能性は極めて低い。

もう諦めモード。
しかし盗んだクソガキは覚悟しとけよ、そのバイクには呪いがかかっているからな…俺の身代わりで死ぬがいい。くそ。

2010年1月12日火曜日

ある休日のささやかな悲劇

正月明けの三連休は、そのうち1日は遊びに行こうと決めていて、実際にスーパーカブでツーリングに行った。
それはそれで、なかなかつらいけど面白かった。

その充実感の余韻にひたりつつ、連休最後の日は家で家族とゆっくり過ごそうと決めていた。昨日、休日にも関わらず1歳の娘と留守番させてしまった妻を慮ってのことでもある。

食事の用意や片付けを省いて少しゆっくりしたいというのもあって、夕方、カブで近所のスーパーへ。妻は寿司がいいと言っていたから、パック寿司を物色。寿司屋で寿司、というのは1歳の娘がもうちょい育ってからだ。

買い物に行くといつも迷ってしまって時間が遅くなるのだが、今日はちょうど成人の日スペシャルの寿司がうまそうだったのでそれを2つと、寒ブリの刺身が美味そうだったから購入。寿司のともにいわし団子で汁を作ってやろうと考えていたから、そこに2、3切れ入れてブリしゃぶもどきも出来るかな、などとほくそ笑む。いやいや、脂が乗ってうまそうだから素直に刺身で食おうかな…。

店を出て、カブのリヤボックスに、寿司と刺身が崩れないように丁寧に収納し、帰路につく。といっても、わずか5分程度の道のりだ。今日は買い物も手早くできたから焦ることはない。

カブには防寒用のハンドルカバーを付けていて、それと軍手の併用で寒さを凌いでいるのだが、来る時、汚れた軍手を新しいのに取り替えた。この時、うちの軍手ストックから、ゴムの滑り止め付きをチョイスしたのだが、これが滑らな過ぎて操作性が悪い。

それで、帰りは距離も短いし、軍手をしないで発進した。

大通りを走り、家が近づく。いつも左折する交差点に差し掛かったが、なんとなく、もう一本先の路地へ。交差点を経由していくと、左折してすぐに三車線の右折レーンに入らなければいけないので敬遠する気持ちが働き、また原付だから路地を通るのに抵抗が少なかったのが選択の理由だ。(俺は、クルマの時はなるべく路地は通らない。)

路地とは言っても幅6mほどで両側に植栽付きの歩道が確保されている道へと左折で入る。突き当たって右に曲がればすぐ家だ。いつも買い物が遅いと言われる俺にしては早い帰宅に妻も喜ぶだろう。食事の準備をしない分、手が空いたら娘と遊んでやろう。

前方で細い路地が交差している。交差している方には一時停止に標識があり、そこに進んで来たクルマが停まった。この道からクルマが出て来ることは多くはないが、見通しはよく、増して暗くなりライトを点灯しているから見落とすようなことはない。

右手のクルマが一時停止を律儀に実行するのを見届け、俺は一瞬緩めたアクセルを戻し、そのまま交差点を通過しようとした。

通過しようとしたその瞬間。

視界の右端に映るクルマ、ミニバンが勢いよく加速するのをスローモーションのように認識した。

…あーあ、もう避けられねえ、なんでこういう日に限って…。

咄嗟に、衝突を予測した。回避は諦めていた。バイク歴は長いし、事故に遭ったことも一度じゃない。これは、もう避けられないということはわかって、ただ残念に思った。寿司、中トロ入ってたのに。

ただ、自分の速度と先方は発進直後という兼ね合いから、そう大事故にはならないとタカを括ってもいた。


が。


「バン!」

と耳をつんざくような大音響。そして予想より大きな衝撃。

右側面、真横に、真正面から突っ込まれたのと、パワーのありそうなミニバンでなかなか躊躇いのない発進をされたせいだろう。力積が大きい、そんな感じだった。

身体が浮き上がったのか、自ら飛んだのか両方かはよくわからないが、とにかく吹っ飛んだ。地面に落ちて、すごい勢いで横回転した。

で、最後がいけない。

「!」と、音にならない衝撃とともに回転が止まった。どうやら、歩道の先の壁に激突したようだ。

ヘルメットは半帽型で、とっくに吹っ飛んでいた。…と思う。脱いだのか、よく覚えていない。いずれにしても、顔面を守る役としては不足だった。

顔面を抑えてうずくまる。耳鳴りがして、真っ暗でわけがわからない。なんだこれは。こんなことは今まで無かった。

とりあえず身体を起こして、立ち上がりたい。そして状況を把握したい。だが、やけに暗くて方向感覚が定まらない。夜の事故はこれだから!

くそ、と思って尚、立とうとするが、足に力が入らない。腰が抜けているんじゃない。右足、バイクとクルマにまともに挟まれた右足が、感覚がなくて言う事を聞かない。ぎょっとして手で探り、とりあえず「足」が付いていることを確認したが、それ以上は恐くてすぐに調べてみる気になれない。

そうこうしながら立とうとするが、無様に身体をくの字にするだけで立てない。そうか、左手で顔面を抑えて悶絶してるからか…。

人が駆け寄ってきて、「だいじょうぶですか!」と何度も聞く。うるさい。大丈夫じゃないことくらい一目でわかるだろうが!「生きていますか?」という意味なら、死んでないことも一目でわかるだろう!何を聞いてるんだ!どう答えて欲しいんだ!

少し、状況がわかってきて、手を付いて横座りになり、地面を見つめる。平衡感覚は取り戻しつつある。でも何かおかしい。

で、気づいた。

左目が見えない。左目を覆っていた左手を離すと、血まみれの手が右目で見えるが、左目は闇のままだ。

なんだこれ?なんなんだ?

左手で左目あたりを探るが、別に何かささっているような気配はない。瞬きしてみると出来ている感覚もある。でも見えない…。


ある意味で諦めが早いのか、悲観主義者なのか。

左目と右足がお釈迦になってたらどうすっか…まあ、プログラマは続けられるか…なら妻と娘が食えなくなることはないか…でも、娘が育って、パパがそんなじゃ可哀想だ…不安定なところがある妻は堪えられるだろうか…などと絶望的な気持ちになる。

その間も「だいじょうぶですか!」と必死で絶叫する声がするが、…いろんな意味で大丈夫なわけねえだろうが…。

救急車と警察が呼ばれ、救急隊員が事故状況をざっと聞く頃には、わりと平然と受け答えできるようになっていた。周囲がぜんぜん見えないのは、眼鏡が吹っ飛んでいたからだと気づき、眼鏡を…歪んでるのを無理に直してかけたらものが見えるようになった。左目もぼんやりと見えるようになってきたし、右足もグシャグシャではない。

なんだ…だいじょうぶじゃないか…そういう安堵も湧いた。

ふと、携帯がないことに気づく。持って来てないんだ。すぐ帰るつもりだったから。妻は家で寿司を待っている。そろそろ帰りが遅いと思い始めているだろう。でも、ごめん、ぐちゃぐちゃにしてしまったし、戻ってもう一回買うのもちょっとキツい状況だから先に何か家にあるものを食べて。そろそろ食べないと子どもも愚図り出すし…。そう連絡したいが…。どうしたものだろう。

目と足がついてたからと言っても、まともに頭を打ってるので、病院には行くべきだろう。血もそれなりに出てるし。縫うほどではなさそうだな…と思いつつ、顔面から、手が真っ赤になるほど血が出てるのを処置なしで済ますわけにも行くまい。見れば両手にも傷が。…軍手でもしてりゃマシだったものを…まあ、折れてはいないからいいか。

救急車に乗せられ、隊員に、家がすぐそこだから寄って欲しいと頼むと受け入れられた。いきなり救急隊員がインターホンを押せば妻は動転するだろうから、俺が行きたかったが、担架に縛り付けられているので無理だった。

子どもの頃に一度だけ、額に大けがをして救急車に乗ったことがあるのだが、その頃に比べるとずいぶんいろんな装備が増えてるなあ、と感心しながら車内を眺めていた。

後ろのハッチが開き、妻が、1歳の子どもを抱えて乗り込んで来た。こんな大げさな状態じゃ不安にさせてしまうなあ、と心配しながら…ごめん、寿司は吹っ飛んでしまった。重症じゃないから病院からタクシーで帰る。あるものでご飯食べて、ひっこと寝ていてくれ、と伝える。子どものキョトンとした顔が哀しかったが、まあ…これが今生の別れにならなかっただけ、十分にOKだろう…と思い直した。

そうは言っても、実際のところ、この時点での俺の頭はまだだいぶ錯乱していて、救急隊に伝えて自分の携帯番号も間違っていたくらいだ。

バイタル正常って言葉もかっこいいな、なんて場違いな感想を抱いてるのも、混乱から回復しようとする自己規制だろうな、とも考えた。

一方で、救急車に乗ってから落ち着きつつあり、しばらくしたら左目の視力もすっかり戻った。右足も痛いが、動かせるのでやはり大きな骨折などはなさそうだとも。


その後、搬送された総合病院で足や頭のレントゲン、それに念のため頭のCTを撮り、まず無事であることを確認した。頭のCTは…後から水が溜まったりするのはわかりません、と前置きされたが、まあ大丈夫だろう。

ただ、救急車に乗ってる間に無線から、「交通事故被害者が、なんともないと言っていたが帰宅して数時間後にめまい、嘔吐…」なんてのが聞こえていたからちょっとビビったが…。

額の傷が、おもに擦過傷だが、抉れているところがあり、傷跡が残りそうだと言われた。まあ、既婚だからそう悲観することでもないか…気持ちよかないけど。

結局、あれこれ処置して、警察行って、家に帰ったのは9時頃。自分の食事はなかったので、ちらし寿司と思えばいいかと自分に言い聞かせて、グシャグシャの寿司を適当に摘みながら、娘を寝かしつけた妻に事後報告。

ともかく、半帽だったこともあり、一歩間違えば命を失うか五体満足で済まない可能性が低くなかったわけで、なにせ無事?で良かったということでエビスを飲む。

ま、結局、調子こいてこんな日記を書ける程度で怪我も済んだのは、本当に不幸中の幸いだ。

…そうは言っても、今も左の額からドロドロとリンパ液が漏れ続けてるし、左のまぶたが腫れて試合に負けたボクサーのようだ。顔が腫れて熱を持っているからか、歯が浮いて痛み、飯も食い難い。右足もやけに逞しく腫れ上がっててまともには歩けない。

さっき、ようやく風呂に入るために、額のガーゼを外して初めてじっくり鏡で見たら、なるほど眉尻のあたりが思い切り抉れていて、これは確実に跡になるなとガッカリした。
べつに、この前のエントリーで「美しい」とか言ってのはネタだからどうでもいいが、ともかく目の横から額にかけての擦過傷は傷が浅いので、奇麗に治ってくれるといいなあ。
鏡に映る顔は、まるで四谷怪談の岩だ。左の瞼が赤黒く腫れて垂れ下がり、その横から左額全体が凸凹してヌメヌメとしている。

過去にも、もっと激しく吹っ飛んだことはあるのだが、こんなに厄介なことになったっけ?と思ったら、過去の事故ではいつも、JIS C/スネル規格のフルフェイスヘルメットを被っていたんだよなあ。ヘルメットのファイバーが出て来るほど削れたこともあったけど、いつも顔は無傷だったし、事故後に前後不覚になることもなかった。

とりあえず、ジェットでもちゃんとしたヘルメットを買おう…二度は御免だが、万が一次があった時、死んでからでは後悔も反省もできない。


…ちなみに、8歳の頃に、左の額を事故で強打して大怪我をしたが、その時も岩のようだと両親に言われた。顔が腫れて頭がぼーっとして、前が見え難くて困った記憶がある。ただ、それが治ってややしてから、クラスで最下位くらいだった俺の成績はクラスでトップレベルに突然上がったという驚きの事実がある(笑)。

今回の強打でまた頭良くならないかなあ。元に戻ってバカになったら嫌だな。

2010年1月9日土曜日

クリエイティブということは

クリエイティブであるということは、主観的であるイメージがあるけど、実はとても客観的であることだ。

…というような話を、今日、たまたまテレビで見かけた誰かが言っていた。なんか大学のゼミ?イベント?のようなもので学生に指導していたなかの一コマだったような。

15秒くらいしか見てない(「いないいないばあ!」の録画に切り替えた)のだが、冒頭の話、なるほどなあ…と納得した。

おそらく、語っていたのは「佐藤可士和」という人で、このプロジェクトの一環で学生を指導している様子のドキュメント番組だったっぽい。この人、Wikipediaで見たら経歴すごいな。デザインや広告に疎い俺でも知っているものが多いし、毎朝見ていてなかなか面白いキャラクターだと思っていた「えいごであそぼ」のモッチーケボーも作品のひとつらしい。俺は一見汚らしいけど実は何でも出来る器用かつマッチョなケボーがクール過ぎで好きだ。


それはそうとして、「クリエイティブ」という言葉。

一般には、絵的なものをデザインする職業の人、あるいは芸術家に対して用いられるイメージがあると思う。それはだいたい正しいだろう。

ところで俺の仕事はシステム開発だ。短絡的に言えばプログラムを書く仕事だ。論理の顕現であるかのような存在、プログラムコードを書く、書くために設計する、テストする…そういった仕事。

これはアートのようなもの、音楽やグラフィックデザインのようなもの、そういったクリエイティブと言われる仕事と対極をなすと捉えられることが多いのではないか…と俺は思っている。

しかし俺は、プログラミングはクリエイティブな仕事だと考える。やってる人にはわかることだろうが、同じ機能を作っても、コードの書き方はいくらでもある。
よりよいコードは論理として美しく、そして並んだ文字を見たその見た目さえもが美しい。そのコードの振る舞いを記述した設計資料に書かれる図表も美しくなる。はずだ。

まあ、そうは言っても、言うのとやるのは大違いで、簡潔にまとめた要件を奇麗な設計で実装していた…はずなのに、修正を繰り返すうちにいつのまにか自己矛盾の臭いに蓋をして積み上げたガラクタ置き場のごときコードになってしまうのが常ではあるのだが…それは結果であって、そうなってしまうものに対して「美しい完全性」を追求して具現していこうとする姿勢がつまりクリエイティブだと思うのだ。

ただ、市場も何も厳しい中で、プログラマ風情が「クリエイティブでなければ」などと宣ってみても、会社や同僚からは「寝言言ってないでさっさと要るモノを作れ」と言われかねない。

しかし、そういった見方に対する回答が、先の一言にあるように思った。

よいシステムには、いかにプログラムの中に自分の思い込みを埋め込まないかが求められる。要件の確定、設計、コーディング、テスト、あらゆる段階で思い込みは封入され、それはバグという形で現れる。

つまるところ、思い込みを排除し、あるべきもののあるべき姿や振る舞いを適切にコーディングできれば、それはよいシステムになるのではないか。

創造とは、自分の外部に自立した何かを生み出す行為であるならば、これは常に主観の外にあるものだ。
ならば、開発者自身の手を離れて他人のために仕事をするプログラムを作るという行為、これは間違いなく創造的な行為であり…”クリエイティブ”な行為であるべきだ。

…冒頭のがちょっといいフレーズだったから会社で部下に蘊蓄垂れようとメモするだけのつもりだったのだが、なんだか我ながらイイ感じの話にまとまったな。…と自己満足して寝ることにする。

I am beautiful

俺は美しい。

この驚くべき事実に気がついてしまった。
神よ!なぜ今まで諭してくださらなかったのか!

…いや、気は触れてない。


少し前に以下のような記事をたまたま見つけた。
「2002年にデンマークでサービスを開始した「BeautifulPeople.com」 は、自分の外見に自信があり、「外見的に魅力的な人としか出会いたくない」という男女のためのエリート主義な出会い系サイトで、入会希望者は写真とプロ フィールを現メンバー(異性)に審査され、多数決で「魅力的」と認められた人のみが入会を許されるというシステムになっています。」
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20091112_beatifulpeople/


「出会い系サイト」と身も蓋もなく書かれているが、実際には男女の関係を意識したSNS、むしろミクシィなどと同類であり、いわゆる「出会い系サイト」とは一線を隠している。

とは言えやはりしょうもないサイトであることには間違いないと思うのだが、こんなおもしろコンセプトを見せつけられては中が見てみたくて仕方ない。

で、適当に拾った写真で潜入する手もあったのだが、それもまた興醒めだのう…と、あえてちゃんと自分の写真で登録してみたのだ。まあ…ことの発端は先日の「ドリトス塩味はうまい」で、パッケージの写真をとろうとしたら携帯が手元になくて、でもベッドから出たくなくてMacBookの内蔵カメラの存在を思い出し…という気紛れでもあるのだが。

ともかく、MacBookの内蔵カメラ+Photo Boothでセルフ撮影して、登録してみたところ、合格?したので、冒頭の話になるわけだ。そうかあ、俺って実はしかったんだな…まあ薄々気づいてはいたけどな…。



ま、実際のところ、俺はいざとなれば写真を撮るのは得意だ。今回使ったテクニックを参考までに紹介してみよう。


前提というか、撮影にあたった時の俺は:
  • 23時頃まで仕事して0時過ぎに帰宅し、疲れ切った状態
  • 当然、ヒゲ伸びてきている
  • 髪は1日の汚れでペッタリジットリ
  • パジャマ+ユニクロフリース
  • ベッドに入って身体を起こして
  • ドリトスを食いながらビールを飲んでる
といった、疲れ切ったサラリーマンを具現できるだけしたような状況だ。

が、写真を撮るにあたり、
  1. 髪はグシャグシャといじって「天然ワックス」で整え
  2. 手元にあったパジャマシャツを首にふわっと巻いてオシャレ感を出し
  3. とにかく嘘でもいいから「俺はかっこいい」と自己暗示をかけて表情を作り
    (ここで吹き出しそうになるのを堪えるのが肝要)
  4. 数枚連写で良い写真を選び
  5. iPhotoで色調を調整して肌色を良くし
  6. さらにエフェクトで画質を落としてパジャマなどのディティールが一見ばれにくいようにする
などといったステップを踏まえて絵を用意した。


これくらいやれば、ネットに1枚載せる写真程度はどうとでも…。


さて、肝心のサイトの中身だが、自分が登録時にやられたように、登録後は新規の(世界の女性)を格付けすることになる。これは一瞬面白い。…飽きるけど。

システム的には、なかなか先進的だ。美しいマルチウィンドウ風のU/IはすべてCSSでのレイヤー+Ajaxを用いて実装されているようで、ブラウザの1つのウィンドウ内に別のOSが起動したかのようだ。

だが、その品質はかなり香ばしい。

特にIE以外ではスクリプトエラーが多く、またサーバのレスポンスもイマイチで、通信が滞るとあちこちの処理が引っかかるようで挙動不審になる。やけにセッションが切れるのでもしかしたらサーバを再起動でもしているのか、ロードバランシングに問題でもあるのだろうか?
挙げ句、検索がタイムアウトしたら.NETのものらしいスタックトレースが思い切りウィンドウに出力されるという、Webアプリケーション脆弱性診断を受けたら「危険度:高(緊急に対応が必要)」とかレポートが来そうなクオリティだ。

あと、ユーザ数はそこそこいる(世界で50万人以上とか)と言っても、多くは(俺同様に)ひやかしで、ただアカウントを作っておしまいなのかなあ。という雰囲気を濃厚に感じた。写真が明らかに別人(グラビアなどの切り抜き)なことも多い。

…アイデアというかネタとしては面白いけど、まともに発展定着するにはやはり無理があるよな…。

でも、例え品質がイマイチでも、突っ走ったU/Iは参考になった気がする。うん。

2010年1月5日火曜日

ドリトスの塩味がうまい

いや唐突だけど。

ドンタコスじゃないよドリトス。ドリトスはドンタコスなんかよりずっと歴史があるんだから。たまに逆だと思ってる人いるけど。俺はドリトスは20年以上前から「ベスト・オブ・スナック」の1つに数えている。

ちなみに、他のベスツの例は「元祖たこやくん」だ。現在は「たこ焼き亭」で、これもウマいがオタフクソースとコラボしたためかかつてより甘くなった気がする。俺はたこやきくんの味の方が好きだった…というくらいに、フリトレー派なのが俺だ。

で、そのドンタコスの塩味というのを年末年始に食っていた。普通、ナチョチーズ or メキシカンタコス味だよな?でも塩味があったのだ。原産国オーストラリアと書いてあし、パッケージは英語だらけだから国内では普通には流通させてないものだろう。逆輸入車みたいな。

俺は輸入菓子マニアでもないのでそんな存在は知らなかったのだが、年末に会社の納会ということで会議室で軽く飲んで、その時に用意されたお菓子の中にこれを見つけ、未開封だったので持って帰ったというのが入手の経緯だ。

で、休み中、そういやこんなのあったわと、嫁と一緒にバリバリと食ってみたら…うまいよコレ!コーンの味がストレートに生きている。「トルティアチップス」の原点回帰。

これ普通に売ってくれたら俺は昼飯にしてもいいんだけど。学生時代はナチョチーズ味を昼飯にしたりしてたが、今の俺にはアレを一袋は強烈過ぎるし。この塩味ならばいける。

販売希望とフリトレーにメールを書きたいくらいだ。皆さんももし発見したら、ちょっと袋でかいけど迷わず買って試すがよろしい。

2010年1月3日日曜日

原色卑近生物図鑑シリーズ カマドウマ

この時期にこんなものが道路にいるとは。しかもこれ幼虫じゃない?
暖かい屋内で育ったものが年末年始のゴタゴタで放り出された?

浦霞

この年末年始は浦霞を飲んだ。
…ヨークマートの酒コーナーに並ぶ小さいボトルでいちばん美味そうな気配のをチョイスしただけだが。

仙台の方、宮城県塩竈市の酒ですな。

日本酒は正月しか飲まない上に、例年、小さい瓶でも飲み残してしまうのだが、今回は飲みきった。
つまり旨かったということかな。

味はまあ、特別に辛くも甘くもないというか、まあ、日本酒を飲み慣れない俺なんかがそう感じるということはそこそこ辛口なんだろうけど。

…なんつってたら気になってきたから検索したら蔵本のページがあった

日本酒度+1〜+2だそうだから「そこそこ辛口」はだいたい正解だろ。俺の舌もそうバカじゃなさそうだ、イヒ。

あと目を引いたのがこの純米酒浦霞の原料米は「まなむすめ」というのだな。知らずに買ったものだが、愛娘を撫でくり回して過ごすと決めた正月にはうってつけだったではないか、ははは。

ラベルにある句によれば「浦」が指しているのは塩竈の浦、つまり松島あたりのことだ。松島には若かりし頃にバイクで旅したことがある。遊覧船は苦笑するところもあったが、確かに絶景だった。裏松島ってところが静かで良かった覚えがある。

また、その塩竈には塩竈神社があるのだが、これは俺の職場が移転する前、会社から徒歩2分くらいのところで毎朝突っ切ったり、たまに境内で昼にペヤングを食ったりしていた新橋の塩竈神社の総本社だそうだ。名前からして繋がりがあるのかと思いつつ、なぜ新橋に?と思っていたが、航海の安全(と安産)を司るそうだから、そのあたりなのかな?新橋も港区であり、今は少し海まで距離があるが、埋め立て前ならもっと近かったろう。


俺は船には乗らないが、浮き沈みの激しい業界の荒波に飲まれぬよう、自分の信じる価値観という羅針盤を見失わぬよう、塩竃神社にもあやかりたいものだ。

…と、上手い事言ってまとめてみようとしたが、神社の近くで作ってる酒を飲んだだけで、神社には1円の賽銭も柏手一つもくれてねえでご利益に預かろうと言うのは無いか…。

ま、ともかく浦霞はなかなか気に入った。


2010年1月1日金曜日

煮豚のレシピ(ドクターペッパー使用)

タイトルはわかりやすく付けた。
俺の付けた正式な料理名は、「豚ロース肉のドクターペッパー煮込みジンジャー風味貴族風」だ。

え?何か違和感を感じるかい?いや読み間違いでも書き間違いでもないぜ。イエス! メンズ・キュイジーヌ with Dr.Pepper!だ。

…まあ、こんなものを作ろうと思った経緯を一応書いておくと…
なんとなくここ数年の習慣として、大晦日には煮豚を作って正月などに食っていたのだが、今年は手を抜きたくてですね。ちょうど年末に炊飯器を買い替えたので、いらなくなった古い炊飯器を使いつつ、極力簡単でかつうまそうな、それでいて今年の短い冬休みの中でちょっとした遊び心を満たすレシピはないか、と思案した結果である。

さて。

最初に言っておくべきことは、俺はゲテモノを作ろうとしてるのではなく、真面目に正月に美味しく味わうための料理を作ろうとしているということだ。

その為にドクターペッパーをチョイスした理由、むしろ科学的仮説について述べておこう。

  • まず、前提として俺はドクターペッパーは飲み物として好物である
  • 世には、実は「コーラ煮」という調理方法は知る人ぞ知るお手軽&美味レシピとして存在している
  • ドクターペッパーの味は概してコーラに近いから、上記事実からすればドクペ煮もけして無謀ではない
  • ドクターペッパーのフレーバーは「20種類以上のフルーツ」だそうだ。肉の煮込みにフルーツを使うのは常道だ。
そう、背景的に考えて無理はない。

肉料理にドクターペッパー(コーラであっても)を用いる際の違和感として「炭酸」「甘い」があるかと思うが、
  • 炭酸は肉を柔らかくする効果があり、煮るうちには飛ぶ
  • 煮豚はそもそも普通に使っても結構多くの砂糖を用いる

という事実を考えれば、これらの点には何の問題もないことがわかる。

ま、そして重要なのはウチの冷蔵庫には既にドクターペッパーがあったということかな。無ければコーラを買って来た気もするわ。


ともかく、上記の通りの科学的推論により、ドクターペッパー煮込みは美味い可能性を支持する根拠はいくつかあるが不味いと断定する根拠は見当たらないという結論を得て、いざ実践というわけだ。

では、せっかくなので料理ブログ風に以下紹介。



まず、基本の材料だ。

ネギは青い所だけ。年越し蕎麦の薬味の残りだからとてもリーズナブルだ。

ドクターペッパーは500mlの1本。

豚肉は肩ロース、煮豚用にネット付きで売っていたもの。いつもは国産肉を買うことが多いが、今回はドクターペッパーとの相性を考えてアメリカ産をチョイス。
500gほどの塊である。

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豚肉は、表面に軽い焦げ目が欲しいのでまずフライパンで焼くことにした。焼こうと思ったら塩胡椒したくなって、塩と黒胡椒(細)をすこぶる適当に振りかけた。

強火で表面を焼き、粗いみじん切りにしたネギ(青部分)をトッピング。刻んだのはその方がエキスがよく出るような気がするからだ。

そして、ドクターペッパーを1本注ぎ入れて中火で沸騰させる。もう後戻りはできない。

沸騰し、灰汁が出たらすくって捨てる。あまり根気強くはやらない。作業中、甘い香りに多少不安になる。

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炊飯器に移動。一人暮らし開始以来、結婚を経て10年近く使い続けた無印良品の三合炊炊飯器(確か3500円くらいだった)には肉がそのままでは入らず、仕方ないので2つに切った。生ハムみたいで美味そうだ(つうかただの生だ)。

ちなみに無印の商品は安くても10年保つ、という良い話がしたいわけではない。実際、ずっと前から蓋の蝶番が壊れている。普通ならとっくに捨ててるだろうが、炊飯にこだわりがない我が家ではなんとなく使い続けていただけだ。

フライパンに残ったドクターペッパーには、煮込み時向けのフレーバー調整を施す。
まず、醤油を大さじ4追加。2さじ入れてからは、味を見ながら。4さじでも「甘いな」と思ったが、醤油を入れても甘さが消えるわけではなく、却って強烈な味になる恐れがあるので止めた。

さらに、風味付けにと焼酎貴族トライアングルを50ml程度注いだ。炭酸飲料と甲類焼酎の相性はいいはずだ。

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フライパンからドクペ汁もネギとともに注ぐ。そのままでも良かったのだが、つい「せっかくだから」という欲が出て、冷蔵庫を開けてアドオンできそうなものを物色。

チューブ生姜を4cmほど、ニンニクを2欠片、鷹の爪を少々を追加した。

少なくとも見た感じはだいぶいい。

蓋をして、炊飯開始。ちょっとドキドキ。と言ってもクッキンアイドル的に「たまの失敗はスパイスかもね♡」とか余裕こいてはいられない。失敗したら正月のもっとも肉々しいツマミがなくなってしまう。ちなみにクッキンアイドルは俺が趣味で見てるわけじゃない。最近のNHK教育の子ども番組はお父さんを籠絡しようとしているのかとしばしば感じてしまうが俺は落ちてはいないと言っておく。

スイッチを入れてから年越し蕎麦を鴨ネギで作って食っていると、炊飯器から非常に良い香りが立ちのぼって来た。…あきらかに生姜とニンニクが食欲をそそっている気がするが、ベースラインにドクペがいるはずだ。美味そうだ。

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そして1時間後。

切って見るとなかなか良い感じだ。

もう少し時間短くても良かったかも知れない(保温でしばらく放置してしまったし)。

と思ったが…

一切れ試食してみると、十分に柔らかい!そして、美味い!

結局、ドクターペッパーの味自体は、甘さ以外はほとんど消えている。その甘さも、確かに甘いが、別に悪い状態じゃない。表面は甘めで、薬味がぴりっと効いているが、頬張ると豚肉本来の甘めの風味が広がり、ラストノート(笑)に20種類のフルーツフレーバー由来の仄かな香味が。

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寒い部屋で冷やしてあったのを晩のツマミとして切った。冷えてると油が固いからレンジで温める方がいいかも知れない。…が、そこはまあお好みだな。

そのままでもイケるが、薄めの味なので粒マスタードやマヨネーズを添えて食ったりした。

…本当は普通に和辛子を付けようとしたら無かっただけだが。

とにかく、「食えなくない」という意味じゃなく、あくまでもポジティブな評価として普通に、いやかなり美味いし、俺が過去に作った中ではもっとも美味かった。


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結論、仮説は正しく、ドクペ煮込みは美味い。最高の調理法でないのは確かだが、仮に上記のレシピの「ドクターペッパー」を「水」と読み換えて作ったら、それはそれで食えるだろうが、このコクは出ない。そういう意味で十分に美味いと言える。

ただ、たぶんコーラの方がもっと美味いだろうなと思う。食った感じと、脳内でコーラの味とドクペの味を足し算引き算すると、そんな気がする。次はスタンダードにコーラで煮てみるかな。


あと、煮豚の煮汁は保存して再利用することが多いだろうが、ドクペ汁は敢てそうしたいと思わなかったので、捨てた。最初の炭酸がないと意味がないし。