2009年10月27日火曜日

ヘソのゴマ掃除

ヘソのゴマを取るのが好きだ!

…。

って叫ぶほどのものじゃないんだけど。

俺はヘソが結構深い。出臍よりいい気がするが、ちょっと普通より深いと思う。だからヘソゴマがたまり易い。

結構、溝のようになっている部分などあり、奥の方は固いゴマが出来ていたりするので、たまに掃除する。よく、「風呂入ったときにタオルを指に巻いてくるくると」なんて言うけど、そんなんじゃ全然届かねえよ。

俺はピンセット派だ。ふやかしてしまうと千切れて取れないから、むしろ乾燥しているままでこう、摘み取る。ペリペリって。…妙だけど、けっこう面白いんだコレ、ははは。

気になって検索したら、本格的にたまる人はもっと凄いことになるみたいだ。俺のヘソのゴマは悪臭はしないし、”小豆大”になったりはしないから、まあ全然ノーマルな範疇なんだろうな…。

よく取れたのでつい携帯でマクロ撮影してしまったが、汚いので載せるのはやめておく。

ちなみに、今回へそ掃除を思い立ったのは、1歳の愛娘が俺のヘソを見つけると、人差し指を「すぽ。」と突っ込んでくるので衛生的にしておかなくてはいけないからだ。

2009年10月24日土曜日

ニュースソースは書かない

なぜならば面倒臭いからだ。

たまたま目についたいくつかのニュースについての感想。風邪がなかなか治らず遊びにいけないから暇つぶし的に。


其の一 検察は怖い

これはいい意味で、です。
押尾被告、高相被告の裁判レポートを見て。「ノリで」なんて理由は許さねえ。と。




其の二 死刑は反対

どっかでまたアンケートして、大多数が賛成だと。

「被害者の人権はどうなる」という声が多いようだったけど、加害者を殺しても被害者の人権は回復しないだろ。それで回復するならば、逆に言えば、痛烈に傷つけられた、大事なものを奪われた、そういう人間が、己の権利を主張するために他人を殺すことに正当性がある、ということを認めてしまうことになる。

加害者を殺して被害者の気持ちが晴れるなら殺していい、というのは、とりもなおさず、本質的に加害者を正当化していると、俺は思う。だからダメだ。どんな理由があっても人は殺してはいけない。ならば、刑でも例外ではない。

…とは言え、俺が死刑に反対する大きな理由は、冤罪というものが必ず存在するからだ。この可能性というものが理解できない野蛮人の社会には死刑がお似合いだろうが、社会は進化しないといけない。




其の三 エコナが不健康だったらしい件

出荷停止?とはまた大仰な、と思う。だいたい、発がん性につながる恐れのある物質を含むくらいで出荷してはいけないのなら、スーパーの棚の大半は消さねばならないのではないか?有機栽培だの天然原料なら大丈夫と思っているバカがいるようだが、そんなことはない。自然のものでも発がん性も毒も、あるものはある。化学的な毒も、あるいは病原菌も。

狂牛病ブームの時に、みんなあれほど牛肉を避けたのに、いまはすっかり忘れて焼き肉ざんまい。それと同じだろう。パニクり過ぎだ。生き物はリスクを避けずに生きては行けない。無駄にリスクを背負う必要もないが、瑣末なリスクに拘り過ぎることはしばしば、より大きなリスクに目を瞑ることにつながっている。

とは言え、エコナは、「健康エコナ」だったから問題なんだろう。そもそも、サラダオイル自体、神経質になるようなもんじゃないと思う。摂り過ぎは毒だろうが、それなら摂取量や回数を減らせばいいだけだ。それを、過剰な健康幻想を付加価値にして売りまくったんだから、こういう場合こういうことになるわな。

…でもやっぱり、そもそもエコナくらいで健康になろうと、そんなものを当てにして縋っていた消費者が愚かだと、俺は思うけど。あるある大辞典の翌日にはブロッコリー売り切れとか納豆売り切れとかね…浅はかだろうがよ。

ちなみに、同じ理屈で、カロリーオフのビールとかもバカバカしいと思っている。カロリーが気になるなら、ビールを飲まないか、それでもビールを飲むならば、食い物を減らせばいい。その方が、ビールは美味いのが飲めるし金もかからないし、食事の手間や時間も節約できていいことずくめだ。


其の四 パソコン用メガネ

メガネがぼろくなって来たので買い替えようかと。パソコンを1日10時間くらいいじってる仕事だから、それに適したメガネってあるかな?と少し検索した。

あった。

まず、電磁波防止メガネ。…これは意味ないだろ。そういや、電磁波パニックも去ったのか…あれだけ氾濫していた電磁波防止グッズはすっかり日陰だな。そろそろ電車内通話も解禁して欲しい。


次に、「パソコン作業の特徴は、明るくて遠い画面と暗くて近い手元を頻繁に視線が行き来すること」として何か言っているものを見かけた。でも、それは、それでどんなアイテムが出てくるかを見なかった。だって、俺はキーボードは見ないし、手元の資料も見ない(資料はすべて画面の中)。そんなトウシロウではないわ。

結局、普通のを買おうと思う。でも、今掛けてるの5000円だったから、次はも少し良いものにしようかと思う。

2009年10月18日日曜日

イヤホンを新調

最近は通勤電車内では、文庫本を読んでいることが多いのだが、字を読む気にならない時などは、あいかわらずiPodで音楽を聴いたりする。

音楽に対するコダワリはだいぶ希薄な方だと自認しているのだが、聴く以上はそれなりに聴こえることが望ましい。

で。

iPod付属の白いイヤホンは以前から評判が悪い。確かに、ちょっと独特の音のような気もする。籠ってるというかウルサいというか、どこかで「アメリカンな音」という評を見た覚えがあるが、そんな感じ。コーラみたいなテイスト。でも俺はそんなに嫌いじゃない。コーラもハンバーガーも好きしな。

でもイヤホンはしばらく使っていると壊れるもので、その後、量販店で通りすがりに、2500円くらいでオーディオテクニカのインナー型を買った。白くてちょっとカッコいいやつ。

…これが、すっげえ音が悪い。低音が本当にないというか、高音がキンキンと耳障りというか。イコライザを使って相殺するようにして使っていたが、ある日、家の中で古いCDウォークマンに付属していたものが発掘されそれを使っていた。これも廉価モデルでまあ安っぽい音なんだが…。

で、それも断線したので、アマゾンで昨日これを買った。




レビューを見るとそこそこいい評価だし、なにせ980円!まあ、どう転んでも今まで使ってるのよりはいいだろう…と。

で、今日、さっそく届き(早いわマジで)、試してびっくり。

実にいいよ、いい!

まあ、もちろんコレより上はないなあ、というほどいいわけじゃない。少なくとも、もう1個持ってる6000円くらいだったヘッドホンの方が明らかに良い音だ。

でも、2400円のオーディオテクニカのよりは断然いい。つうかオーディオテクニカのが悪過ぎるのだろうが…。

少なくとも、通勤中に聞くためには何の不満もないレベルだと思った。1000円しないのになあ…。


ちなみに、買う前後に少し調べてたら、イヤホンでも「エージング」と言うことを習慣というのが一部に存在することを知った。

aging、慣し運転のようなものだ。しばらく大音量で鳴らしておくと、機械部品が馴染んで音が良くなるとか。

いまどき、クルマだって慣しなんていらない(少なくとも俺はクルマ買った時、ディーラーに不要と言われたし、説明書にもそんなことしろと書いてなかった)。

イヤホンが、ダイナミック式で、内部に空気振動を発生させるための”動作するもの”を保持しているとは言え、歯車やベアリングが入っているわけではない。

…結論、エージングなどというのは妄想だろうと思う。しかし、そんなことで延々と音が良くなったのならないのと騙れるマニアというのは幸せだろう。

俺も釣り道具や、まあ以前だとバイクの話なら、冷静に考えると論理的に実効性があるとは認め難い何かについて真面目に悩んだりもしてたから。多少は。


でも、自覚が必要だよね、自分は非論理的なことを言っているという。それがないとうざいわ。

白いたい焼き

最近、ちまたで人気の白いたい焼き。

白いたいやき、と検索すれば、元祖を名乗るチェーンがいくも見つかるだろう。

そのうちのひとつが、ウチの近所にも出来たので、娘の散歩がてら買って来た。

写真…は別に載せなくていいな、珍しくもないので。

こんなの(Google画像検索)

アンコとクリームを食った。

味はまあ、うまいというか不味くはないというか。

でもね、確かに「モチモチしてる」と評判で、その通りモチモチしてるんだが…つうかこれ、餅そのものだろうがよ。

妻は餅が大好きなので「普通のたいやきよりうまい」と言っていた。俺は、餅も好きだが小麦卵系の菓子の方がより好きなので、断然、普通のたい焼きの方がうまいと思う。

いずれにしても、「白いたいやきはたいやきではない」という点だけは、意見が一致した。

あれはたいやきじゃねえよ。鯛の形してて焼いて仕上げているという意味での鯛焼きならその通りだが、菓子としての鯛焼きとの共通点は形と「アンコ系」というだけだ。鯛の形をさせたところに錯誤を誘う意図を感じる。俺はこういうの嫌いだ。

白いアンコ菓子なら十万石饅頭の方がよほどいいぜ。

2009年10月15日木曜日

幸運の豚

とかなんとか名前で売っていたものだったと思う。
真鍮のむくで、磨くとこのとおり美しい。磨いておくと福を呼ぶと。特に富を。

買ったのは確か…社会人になりたての頃か…?

少しは自由になる小銭が増え、しかし自由になる時間は減り、一時期、休日に用事がないので賑わった街に行ってみて、雑貨など見たり何か食べたりしてみるという、とても健全な文化が俺の中に珍しく定着しかけていた(が定着しなかった)、そんな頃だったと思う。

どこかの新しい駅ビルかなんかで、いっちょまえにビジネスマン的黒くてうすべったい、しかしオシャレな鞄でも買おうかと物色していた通りすがりにオシャレ雑貨店の店頭にこの豚が置いてあって、まあ、形が気に入ったのと、中学生の頃に技術家庭の授業で真鍮の文鎮を作り、ピカールで熱心に磨くのが意外と面白かった記憶が蘇って磨いてみたくなったため、500円くらいで買ったのだ。

その後、数度の引っ越しやら何やらあっても、他のどうでもいいオブジェとともにずっと目につく場所に置いてある。ふと気づくとすっかり錆びて曇っており、いつも視界に入っているのに稀に思い出したように、実際に突然思い出して、研磨剤で磨く。毎日見ているものの存在をある日突然思い出す、というのは文章にすると不自然だが事実としてはまったく自然だ。

真鍮は曇っているとただの薄汚れた金属だが、ちょっと磨くと本当に金のように光るから、なにか妙な達成感が感じられて面白い。大掃除や洗車の達成感と似ているが、もっとわかり易くお手軽な感じだ。

そんな程度のものであって、そもそも幸運の豚だのラッキーピッグだの言う呪い事には頓着していない。

俺は子供の頃から、血液型占いも星座占いも鼻毛の先ほども信じてはいないし(もっとも、最近はそれは公言しない)、紙に願いを書いて吊るしたら叶うとか、石を袋に入れてもってたら幸せになるとか、紐が切れたら願いが叶うとか、そんな類いのものは足の小指の割れた角っちょほどにも信じてはいない。

しかし一方で、この豚はかれこれ、10年近く俺の住まいに鎮座し、年に数回程度磨かれて来たのだ。これを磨くときに、これを買ったときのことを必然的に思い出すのは事実だ。

10年そこら置いてある小物は他にもいくらでもあるが、この真鍮の豚は、曇りきって埃っぽく煤けた金属が見る間に鏡面のような輝きを取り戻す様が時間を巻き戻すようだから、尚更に記憶の遡行作用が顕著なのだろうか。

とは言え別に、実は別れた彼女と買いに行ったとか、そんな切なく愛しく甘酸っぱい思い出があるわけでもない。

ただ、あの時の俺について思い出せるのは、まず給料が今よりだいぶ安かったということだ。

今はそれよりはだいぶ貰っているし、仕事の内容自体も面白い。家庭を見れば、どちらも可愛い妻もいりゃ子どももいる。そう、何もかもが最高というわけじゃないんだろうが、このご時世にボチボチ、悪くない暮らしをしているなという実感はある。

俺は将来の計画を思い描く習慣がほとんどないから、予想したより良い、とか悪い、とかはない。

ただ、現状を見て、少なくとも悪くはなさそうだ、という感想だ。

そう振り返れば、豚を磨いてピカピカにしながら、これはもしかして幸運の豚のお陰かな…


なんてことはビタイチ思わない。ああ、思わないね。

豚を買った後に、仕事の面だけ見たって、二度の転職は二度とも円満とは言えず、キャリアアップだの何だのカッチョいい話ではなく、状況と感情に流されつつも、まあ、それなりの研鑽を重ねて今に至っているつもりだ。今だってけっして安定しているとは思っちゃいない。ほどほどに必死こいて何とか対処している。

俺には幸運の豚などツイてないし、ずば抜けた才気があるわけでもない。先祖の資産が俺にまわって来るなどということは1円も期待してねえし、今に至るまで有力な人脈の1つもないし作る気も活かす気もない。

己の無知と無能と不心得を自覚し、ただただ日々の精進、それこそが、俺のやり方だ…。




…なんてローンウルフでダンディな自分に酔いつつも、実はまた風邪ひいて今週は勝手ブロンズウィークで、二日だけ会社に行っても「あー、俺は脳がウイルスにやられているからそんな小難しい質問には答えられない」とかばかり言ってるあたり、俺の「常に何も極められないイマイチさ」は筋金入りだぜ、と自嘲し、またそんなところを自嘲する自分に酔う。


なに?短く言えば、ナルシストなんだろうとな?

HAHAHA!んなこたとっくに気づいているさ!