2015年9月16日水曜日

子育てが泣けるほど楽しい

娘はもう小学1年生。

学校も楽しいようで、毎日元気に登校している。先日授業参観にも行ったが、確かに楽しそうだった。

親の俺が言うのも何だが、娘はちょっと変わってると思う。世界に一つだけの花理論みたいなきれいごとではなくて、ちょっと変わってる。いつも空想話をして、空気が読めず、いきなり踊りだしたり、ちんぷんかんぷんな発言ばかりしている。動きもフニャフニャバタバタしてどこかおかしい。昔風に言えばトットちゃん、今風に言えば軽度の発達障害の気がある。

客観的に見るとふざけてるように見えたり、ひどくだらしなく見えたり、あるいはものすごく身勝手に見えることが多い。実際、行動はその通りだから、そうだと言われても否定は難しい。

だけど本人は、むしろいつでも至って真面目で、いろいろ考えて「きちんとしよう」と思っていて、そう考えれば考えるほど、子どもならではの知識の不完全さも手伝ってちぐはぐでおかしな行動をとってしまう。

親として見れば、ちょっと心配になるところもあるにはあるが、まあ微笑ましいものだ。なにせ本人はいつも至って大真面目なのだし。多少の空回りは健気にも見えてむしろ愛おしい。

学校でも、先生はおそらくよく配慮してくれてるのだと思う。よく出来たことは誉めてくれる一方で、きちんと出来ないことについて、注意はしても必要以上に責めたり罰を与えたりはしていない。ありがたくて、頭が下がる。

友達もちゃんといるようで。



・・・そうやって、不器用ながらアレコレ一生懸命な(傍から見たらサボってだらけてるように見えることもしばしばだろうが、本人としてはだいぶ頑張ってると思う)娘と、それをサポートしてくれてる先生、違和感なく接してくれている級友を見て、安心したり嬉しく思ったりする時に、一方でふと寂しく思うことがある。

いや。正直に言って、泣きたくなるほど悲しい気持ちがこみ上げることがある。







何で、俺の時にはそうじゃなかったんだと。

何で、俺が期待に胸を膨らませて小学校に入った時には、先生は俺を教室から追い出したのかと(俺の机は一時期廊下にあった)。

毎日男子とケンカして負けて、女子にはばい菌みたいに疎まれて、なのに先生すら味方にはなってくれなかった。俺は余りにも視野が狭く、自分が疎まれていることにすら気付けなかったから、先生のことは好きで、クラスの皆は友達だと思っていて、だけどあちらはそう思ってくれてはいなかった。気付けてなかったから悲しくはなかったが、いつも違和感があったし、やはり、どこか苦しいものはあった。

唯一、隣の隣のクラスのおばさん先生(いや、お姉さんだったのかも知れない)は、廊下で会うといつも声をかけてくれたり時には頭を撫でてくれて、幼心に「何なんだ」と思っていたけど・・・後から考えてみれば、俺の待遇を憐れんでくれていたのだろう。

その後、教師には「影がある」と言われ、女子には「根暗」と言われるようになった自分の性格を、その原体験に責任転嫁する気はない。たぶん、自分には元からそういう二面性がある。多弁で楽観的な部分と、寡黙で悲観的な部分と。

だから、幼いころの俺を義務教育の場で率先してクラスから弾き出すようなことをした若い先生を、今でも恨んではいない。それが、仮に俺の上履きがボットン便所に落ちていたり算数セットが消失したり、給食に雑巾が投げ込まれたりという日常を助長していたのだとしても、恨んだりはしていない。俺はどちらにしろ、自分で活路をひらいて、それなりに十分な稼ぎも得て、こうして愛すべき娘もいるのだから、かつての自分の境遇やそれに関わる人々に、感謝はしてもよいが恨みをもつことはないし、実際そんな気持ちはないのだ。

だけどふと、エキセントリックな娘にかつての自分を重ねる時に、寂しい気持ちになることがある。

妬ましいわけではない。ただ、戻ることのないかつての時間、疎まれながら過ごしていた幼い自分が少し不憫に思えるだけだ。良かれと思ったこと、頑張ったこと、出来たと思ったことが軒並み裏目に出て罰や嘲笑の的になっている少年の姿が哀しくて切なくて、少し泣きたいような気持ちになることがあるだけだ。

・・・まあ、そんなこんなを乗り越えたおっさんだから泣きやしないけど。


教育の現場にも未だいろいろ問題はある、政治にも社会にも、闇も病もある。だけど、それでも世の中は少しずつ良くなっているんだ、と思う・・・少なくとも娘が受け入れて貰えるような背景というのは、ここ10年ほどで大分進歩したのだろうし。

そう思えば、やはりそれは嬉しいことでもある。それが実感できるのは、楽しいことだ。

2015年8月21日金曜日

話題のオリンピックロゴ、やはりパクリだと思うの話

これ。



最近仕事が忙しくて全然知らなかったのだけど、妻に「おもしろいよ」と言われてニュースを検索したら本当に面白いことになってた。

それで、まあこれがパクリだろうと大勢の人が思っているわけだし、例の佐野氏のデザインのいくつかはもう言い逃れのしようもなくパクリというか著作権侵害のはずだが、ひとつ、特に気になっている点が。

このデザインをパクリではないと擁護する人達の大方は、

「T」という文字と〇(日の丸)をデザインしたらだいたいこんな風になるのだから、似ているのは偶然と考えるのが自然

みたいに言うということが非常に気になる。


そういうのはまさにコロンブスの卵という奴じゃないのかね。だいたい、見てしまった後でなら、「Tの字と日の丸だろ?なんの捻りもない」と思うのだが、見る前には、普通に誰でもこの形を思いつくわけじゃない。だから、デザインというのは難しいのだと思うし、そういう意味でこの図形はデザインとしてある程度優れているのだと思う。

・・・もちろん、自分はまったくデザインの勉強などしたことないし、そういう仕事ではない。でも、何でも手作りが当たり前だった90年代に熱心に個人サイト・・・・というか、ホームページを作り、ロゴを作ったりしていたので、アルファベット1文字であっても、それをロゴとしてデザインするのは非常に難しいということはわかるような気がしている。自分のような凡人がやると、巷にあふれるどんなものであれ、プロが作ったロゴに比べて遥かにダサいただの文字にしかならないのだ。それでいて、趣味の個人サイトに過ぎないのだからパクろうと決めてネタを探すと、どこにでもあるように見えるようなロゴが実はみんな明らかに違う個性を持っていて、「それとなくパクる」というのが難しい。

そういうわけで、2つのことを思うわけだ。

まず一つは、既に言ったように、このロゴは図形としては結構優れているのだろうということ。好きではないし、なんか暗いなとか思うけど、Tと日の丸という単純な要素から、単純かつオリジナリティのある形にちゃんとデザインされていると思う。

そしてもうひとつは、そうだからこそ、元ネタの美術館のロゴと「偶然似ている」とは思えないというこだ。「T」で図形にしたらだいたいああなる、などと言ってる人は、じゃあ他にどれほどあの形のTのロゴを知っているんだ?本当によそで見たことあるのか?


・・・でもやっぱり一番妙なのは、右下のグレーの△だよね。

元のベルギーのロゴは、「T」ではなくて「TL」だから左上と右下に▽と△みたいになってたはずだが、オリンピックでは「L」はモチーフにはなっていないはずで、だとすると、いったいあれは何なんだと。

ただ対角の隅を丸めた背景のようなもの、というなら、それこそデザインとして意味がないっつうか、素人がよくやりがちな「何となく対称形にしてみた」というやつだろう。・・・実際、自分は仕事がウェブサイトのプログラマだが、デザイナに渡す前の仮の画面に説明用のテキトーなデザインを施す際に、よくこの「左上と右下だけ丸めた四角に文字を入れる」というのはよくやる。いつも自分でそれをやりながら、「何とも安易な・・・」と思いつつ、俺の「デザイン作業」は別に納品物を作っているのではなく、「このプログラムはHTMLにこれくらい編集の余地があるよ」とデザイン担当に伝えるためのものでしかないから、別に意図も完成度も必要ないのでまあいいか、という感じでそうしている。


そう考えてくと、やはり、「よいデザイン」なのは元になったベルギーのそれやありがちながら絶妙な配色をしたスペインのグラフィックなのであって、それらにインスパイヤされて作られたオリンピックのロゴは、著作権侵害や盗用には厳密には当たらないのかも知れないけれど、やはり少なくともコピペ、二番煎じであって、素人よりはいくらかマシというような駄作なんだなと思います(笑)。




まあ、ついでだけどトートバッグの件とかも、「写真を拾って使うくらい」というトンチキな意見もあるみたいだが、素人が撮った写真だろうと著作権は自然に発生しているのだから、勝手に使ってはいけないし、それがデザインとして利用されれば「引用」とは言えないのだから、これは違法なはずじゃないかと思う。

それを言ったら写真は全部著作権侵害だ、とか言うのもまたひどい的外れで、風景は著作物ではないから、自分以外の誰かの作ったものが写っている風景それ自体が他人の著作権を侵しているということにはならない。もちろん、誰かの著作物が風景に映り込んでいるのではなくて、誰かの直作物を映した写真であれば、それは著作権を侵している可能性がある。ただもちろん、著作者がそれを許諾していれば問題にはならない。
そういうことをちゃんと分けずに糞も味噌も一緒で「細かく言うと皆グレーなんだからいいじゃん」とか言うのは、少し知恵をつけて大人ぶった小学生とかが陥りがちな愚かな思考だと思う。




2015年8月20日木曜日

たった1日で筋肉がつく、なんてことがあるんだろうか?

夏の初めに日光白根山に登ってひどく疲れたのは前に書いたとおりだ。

その後は太ももの前側がえらい筋肉痛になった。なるほど、山道を登るのにあたり酷使されそうな場所ではある。

で、その後、以前から週に2回前後で続けているランニングで、足が痛くならない。疲れるのはまあ疲れるが、足が筋肉痛にはならないし、走ってる時にも少し軽い感じがある。

自分としては少し長めの10キロとか走っても、やはり筋肉痛は起こらないのだ。以前は確か、翌日~翌々日あたりで多少は筋肉痛があったのに。

身体ってそう簡単に鍛えられるものではないと思っていたけど、元のレベルが低いだけに、1日のハードワークでも多少筋肉増えたりするんだろうか・・・。

2015年7月18日土曜日

日光白根山を玄人コースで登ってきた

世間が夏休みで賑わう前にと、昨年登ろうとして挫折した日光白根山に登ってきました。

昨年は同行のP君が電車でさいたままで来てから車に乗せて奥日光まで行き、それから登ったので登山口ですでに13時くらい、弁当を食べてから登り始めたため、そもそもまったく時間が足りませんでした。なので今回はその反省を活かし、前日夕方に湯の湖のキャンプ場へ行き、翌日早朝(と言ってもキャンプ場の登山客で最後の出発でしたが)からアタックしました。

結論から言うと、6:50分に湯の湖のキャンプ場(スキー場)から登り始め、前白根山を経由して白根山、そこから弥陀ヶ池へと下り、さらに五色沼に出て、そこから五色山に登り直し、国境平を経由して湯元温泉街に降りる道程で17時頃に下山となりました。

天気に恵まれすぎて非常に暑かったので、500mlの水を2本では不足気味でした。ケチっていたら白根山頂あたりでクラクラしてきて、たぶん熱中症直前だったのではと思います。そこで開き直ってある程度水分をとってしまい、多少楽になりましたが、最悪の場合は沼で汲んだ水を生で飲むつもりでいました。幸い、下りかつ午後で汗をかく量が減ったためか、なんとか下山までもちましたが・・・夏山で時間も長い場合、次回からは2Lは持ってこうと思います。

あと、経過をポチポチ書いておきます。


湯元スキー場の登山口で、ゲレンデを登り切ったあたり。ここからいよいよ登山道ですが、ゲレンデとはうってかわって今度はハード過ぎる急登になります。地図で見ると等高線の密度が凄いし。ほぼずっと、手を使って登るので軍手必須です。
軍手がなくて木を掴むのを躊躇すると、それだけ体力を消耗するので後がつらいと思われます。



劇坂を抜けると尾根に出て、そこからしばらくは軽快に歩けます。写真撮ってないけど、笹とかは少なく、何かヨーロピアンでファンタジーな感じのする・・・言ってみればドラクエなんかに出てきそうな小路で、ウキウキと鼻歌で歩けます。

そんな感じでわりと楽に前白根山には到着します。



前白根からは五色沼とその向こうにそびえる「関東以北の最高峰」、白根山の偉容が伺えます。途中明らかに登って降りており、しかも白根山に見える道はまた劇坂で、ちょっと溜息が出る感じですが、「まあ、わざわざ山登りに来て坂がキツイってブー垂れるのはおかしいよな」と気を取り直して進むのみです。


五色沼の南側に向かって下っていき、改めて登る・・・というだけでも無駄感があるのに、我々はなんと道を間違え、「隠白根山」というボーナスステージというより裏面みたいなところに向かってしまいました。

途中、明らかに白根山に向かっていないことに気づき地図をチェックしていると、壮年グループの気さくなおばちゃんに道を教えていただき、完全に道を誤ったことが判明。

しかし、眼下にわりとはっきりと・・・人の声が聞こえる程度の距離で本来のルートがあったので、思い切ってそのまま道を下り、白根山へのルートに復帰しました。


視界の悪い藪に入る前に影の方向を覚えておいて、多少方向が狂っても道にぶつかる角度を選びつつ下りましたが、やはり登山道以外を歩くのはちょっとドキドキします。慎重に降ってものの10分くらいだったと思いますが、やけに長く感じました。



が、途中、石楠花の群落があったり鹿の群れがいたり、わりと楽しかったかも。石楠花は登山道わきでもわりと咲いてましたが、ここのが一番立派でした。



ルート戻ってから、一気に登って頂上。

昼飯に菓子パンとフライドチキンを食いましたが、前日に買って、酷暑のために常温になってしまったチキンはちょっと味変わってて不味かったです。・・・冷蔵庫とか山の夜とかで冷え切ったフライドチキンは、ハムやベーコンみたいで好きなんで、わざわざ持ってったのに・・・朝のうちに食っておけばよかった。




白根山の頂上は渋滞してました。
なので、看板の前でポーズを決めるのは諦め、看板だけさっと撮りました。眺めは良かったです、全方位的に山が見渡せるので。まさに重畳、重畳、という感じでした。


この後、弥陀ヶ池へ。上から見たらただの池でしたが、近くでみたらわりと綺麗でした。でも魚の気配はないので、どこか寂しい感じです。でかいヤゴはいました。ヤンマ系でしょう。


その後、尾根伝いに五色山に行くはずだったのですが、左への分岐を見落とし、間違って五色沼へ。五色沼は水は遠目にはターコイズブルーで、近くで見ると透明度が高く、なんとも綺麗ですが・・・さらに水生生物の気配が少なく、どこか死んだ水という感じです。水を汲んでも全然藻の匂いとかもしませんでしたし。

なので、綺麗は綺麗だけどやはり寂しいというかつまらないです。

その後、だいぶ疲れてきたので、P君に「立ち止まったら動けなくなる!」などと無駄にプレッシャーを与えつつ一気に五色山を登りました。

あとはずっと下りですが、国境平経由で湯元へ下る登山道は、ほぼ全編、もの凄い笹です。足元が見えないところも多いし、顔の高さを笹の葉が両側から塞いでるので、ずっと空手の構えのように左手を顔の斜め前に構え、右手はポールで足元を確認しつつで進みます。

また、泥の登山道が薄いで抉れてクレバス状になっており、身の丈ほどの段差になっているところも多いので、滑りと転倒に注意しながら歩くので・・・精神的に疲れます。

泥なので転倒しても岩ゾーンより怪我はしにくいし、クレバス上の溝なので滑落とかもしそうにないのですが・・・疲れるというか、「たまらんですなこの笹は!」という感じ。


後半はかなり脚も疲れたけど、装備もよくなったためか、わりと「疲れたー」と言いつつも歩ける感じでした。

前まではいていたメレルのウィルダネスローカットは、元々はタウン用で使っていたもので、だいぶへたれており、インソールを取り出してみたらなんと拇指のあたりがすでに摩耗により貫通しており、インソールなんてありません状態だったので・・・どうも足が痛くなるとは思っていたのですが。今回はAmazonでやすくなってたKEENのミッドカットの靴に、傷んできて買い替えたランニングシューズ(アディダスのアディゼロ)から移植したインソールを入れていたので、足の裏はだいぶ楽だったなあ。と。

加えて、Amazonで同時に980円くらいのキャプテンスタッグのT型ポールを買っていたのですが、これが予想に反してだいぶ役立ちました。

登りでは段差で思い切り体重をかけて、下りではブレーキとして。おかげで脚がなんとかもった感じです。


下山してから奥日光高原ホテルの風呂に入り、ビールを買い、またキャンプ場に戻って1泊してから帰るという日程にしてあったので、登山後の余韻を楽しむゆとりがあって良かったです。

なぜか2日目はサルが凄かったです。キャンプ場の端っこの方に場所をとっていたため、我々の点とのすぐ横の木立に数十匹はいるかという群れが来てこちらの様子を伺ってました。
風呂に行ってる間にテントを荒らされても嫌なので、まず食料は蓋つきの箱にしまいましたが、さらにサルにも戦いを挑むことにしました。

・・・まあ、群れに少し近づいてしばらく睨み合った後、ずんずんと距離を詰めて「うおらあ!」と喝を入れたら山に帰っていったというだけですが・・・。自分の中での対サル軍団の戦略としては、もちろん戦わずして勝たねばならないのですが、心の裡に、「この中のどれかのサルが最初に俺に噛みついてきたら、とにかく掴んで振り回し、地面に思い切り叩きつけ、頭を踏み潰してやる」というイメージを満タンにしておくのがポイントです。そういうのは伝わるものだと思います。

サルは怒ると怖いとよく言いますが、無傷で勝とうと思うからいけないのであって、何針か縫う怪我をする代わりに殺す、というのは出来ると思っています。出来ると思う、というところがポイントなのであって、やりたいとは思ってませんよ勿論。

実際、翌日に駐車場でサルが出た際、「まあ!」と言って携帯で写真を撮りだした温泉客の奥様は、サルにどんどん距離を詰められてしまい、揚句に威嚇されて慌てて旅館に逃げ込んでました。旅館があればいいですが、無防備な場所で群れに舐められたら厄介ですからね。最初の気合いが肝心かと思います。

・・・まあいいか。


結局、サルにテントを荒らされることもなく。旅館で温泉入ったついでに買ったビールのあとは山の夜でほどよく冷えたワインなぞ飲みつつですね。オイルサーディンは美味かったな。ソーセージは多すぎたが。
・・・静かな夜、心地よい疲れ、酔いもまわって、天の川も見えて、「あれがデネブ、アルタイル、ベガ」と指差してみたり、流れ星を数えて。

隣にいるのがむさい男じゃなくて可愛い女子だったら、「ちょっと冷えるね」とか言ってロマンティックが止まらなくなってしまいそうな良い夜でした。・・・ま、妻子ある身ですから、万が一にも間違いや誤解のないよう、敢てむさ苦しいパーティで行ってるわけなので、別にいいんですけどね。むさくて。


翌日はのんびり片付け。テントも寝袋もしっかり乾かしてしまって、昼前に帰路へ。




途中、ふと「竜頭の滝」によりました。小学校の修学旅行以来だな・・・と思ってたら本当に修学旅行の小学生がやってきました。賑やかというか・・・・6年生にもなると、わりともうスレてますよね。特に女子はメンタルの成熟が早いので、なんか「滝くらいで騒いでらんないわ」系で澄ましてベンチに座ってたり。俺の娘も5年もしたらこんなつまらん人間になってしまうのかなと、少し複雑な気持ちになったりしました・・・けど、ならないかな。今もだいぶクラスで浮いてるようだし。

・・・なお、私はロリコンを自称してますし、本当にそうだと思いますが、JCに萌える変態ではないですのでご安心ください(何が?)。私が尊いと考えているのは劣情の対象としての少女ではなくですね、生物的に純粋なものとしての少女性であり・・・いえ、まあ、この話は止めておきましょう。長くなるので。続けると遺伝的多様性と有性生殖、社会の生起の話まで無駄に無駄に広がります。



ところで、奥日光への行き来でたいがい使うことになる「いろは坂」は、上りの方は2車線ですが下りは2車線幅で1車線じゃないですか。なので、下りはいつも前の車が超無駄にアウトインアウトをしているのが、面白いというか気になって仕方ないです。
ヘアピンコーナーの入り口で目いっぱいアウト側に寄る(車線の真ん中いても、右ヘアピンの入り口で左にハンドルを切る)ために、むしろ壁に突っ込むような形になって四苦八苦して曲がる人が非常に多いです。・・・普段飛ばしたりしない人が、「アウトインアウト」という伝説的な呼称だけ覚えていて上手くやってるつもりなんでしょうけど、右に目一杯曲がろうとする時にわざわざ左にハンドル切ったらつらいと、自然に考えましょうよ。

その後、日光宇都宮道路の日光口SAでそばを食って帰りました。冷たいそばもコンニャクみたいで美味かった(値段のわりに)ですが、あそこはやはり暖かい舞茸天そばがベストバイですね。

ま。リフレッシュできました。

リフレッシュして冷静に最近の仕事を整理した結果、「納期がぜんぜん間に合いそうにないほどスケジュールがきつい」という事実に気付いたことだけが残念ですが。



2015年5月8日金曜日

あの武甲山登山

GWに登山してきました。

渋滞を避けたいので電車の便が良いところをと思い、埼玉県の秀峰武甲山をチョイスです。自宅の窓からいつも遠くに見えているし、昔はバイクでのツーリング中にもよく見ていたので、あの独特の山容が気になってたというのもあります。

手持ちの本によると秩父駅からタクシーで登山口へ向かうのがセオリーのようでしたが、そもそもそこまでハードでもない山なんだからと思い、横瀬から徒歩で一の鳥居を目指しました。1時間ちょいくらいだったんじゃないかな?道中、武甲工業の設備などがあり、「何か”プレジデント武甲”がいる”武甲カンパニー”ってイメージあるな」などと同行のP君と妄想会話をたのしんでいたら、わりと飽きずに歩けました。




この写真はスケール感が出てませんが、なかなか巨大なコンクリートの、塊感・・・ソリッドというよりバルクと言った感じですかね?の建造物が、山肌に張り付くように食い込むように建設されて、ガシャガシャと音を立てて砂利のようなものを運んだりしています。

話逸れますが、ここがどうだかはともかく、一般的に鉱業には環境汚染や健康被害などの負の側面、暗い歴史があることは承知していますが、僕が持っている登山ガイド本で見かけたような見方、つまりこういったものを「自然を傷つける不快なもの」と切り捨てるようなものの見方はどうなんだろうと思います。

僕も子供の頃には自然は常に尊いという価値観をストレートに受け入れて、世の中のすべての開発を悪しきものと考えて憤っていましたが、この歳までずっと考えながら、ちょいちょい釣り行ったり山にも登ってみたりしているとですね。

別にすべての開発を必要悪と認めるわけではないし、そういう発想もまた拙いとは思うものの、さんざんそういったものの恩恵に預かって生活していて、また、そういう自然を犠牲にした開発のおかげで、ただの便利や娯楽のためでなく、本当に救われてきた命や価値というものがどれほどあるのかということもよく考えてみもせず、原生林のようなものばかりを神々しく尊いものと崇めるかのようなものの見方は、非常に幼いエゴによる態度だと思うのです。

石灰の切り出しで痛々しい姿となった武甲山ですが、その石灰はおそらくコンクリートとなり、方々でビルや橋や道になったのでしょう。それを作る時にまた自然が失われたりもしたのでしょう。中には無駄な工事もあったでしょう。そうやって生きてきた人間(社会)には罪があるだろうと思いますが、悪だというのは早計です。

罪もなく生きていけるものなんて人間以外にだっていやしないと言ってみても、人間はとりわけ多く大きな罪を犯しているのも確かですが、同時に人間ほど罪と向き合っている存在は今のところ宇宙に他にはいないのだから、そう恥じることもないのだろうと思えます。




まあ、そういうわけだから、こういうものもあるわけです。







武甲山、登頂して撮った写真はさほど綺麗でもなかった(もやっていたし)ので、そのあたりはすっ飛ばして、浦山口に下山した際の橋立鍾乳洞です。

巨大な岩盤に嵌り込むように、秩父巡礼の札所二十八番、橋立堂があります。ちょっと面白い光景です。

巨大な岩の質量感というのは人を圧倒するものがあり、それだからこそ畏怖や信仰の対象ともなるのだろうと思います。人間の、自然への畏れの顕現でもあり、反対側の登山口の鉱業設備との概念的な対称性が見事です。


そういう意味では、横瀬から歩いて浦山口に抜けるこのルートは(あるいは逆から行っても)、実に見どころのあるというか、考えさせられるところがあり面白いコースだと思いました。山登りだと言って山野草と高所の展望だけ見て「わーきれい」では小学生の遠足です。たくさん歩けてすごいだろー、というのならルームランナーでもやってればいいのです。大人はいろいろ勉強しているのだから、自分なりの考え方、見たものに対する解釈というのをする、という姿勢が常に必要じゃないかなと思います。


さて、それでも16時ころには駅に出て、そこから秩父駅まで移動したものの、連休だけあり特急も終電以外満席。

でもせっかくなので特急に乗ることにして、それまで散策をすることにしました。


で。



めんまぁぁぁああああ!!!





・・・てな感じの場所に行ってみました。いわゆる巡礼ですね。秩父札所巡りとかじゃなくて、ダメな方の巡礼。「あの花」です。

まあ、あれですよ。アニメですから、文化。これは文化なのです。

原始的な信仰では救いきれない世界を救ってきたのが科学により切り拓かれた技術、その技術を行使する人間の力です。しかしその力で救いきれない人の心を救うのが信仰です。この不安定な天秤を揺らし続けるのが文化です。その文化の、人類的に見てもっとも新しい表現のひとつがアニメです。わかりやすいアイコンとしての物語、寓話です。

この秩父を舞台にして、幽霊少女をロケットで送ろうというお伽話が語られるのは、ある意味では必然なのです。だから、武甲山に登ったらあの花巡礼、というのも自然。


・・・もう一度、強調します。

「武甲山に登ったらあの花巡礼、というのも自然」。


これを言いたいがために僕はこれだけ長い前ふりをしました。あー疲れた。


作品自体、もう数年前ですが、僕が見たのは去年の春です。ひょんなことで一話みて、いっきに全部見ました。主人公の不器用な生き様がもどかしくも、共感できるんですね。制作陣の思う壺なんでしょうけど。

この橋も何かバイクで通ったことあるような気もしてたんですが、記憶が定かじゃなくて。知ってる場所のような知らない場所のような。でも、訪問してみて何だかちょっとスッキリしました。ああ、こういう場所かと。以前から知ってたかはわからないが、今はともかく知ってると。


しかし未だに結構、あの花巡礼と思しき人達がいるのが驚きでした。「思しき」じゃないよな。すれ違いざまに「めんまが・・・」とか聞こえてきたし、スタンプラリーやってたり、ポスターと同じ構図の写真をしつこく撮ってたり。完全に、だ。好きなものにエネルギーをかけられるってはいいですね。失礼ながら、いかにもオタクという感じでちょっと挙動が変?な人もいましたが、別に迷惑になるわけじゃなし、微笑ましく感じました。

つうか、むしろ駅や居酒屋で、いかにも「山男」って感じの風体の男グループの方が、大勢のいる場所で傍若無人に叫んだり、人が大勢いるところでタバコふかしたり横柄な態度で地元の人に接したりと、見ていてムカつくような輩が何組か目立って残念でした・・・この日だけの偶然なのかも知れないけどさ。・・・・なんでああ、「俺は強い男」的示威的態度を取らないと気がすまないんだろうか。バカだからか。そうか。ガキが深夜の幹線道路でバイクの空ぶかししてるのと何にも変わらん。


まあ、あまり思い出しているとウザさが甦ってくるのでこの話はもういいや。




このエントリーは半分くらいネタとして書きましたが、実際、秩父というところは少し不思議な魅力がある気もします。西武鉄道のサービスもいまいちだよなと思ったりとか、秩父橋の最寄の駅の前の弁当屋?は夜逃げか?とか、いろいろと微妙なところもありつつも、やはり地質的な古さ(恐竜の時代のもっと前の岩石も多い)からくる奥行きの深い自然と、それだからこその信仰と鉱業と、関東の外縁部としての境界感と。

頻繁に通うことはないでしょうが、また行ってみたいかなと思いました。

2015年2月7日土曜日

ワインをよく飲んでます。最近。

なぜって、コスパが良いから。

ビールは高いし、ビールっぽいものは、しばらくは飲んでいたけど、やはりビールではないなあ・・・となってしまうし。果汁酎ハイは甘いし。

まあ、そうは言ってもそういうのも日本酒もウイスキーも飲むのだが、最近はわりとワインの頻度が上がってるという話。

だいたい、500円前後のしか買ってない。500円で軽く飲めば二日くらい楽しめるので、飯の方がワイン向きかと思えば、特に土曜日にはよく買う。

メモっておくと、よく買うのは


  • アルパカ
  • キンタ・ラス・カブラス
  • ヨセミテ・ロード (ヨーカドー系オリジナル)

この辺。甘くないタイプです。

甘いのもいいけど、最近はこういうのが気に入ってる。酎ハイもビターズのジンジャーが気に入ってるし。


ちなみにワインはいいけど、ひとつだけ気になるのは、ワインについてちょっと検索すると、すぐにムカつく感じの素人ソムリエが目につくことです。

いや、趣味でやってるんだろうし、当たろうが外れようが、美味いと言っても不味いと言っても、それは自由だろうなと思う。

しかし、ちょっと齧ったからとなんだかわかった気になって、「安物飲んでる奴は味音痴のアホ」みたいなのを言外に漂わせつつ、自分が「わかってる方の人間」になってることに酔ってるのを丸出しにした能書きを書いてるようなのが気に障る。

ワインというのは銘柄にも飲む人の社会にも、ある種の権威構造があるように思えて、それだからこそ、「少し知ると偉そうになる」という傾向は強く出るのかなと思ったりする。その辺が気持ち悪い。


そういえば、自分がワインをよく飲むようになったきっかけは、もうひとつ。いつだかにテレビの「世界に車窓から」みたいな感じの旅番組だかなんだかでフランスだかドイツだかの山の方の村が出てて、昼に農民が、外でランチしてたのです。水飲んでる人も多かったけど、ワインもあって、それを無造作にパンとかといっしょに飲んでいた。

なんかこう、由緒正しいレストランやオシャレ臭いワインバーやらで、オシャレな音楽を背景に男女がグラスを掲げてるみたいなそういうイメージじゃなく、日本なら漁港で漁師のおっさんがパック酒飲んでるのと近いようなイメージに感じてですね。

ああ、ワインつっても、あっちじゃただの酒なんだから、いつも高くて美味いのを気取って飲むというわけじゃないよなそりゃ、と。

「うまいワイン」じゃないならビールの方がまし・・・てなワケじゃないのだと気付いた。どの種類の酒だった、およそ高いのはうまいし、安いのはたいしてうまくない。でも、それぞれに味は違うのだから、気分や料理に合わせて、なんとなく楽しく感じるものを選べばいいのだなあと。

実際、何か食ってて一緒に飲むのがワインがいいかビールがいいか日本酒がいいか・・・てのは、ねえ。安いワサビじゃしょうがない、と言って刺身に唐辛子かけるのじゃアホだろ、というアレだと思う。



なんとなく、よもやま話でした。



けど、最後に俺もうんちくを。


安いワインを、いくらか美味しく飲む方法は、開けてすぐに飲むより、しばらくしてから飲むことだ、と以前に一度だけ言ったワインバーのマスターが言ってました。早い話が酸化させるのだと。

理由とかタイミングとか(確か、食事の準備を始める頃とか、そういうレベルだったかと・・・酔ってたしよく覚えてない)あった気がするが、ともかく、それはわりとそうな気がしてる。

二日かけて飲む、と言ったのもそういう理由もあって、1日目は半分飲んで、後は酎ハイとか飲んでたりして、二日に続きを飲むと、「おや、昨日よりうまい気がする」ということがある。

味が変わってるのは確かで、それは劣化とも言われるのかも知れないが、でも美味く感じることはあるんですよ。・・・不味く感じることもあるけど。まあ、それも楽しいかなということで。






2015年1月28日水曜日

血管拡張性肉芽腫、というものを取った

2週間ほど前に、鎖骨のあたりが気になって無意識にポリポリ書いてたらなんか手がヌルヌルしてきて、ふと見たら血だらけになってた(笑)。

ニキビのようなものを潰してしまったようだ、と思ったが、血がなかなか止まらない。大量に出るわけじゃないが、タラタラと流れ続け、半日ほどしてようやく止まった。

が、表皮がふさがっただけで内部の出血が止まっていないようで、血豆が出来る。

膨らましておいても良いことないかなと、二度ほど焼いた針でつついて血をぬいたが、やはりなかなか血が止まらず、止まれば血豆。


これはどうやら毛細血管か何かが開いてしまったに違いない、となると自分じゃどうしようもないなと思い、近所の皮膚科へ行く。


期待としては、レーザーか何かでシュッと焼いてくれんじゃないかと。


思ったが、一目みて図鑑もってきて「血管拡張性肉芽腫」と診断され、ここでは処置できないので紹介状を書きますとのことになった。

まあ、病名は予想通りというか、見た目というかそういうものだろうと思っていた通りの名前なのでよいが、切って貰えないのはちょっとがっかりした。隣に「レーザー室」なるものがあるから期待してたのに・・・。

わりと近くの総合病院とクリニックの二択を迫られ、ちょっと迷ったが、女医さんが「クリニックの方が気楽ですかね」というのと、総合病院は交通事故で行ったことがあり、でかくていかにも待たされそうだったなと思ったので(事故の時は救急車で行ったから待たなかったけどね!)、クリニックに。


自宅に戻ってからクリニックに予約の電話もいれておき、翌日に紹介状持参。今度は期待通り、その場で切って貰えたが・・・ちゃんと取らないと再発するのでと、レーザーなんかじゃなく、4ミリほどの血豆を黒目とした目のような形で2cmほど切開し、縫合すると。

良性腫瘍摘出手術、という名称になり、これで保険も貰えるだろうと(ドクターも「ふつうは出ると思うよ」と)ウキウキしながら切って貰った。


一応、手術用のベッドに寝て、局所麻酔して切ってもらう。

途中までは顔に布かけてたが最後の方は外され、首なのでちょうど頭上の手術用照明の金具部分に映り込んでいて、最後の2針は縫うところが見えてちょっと面白かった。釣り針みたいので1針縫って、あまり糸の両端を切る・・・けど、切るときに特に音がしない・・・ということは、さっきまでパツンパツンと何か切ってるなあ、と感じていたのは糸じゃなくて俺の肉だったのか!?


1週間後に抜糸ということで、めでたしめでたし。

費用は1万2千円ほどでした。




ただ、ちょっと残念なことが。

アクサ生命保険に加入していて、保険がもらえると思ったのだが。

よく、「日帰りから補償」とか「入院しなくても」とか生命保険でCMやってるでしょう?アクサのホームページにももちろん、そういうことが大書きしてあって、「あー、5万円もらえるんだー」と期待してたのに。


電話したら「入院してないなら対象外です。ガチャン」だった。

まあ、ガチャ切りは嘘だけど心理的にはそう感じるほどつめてえ感じだ。


紙の約款を改めてよく読むと、但し書きに「入院した場合の手術のみ補償」と受け取れる文言がある。じゃあ、1日とか日帰りってなんだよ!?と思ったが、つまり、「入院設備を利用して入院で保険点数がかかって、ただ即日に帰った場合」が日帰り入院だと。


おいおい、そんなの知らねえっつうの。


同じ病気で、同じ手術をしても、保険対象になったりならなかったりするのは解せない感じもあるが、実際、補償は病気そのものに対するものというよりは病気でかかる費用に対するものだとも言えるだろうから、まあ仕方ないのか。

ただ、だったらちゃんとわかりやすく書いておけよ、とは思う。いかにも、ちょっとしたことで手術受けてもばっちり保険が出るかのように宣伝しておいて、いざとなったら「実は・・・」と専門家でもなきゃ普通は知らないような定義を持ち出してくるってのは、詐欺みたいなもんじゃねえか、と。

もちろん、正確には詐欺じゃないし犯罪じゃないんだろう。それもわかる。けど、優良誤認を利用しているという感じは否めないよね。だから保険会社は嫌いだよ。


とりあえずアクサは解約しようと思う。うん。ほかの保険会社もどうせ同じなんだろうけど、気分的な問題として。

(つうか、以前に似たようなことがあり解約して他のとこに入ったのに、そこがアクサに買収されて自動的にまたアクサになってたんだよ。くそ。)



あー。5万円損した!


・・・いや、実際には、日帰り入院すれば、費用もたぶん1万じゃすまない・・・わからんけど、ぱっと検索した感じだと普通に3万は超えるのかな?なので、それで保険もらっても5万円の小遣いになるわけではないけどね。なんとなく気分的には、なんであれ貰えるんだこれ!と思ったものが貰えないという時点で損した気持ちが否応なく。