2010年5月31日月曜日

職場が移転した

転職ではなく、会社が引っ越した。窓からレインボーブリッジが見える高層階になったが、真に素晴らしいのは眺望ではなく、シーバスのポイントに近いということだ。


で、それより大事なのは、目の前に「ほっかほっか亭」があるということだ。

東日本に勢力を誇るプレナスと西日本のハークスレイで内部分裂し、プレナスが「ほっかほっか亭」の看板を捨てて「ほっともっと」になったのはまだ記憶に新しい。

関東では珍しくなった「ほっかほっか亭」であり、またハークスレイのレシピによるものは俺はおそらく初体験である。

・・・のだが、から揚げ弁当とのり弁当を食した現在、こう言わざるを得ない。

「ほっかほっか亭」は「ほっともっと」に劣る。オリジナルの看板を掲げていようとなんだろうと。

以下、以前のプレナス系の「ほっかほっか亭」との比較による感想。

  • 弁当が冷めている。おかずが。冷めて、フライは湿気ている。
  • 海苔が、まずい。厚く、堅く、味がない。プレナスの海苔も上等じゃなかったがマシだった。
  • フライやから揚げの衣が薄く、湿気てるのと相まって食感がへなっとしてる。

特に、冷めてるのは致命的だ。だいたい、ハークスレイは、プレナスがビジネス街で一部に作り置きメニューを(明示的に)展開したことを、創業の精神に反するとか何とかで攻撃していたのではないか。

ほっともっとの作り置きは、それと区別して扱われているので俺は支持する。だが、普通に頼んでぬるい弁当が出てくる「ほっかほっか亭」は、看板に偽りありと指摘せねばなるまい。

・・・もう食わね。

2010年5月30日日曜日

D3000を持ってあるく為のカメラバッグを買った

…というのは正しくない。

買おうとしていたが、サイズがー、デザインがー、と、いまいち気に入るものが見つからず結局これを買った。




普通のカバンの中に入れて使うインナー。これで、35mmを付けたD3000と、あとレンズ1本分はスペースがある。外側は、通勤に使っているPORTERのショルダーがぴったりだし、もう少しゆとりを持つなら程よいトートバッグが押し入れに眠ってたはず…。


送信者 D3000

これでしばらくしのいで、そのうち吟味して専用のバッグを調達しようかと。


さて、せっかくバッグもどうにかなったしまた散歩がてら少し撮影を…と、土曜の午後に小一時間ほどチャリで近所をぶらついた。いい加減近所は飽きたのだが、いろいろと都合もあり時間がないのと、まあ、近所でいい画を撮る鍛錬をしてないと、観光地行っても記念写真しか撮れないわな、とね。

以下、鍛錬の過程をいくつか。


なんつうか、「標準レンズの限界に挑戦シリーズ」。

・・・写真はすべてクリックで拡大します。


送信者 D3000

飛んでるミツバチを激写。オートではブレて撮れなかったのでマニュアルのややアンダー目でシャッター速度を稼ぎ、連写で撮った。まだボケてるが、よく頑張ったと思うね、うん。


送信者 D3000

コジュケイ。けたたましく鳴いていた。とは言え、これは道路から撮影しており、道路とこの茂みの間には2mほどの段差と溝が。距離が詰められないので、極力鮮明に撮ってトリミングする作戦。手ぶれを防ぎたいので絞りを開放したら、被写体が小さ過ぎてAFが外れるので、MFで撮影。…場合によってはMFの方が手っ取り早いと知った。


送信者 D3000

ゼニゴケ。”破れ傘”が狙いだったので、そこだけにピントが行くようにと、これも絞りは開放。やはりAFは背景の本体(葉状体)に行ってしまうので、MFで補正する必要があった。
日暮れの日陰なのでオートホワイトバランスは頑張り過ぎて不自然になってしまう。適当に設定した蛍光灯4モードは、ズレてはいたが雰囲気はあったので、それを採用した。


レンズをさっさと買おうと思っていたが、有力候補が3、4本から絞りきれなくなってしまったので、とりあえず100枚はAF-S DX NIKKOR 35mm f1.8で撮ってPicasaに上げて、それから、自分が撮りたい対象の好みを考え直してレンズを買おうと思う。

2010年5月21日金曜日

俺の幼年期の終りは

大人になってから本を読んで、こんなふうに思うことがある。

”ああ、もっと若い頃にこの本に出会っていれば、俺の人生はもっと違ったものになったか知れないのに”

…そう大仰なものではなくても、ふと。俺なんかいまちょうど幼い子供がいるから、子供には本を読ませよう、と思ったり。


で、ひとまずそれは置いておき、いま通勤電車内で読んでいるのがSF小説の金字塔、アーサー・C・クラークの「幼年期の終り」だ。




もはや50年も前に書かれたものだが、実に面白い。

科学と平和による統治をもたらした穏やかにして異形の”オーバーロード”の正体は実は…というどんでん返しは、今や新鮮とは言えないかも知れないが、かといって陳腐ではない。

それに、やはり、そんなSF設定を舞台装置として描かれる人間そのものの描写が良い。

また、本編の登場人物がまったく登場しない短いプロローグが、それだけでも短編として通用しそうなほどに物語として十分成り立っていることにも驚く。

…とまあ、とにかく手放しで褒めちぎってみたが、実際のところ面白いのだ。

これを若い頃に読んだからと言って、俺が突然に宇宙を目指すということはないにしても、こんな面白い話があるなら読んでおけば良かったとくらいは思う。

せめて高校生くらいの頃にこういった素晴らしい小説に出会っていれば、部活の後にダラダラと、愚にもつかない下ネタや実る見込みも実らせる熱意もない恋話や、わかってもいないしわかろうともしていない政治論争をしていたような時間を、もっと有意義に過ごせたのではないかと、そんなことを思ったりするわけだ。


が。実際のところ。

そんなことはない。まったく無い。

…思い出すに、俺は確かにこれとまったく同じ本を、高校生の時に図書室で読んでいた。TMネットワークのアルバムのタイトルにあったから、というくらいの理由でだ。(TMネットワーク、俺は熱心なファンということはなかったが、当時(の少し前?)、シティーハンターやバンパイアハンターD、「逆襲のシャア」などのテーマソングがヒットしており、アニメイトな少年たちにはそれなりに人気だったと思う。)

で、しかしその時、上帝と書いて「オーバーロード」なる呼称に中二的憧れを感じたりしたものの、全体としてはごちゃごちゃした話で退屈という印象も否めず、したがって、そのまま俺が読書大好き青年になるということも無かった。


つまるところ、今読んで面白い(役立つ、興味深いという意味も込め)とか感じるのは、今そう感じてるのであって、過去の自分はたぶん同じようには感じないのだ。当たり前と言えば当たり前だが。



これはきっと当たり前のことで、本だけでなくおよそ何にでも当てはまることなんだと思う。

例えば今何かの趣味を初めて面白く思っても、それを10年前からやれていれば良かった…わけではない。いま、勉強不足が悔やまれても、20年前にもっと勉強すれば良かったわけではない。

自分の過去に戻れるならば今度はきっと、と思っても、それは今の記憶と決意があるならで、そういうものがあるならそれは過去ではない。

つまるところ、自分では後悔してみても、過去の自分というのは原則的に常に全力なのだ。余力があったと思うのは妄想。受験勉強もアルバイトも何もかも、やらなかったんではなくて出来なかった。時間が無かったか、お金が無かったか、意思が無かったか。

きっと何遍と人生を繰り返すことが出来たとしても、俺の到達点は、俺が俺である以上は変わらないだろう。

と、そんなことを、この本を読んでいて再認識した、というのが今日の日記だ。申し訳ないがオチはない。


…ま、俺自身はこの考えは、寂しげであるが実は非常にポジティブで気に入っている。

2010年5月19日水曜日

マッスル化計画

というかただのダイエットなんだけどダイエットという言葉の響きが軟弱過ぎてイヤだ。

…子供が出来てから、栄養を摂らねばならない妻にペースを合わせていたら、妻は子供の身になったり母乳になったりで消費できるのだろうが俺は摂った栄養の行き先が自家貯蔵以外にあるはずもなく、みるみる体重が増加してしまった。ちょうど俺もいい歳で代謝が落ちてるという相乗効果もあろう。

結果、去年冬には体重は過去記録のピークにちょうど達する63kgほどに。…俺の身長と俺の美学においてこれはデブだ。

で、正月にも運動運動と騒いだもののなかなかそう思うようには行かない。が。それでも最近は結構、頻繁に身体を動かしている。空手の稽古は相変わらず週一回しか行けてないが、少し走ってみたり泳いでみたり。どうも行き当たりばったりだけどとにかく意識的に動くだけ動くようにと。

で、それに加え、もはや致し方ないと、食事量も抑えることにした。朝飯は食いたいだけ食って食後のお菓子まで付けるが、昼に定食を食わないのと、夜はわずかしか食べないように。

ま、いつも夜は夜ご飯というより深夜ご飯なので、量を減らすと結果的には寝るときに胃がもたれることもなくなり快適だ。

で、今日体重を計ったら、久々に59.8kgと…60kgを下回ってたぞ。まあ、誤差はいろいろあるがそれでもずっとそういう数値は出てなかったからな…。

とりあえず、より気合いを入れて健康体を目指し、そうだなあ。58kgくらいで落ち着けたいな、筋肉もちょっと付けて。うん。

2010年5月17日月曜日

本当は釣りに行ったんだが釣れないから写真を

…撮ってみたんだ。

海に行ったら風が凄くて、ああ、こりゃダメだと。
ただ、もともと、海でも行けばいい被写体があるだろうと思ったからカメラもわざわざ持って行ったわけで。

でも、浦安の海、しかも「鉄鋼団地」なんてあたりの海に、リゾート的風景を望むべくもなく(当たり前だか)、こんな写真になってしまったよ。



送信者 D3000



前の写真は、左の作業船の一部。
送信者 D3000




「最初から繋がれてなんて無かったんだよ」
送信者 D3000



アルバムの方にも何枚か追加しておいたが、一言でいえば、えーと、俺はもっとこう、きれいで瑞々しいものが撮りたいんだよ。花とかそういう意味に限らないけど、こう絵として。なのになんでこう暗く、タナトスな気配な絵ばかりになってしまうのか。

…時間と場所が悪いのだろう。きっとそうだ。


とか何とか言いつつも、京浜工業地帯を擁する川崎市に生まれ育った俺としては、こういうのも海のイメージとして違和感なかったりもする。うん。違和感はない。コンクリと鉄と暗い水の海。違和感がないだけ。好きなわけじゃない。

2010年5月15日土曜日

三びきのやぎのがらがらどん …理解したぜ。

昨夜は久しぶりに徹夜で飲んでしまった。
いつもそうだったが、やはり飲み明かすと後悔しかしない。何が嫌って、二日酔いもいやだけど自分が臭いのが堪え難い。消化不良なアルコールと食い物、そして、タバコの臭い。ここのところ日常ではタバコを吸っていないから、タバコ臭がいっそうキツい。シャワーをしても髪の臭いが残ってる気がするし、飯食って歯磨きしてもまだ口に味が残ってる気がする。最悪だ。

それはそれとして、数日前にAmazonに頼んでおいた絵本が3冊届いていたので読んでみた。

1歳半の愛娘にはちと早いかなと思うものもあるが、絵をよく見せて読んであげればいいだろうと。
教育というつもりもないけど、良い画を見せてあげたいと思うので、自分が惹かれる画のものを選ぶようにしている。一応、セル画のアンパンマンも1冊はあるんだけど、それだったらテレビ(というかYouTube)でいいだろうと。以前に買って妻には不評な「あんぱんまん」(原作)も、娘は意外と好きなようだから、子供はやはりセル画ばかり好きなわけじゃないと思うしね。


というわけで買った3冊のうちの1冊が、俺も30年以上前に愛読していた「三びきのやぎのがらがらどん」。名作と言われているものであり、Amazonのレビューやその他ブログなどでも、総じて評価は高い。

北欧民話をものであり、訳者も、映画が記憶に新しい「指輪物語」、その原点となった「ホビット」などでも素晴らしい翻訳をしている瀬田貞二だ。そう言えばホビットでもトロルが出てくるな。


ただ、この「がらがらどん」についての評価をいろいろ見ていると、どうも「好きだが意味がわからない」というものが多い。中には「意味がわからないから嫌い」という意見も見られる。

確かに、意味はわからない。いや、意味を読み取り難い。

あらすじはこうだ。

あるところに、皆がらがらどんという名前の3匹のやぎがいた。草を求めて山に登りたいが、そのためには谷川の橋を渡らなければならない。
しかし、その橋の下には恐ろしいトロルが住んでいる。橋を通りかかるものを食べよう待ち構えているのだ。
がらがらどん達は、橋にさしかかる。
小さいやぎのがらがらどんがまず橋を渡る。橋の向こうへ渡ろうかというところでトロルに見つかり、食べられそうになってしまう。が、「すこし待てば、もっと大きいがらがらどんが来ますよ」と言って見逃してもらい橋を渡る。
二番目のやぎのがらがらどんも同様に「もっと大きいのが後から来る」と見逃してもらい、最後に大きいやぎのがらがらどんが現れる。
遂にトロルは大きいやぎのがらがらどんを食べようとするが、がらがらどんはとても大きく強く、逆に八つ裂きにされてしまう。
こうして3匹はみな橋を渡り、山へ登っておいしい草を食べましたとさ。



…と、言う話。

多く指摘されており、俺も子供の頃に不思議に思っていたのは以下のようなこと。

  • なぜ、小さいやぎのがらがらどんから渡ったのか?最初に大きいやぎのがらがらどんがトロルを倒してしまえば安全だったのではないか。
  • なぜ、トロルは小さいやぎのがらがらどんを見逃したのか?3匹とも順にすべて食べてしまえばよかったのではないか。
歳の離れた妹がいたせいでこの本を俺は長く読んでおり、物語を覚えていたせいで、何度か「そんでどういうことだったんだろう?」と考えることがあっても、答えは出なかった。

だが久々に読み返してみて、俺は少なくとも自分では納得できる解釈が初めて出来た気がする。改めて、考えてみよう。

まず、最初の問題、がらがらどんの順番については、簡単な答えがある。

つまり、がらがらどん達は、トロルが橋の下に隠れていることを知らなかったのだ。

本に、「隠れていた」とは書いていない。橋のしたに「すんでいました」としか書かれていない。だが、これは絵本だ。文字ですべてを語っているわけじゃない。絵を見れば、トロルは橋の下の暗がりに身を潜めている。

そもそも北欧民話に登場するトロルとは、石属性の化け物だ。岩のような肌であり、また実際に陽光を浴びると岩になってしまったりする。一見、岩のようであったりする。橋の下の暗がりに身を潜めているのは日を浴びないためであり、またそれは、この場合は橋の下から大きく動けないという条件にもなる。

ついでにトロルは、いわゆる人食い鬼であるから、がらがらどんに対する「ひとのみにしてやる」は脅しでも何でもなく本気宣言である。
橋をうるさくされて威嚇しただけで殺されるトロルが可哀想、という評価も見たことがあるが、そんな同情はそういう意味では的外れだ。トロルに対するということは即ち生死をかけた問題である。

さて、ともかくも、がらがらどんはトロルに気づいていないから小さいやぎから渡ったのだ。別に策を弄したわけではない。小さいやぎが、「後からもっと大きなものが」と言うのは機転であって策ではない。

で、この機転を卑劣、身内を売り飛ばしていると受け取ってしまうことも可能だが、やはりそう解釈するよりは、それだけ「大きな」がらがらどんを信頼していると言うように受け取っておくのがいいだろう。



さて、次の問題、トロルはなぜ小さいがらがらどんから順に、全部を食べてしまおうと考えなかったか?だ。これも、先のトロルの置かれている状況を考えれば合理的に理解できる。

つまり、小さいがらがらどんを食べる、ということは、そこで正体を現してしまうことになる。トロルは、橋を渡るものに対して、橋の下、谷底から声をかけている。後続のがらがらどんにはまだ気づかれないようにしているのかも知れない。
トロルが小さいがらがらどんを見逃さないという選択をした場合、小さいがらがらどんは食べられることしか選択出来ないだろうか?実はそんなことはない。トロルには勝てないかも知れないが、その橋を渡るのを諦めて逃げ帰るという手がある。必ず成功するかどうかはわからないが、トロルは待ち伏せ型で襲っているので、橋の向こうへ渡ることを諦められては狩りの成功確率はかなり下がるはずだ。
小さいがらがらどんが逃げ帰ってしまえば、トロルの待ち伏せを知った仲間のがらがらどんも皆、橋を渡るのを止める可能性が高い。逃げ帰らなくても、小さいがらがらどんと格闘したり骨をしゃぶったりしている間に次のがらがらどんが来れば、渡って来ない可能性が高い。

つまり、トロルは、最初の小さいがらがらどんを見逃さない場合、良くても小さいがらがらどんしか食べられず、悪ければ何も食べられない。

つまり、トロルは獲物の選択において、数の組み合わせは「最低でも1匹食う」というマキシミン的戦略を、個体の選択については「もっとも大きなものを獲る」というマキシマックス的戦略をとったのだ。

ただ、もっとも大きな獲物はもっとも強力であり、狩りが成功しない可能性が高いというリスク要素については配慮が及ばなかったために哀れな最期を遂げることになるのだが、そもそも伝説上トロルというものは愚鈍であるとされるので、致し方ないところであろう。


ところで、先の問題に戻って、このマキシミン戦略による判断という概念に沿えば、実はがらがらどん達が、橋を渡る前にトロルの存在に気づき、作戦として小さい順に渡ったというもうひとつの解釈もまた合理的になると思う。

この場合ひとつ、注意して考えるべきことは、「大きいがらがらどんは、本当に必ず勝てる自信があったのか?」ということだ。

これは、トロルと大きいがらがらどんの初対峙シーン。




谷底から姿を現した巨大なトロルと、眼光鋭く低く構える大きいやぎのがらがらどん。
数ページ後の結果はがらがらどんの圧勝なのだが、それは結果。トロルは恐ろしい化け物だ。いくら大きいgらがらどんでも、絶対に勝てる見込みがあったかは怪しい。

大きいやぎのがらがらどんでさえ負ける可能性を、がらがらどん達が認識していた場合。

大きいやぎのがらがらどんが最初に渡れば、トロルを倒せた場合の安全性は確保されるが、負けた場合、1匹も草のある山へ辿り着けない。そうなれば、草(食料)のある山に辿り着けずに飢えるか、橋に挑んでトロルに食われるか、いずれにせよ全滅だ。
が、話どおり、小さい順に渡り、上手く最初に2匹がトロルをやり過ごせたならば、少なくとも最初の2匹は橋を渡れる。大きいがらがらどんが食われたとしても。

つまりこれも、「最悪(大きいがらがらどんが負ける)の場合でも、最大の成果を得る」戦略ということになる。


とは言え、俺はたぶん、「がらがらどん達はややばらばらに橋に到着し、トロルの存在は気づかずにそれぞれ渡り始めた」という前提での最初の解釈の方が本来だろうなとは思うが…。


問題は、いずれにせよ、一見不条理なところがありつつもよく考えれば合理的な解釈が可能な筋書きになっているということだ。
もちろん子供は、上記のような七面倒くさいことを考えないだろうが、しかし子供はまたそういうことを肌で感じるものでもある。本当にただ不条理な話であれば、きっと何度も読みたい(読んでもらいたい)とは思わない。
底の方では合理的な話について、敢て説明不足の状態で語られるからこそ、想像力が掻き立てられるのではなかろうか。がらがらどんやトロルが、なぜあのような行動をしたのか、わからないから何度も聞いて考える。

詳細で緻密な設定が用意され、キャラクター一覧で各人の内面や行動特性まで明示される物語が一概に悪いと言わないが…絵本の価値はそこにはないだろうと思う。

そういう意味で、「三びきのやぎのがらがらどん」はやはり名作だと思う。


ちなみにこの本、怖いという評価も多い。実際、トロルは怖いが、大きいやぎのがらがらどんも結構、怖い。むかし妹は、怖さのあまりトロルの画の部分を全部破り捨てた上で母親に読んでもらっていたくらいだ。
後に語るところによると、「怖いけど読んで欲しい、という矛盾を解決するためにトロルの画を捨てた。そうしないと安心できないくらい怖かった。だが、怖いものを本当に恐怖を感じるほど怖く描いているからこの本は名作なんだ」そうだ。



2010年5月13日木曜日

実はこの写真いい気がしてきた

送信者 D3000


どうかね?花壇に植わってたわけのわかんない植物なんだけど。
何かこう、ナチュラルなくせにサイバーでケミカルな感じがして気に入ってる。


例えば、「DX NIKKOR 35mm」でGoogle画像検索する。と、レンズの写真ばかり出るのだが、最近?追加されてる画像の色調での絞り込み機能で黒や灰色以外の色にすると、このレンズで撮影した写真が数多く発見できることに気づいた。

すると、35mmで随分といろいろ良い写真が撮れるものなんだなと感心した。

なので、俺も今週末こそ、もっと気の利いた写真を撮りたい。

…ちなみに、載せてないが娘と妻の写真などはとてもきれいに取れていて、ネットプリントにでも出そうと思ってる。

2010年5月11日火曜日

地味というならそれも良かろう

D3000を購入し、久々の一眼レフの手応えが面白い。

んが!いかんせん、撮るものがない。釣りにでも行くか、バイクで出かけでもしないと…。

色鮮やかならいい、という話じゃないが、何かこう派手なものが撮りたいという気持ち、不満がある。
けどねえ、さいたまの郊外住宅地に派手なもんなぞそうそうあるかい!と逆切れして、ならばと…。


作品タイトル 「地味」

送信者 D3000



近所の寂れた民家園の、文化財的価値も中途半端っぽい古民家の土間に展示された釜である。明かりのない民家に入り口から差し込む午後の光だけを頼りに、展示というより放置されて埃を被った古民具の地味さを表現すべく、露出を大幅にアンダー補正して撮影した一枚だ。




作品タイトル 「雑草」

送信者 D3000

帰りの道を塞いでいたどうでもいい雑草。しかし、奥の樹の黒さに対して目立って感じた雑草の青さを表現すべく、焚かなくてもいいフラッシュを強制発光させた。そこまでもしても、雑草の写真をそれ以上の何かにするセンスは俺にはまだないようだったのは残念だ。

撮影旅行とか行きてえ。でもそれで標準一本はさすがに苦しそうなのでレンズが欲しい。
あー困った。




投稿したのを自分で見て、さすがに色合いが地味過ぎると思ったのでこれも載せる。


紫詰草
送信者 D3000

とりあえず色調は派手だ。構図が悪いなあと思うが。

2010年5月10日月曜日

おにぎり

おにぎりってウマイよね。ただの米なのに。…ということを、アンパンマンを見て(おむすびマンを見て)思い出し、最近ちょくちょく食っている。

ローソンでコシヒカリ塩むすび弁当とかそんなのがあったから昼飯にと買ってみた。


ところが!開けてびっくりだ!
コレはゴマ握りだろ!塩とゴマとごま塩は全然違うだろうが!

とてもがっかりした。…と言う話。電車で退屈だから書いてみた。

…ちなみに、自分で作った塩にぎりに若干高い海苔巻いてふやけてから食うのがいちばん美味い。

2010年5月7日金曜日

連休の二コマ

まず、こう。


バーベキューをした。
家から徒歩で行ける空き地で、会社の後輩をやや強引に突き合わせて。

ホタテが焼けてきて、カシラはまだ生。モノクロにしてコントラストを上げてみた。するとどうだろう、何かアートの香りがして来ないか?錯覚だけど。



送信者 D3000

何ヶ月ぶりか覚えていないワックス掛けをした愛車。
ワックスの前にと先日、給油時に洗車だけスタンドでやってもらったら、店のじいちゃん(店主?)に「ワックスもたまには掛けないとダメだよ」と怒られた。

久々に張り切って、BMW純正ワックスを…掛けるのは面倒くさくて、なんとなく手軽そうだと以前に購入していたシュアラスター・クイックでワックス掛け。確かに楽だ。俺にとっては。俺が普通のワックスを掛けると十中八九以上の確率で拭き残しが残る。

そしてワックス掛けで疲れ果て?翌日は朝から熱を出して寝込み、俺の連休は終わったのであった。つまらん。

2010年5月2日日曜日

D3000 試し撮り第2弾

本当はもっと良い場所で何か良いものを撮りたい。例えば沖縄で海の景色とか北海道で春の原野とか。でもちょっと行けないので徒歩数分の近所で試し撮りをした。

初めての屋外自然光での撮影だ。

一部を下記に掲載、かつ、リンク先のアルバムに追加しておいた。
興味があるという奇特な方は見てやってくだされ。

アルバムの方にはそれぞれコメントも付けてるし、シャッター速度や絞り値その他の撮影情報も見えるので面白いと言えば面白いと思う。


送信者 D3000


送信者 D3000




送信者 D3000


送信者 D3000

総じて。

自動モードのオートホワイトバランスはアンバー色が強くなる傾向がある。
自動制御は優秀だが、やはり手動(AF、AEだけど)で撮影した方が意図通りになるし面白い。

あと、コマンドダイヤルは便利だ。

もういっちょ、D3000はラインナップ中では小型といえ、当然ポケットには入らない。カメラバッグかカメラケースがいるな…。安くてセンスいいものないかのう。