2009年7月30日木曜日

世直しバカ

昨日は、久しぶりに運動をした。

会社の近くの、公営のスポーツセンターで泳いだのだ。思っていた以上に体は鈍っており、ろくに泳げないし、その割りには終わってみれば体は重いし痛いし。

最近、はやくも年のせいか、運動後の筋肉痛が翌日以降に出ることが増えてきたが、さすがに、あまりにも普段は全然使ってない筋肉を使ったせいか、即座に反応した(あちこち痛くなった)感じだ。


電車では運良く座れて、文庫本を読んでいた。


正面ではないが、近くに、婆さんが立っていた。その近くに、ガタイのよい若いサラリーマンの二人連れがいた。

で、こいつらが死ぬほどウザかった。


多少、その前のいきさつもあるんだが、とにかく、最終的には、片方が

男「おうおう!最近は誰も席も譲ろうとしないなんて嫌だねえ!」
男「じーっと本なんか読んじゃってよお!何がおもしろいんだろうねえ!くそつまんねえ本読んで!」
連れの男「また露骨な!(笑)」
男「俺は露骨だからね!!」

とか、デカい声でがなり始めたのだ。



あまりのウザさに5秒ほど注視してしまい、思い切り目を合わせてしまったものの、ここで「メンチ合戦じゃあ」とか考え始めたら俺も猿の仲間入りかと思い、読書に戻った。


実際のところ、婆さんの真正面には若い女性が座って本を読んでいたから、そっちがメインターゲットで、俺あたりはサブ?だったのかも知れない。

でも、そういうことはもっと露骨に指名してもらわないとわからないね。

露骨さが売りなら、誰か一人捕まえて、「あなた譲って差し上げては?」と言えばいいのだ。大声で空中に怒鳴っても仕方ない。

だいたい、婆さんは座りたいなら背後に5歩進み優先席に座ればいい。それが出来ないほど足腰弱っている風情じゃないし、それをしないのは立てるという宣言だ。
反して、婆さんの目の前の女性が、若いからと言って立つのがつらくないと、何をもって判断できようか。酷く疲労しているかも知れないし風邪かも知れないし、内臓疾患があるかも知れないし、妊婦かも知れない。


電車に乗っていて、この手の「世直し」を始めるバカは何度か見たことがある。彼らは良いことをしているつもりなんだろうが、そんなやり方で良いことが出来るのは、昔ののどかな田舎の村くらいだ。

都会には、いろいろな人がいろいろな事情で暮らしている。迂闊に予断で物事を判断するべきじゃないし、そのために、優先席などのシステム化されたルールが存在している。

それがわからないオツムテンテンな野郎は、おとなしく家からチャリで行ける範囲の地元企業にでも就職していればよいものを、いっちょまえに電車通勤などするなと言いたい。



こういうのがあると、葛藤するのが、間接的に売られているのかも知れない喧嘩を買って出るべきなのか、ということだ。

そうしたことも過去に皆無ではない。だが、やはりそんなことはすべきでない、と今は思っているし、しない。したくない。


相手は、二人だし、ガタイも俺よりいい。強気だ。

だが、強気なのは二人いるからだ。つるんでるから強気になっている。ひとりならあんなこと言うまい。だから周囲への恫喝?を、言葉上は連れとの会話の形にするのだろう。
俺は力は弱いが、その程度の人間になら絶対に勝てないとも思っていない。でも、弱い俺が程よくカッコよく勝つのは無理だ。やるなら先手必勝で急所狙いしか出来ない。でなきゃ負ける。

だとすると、この喧嘩を買う場合、傷害事件を覚悟しなくてはならない。それがないと、つまり、喧嘩を買ったような口ぶりで突っかかっても、実は「殴り合いにはなるまい」とタカを括っているわけで、そんな腰の引けた状態でデカい口を利くのは、バカでしかない。しかもこんな程度の些細な問題で。

だから、俺は視線を戻して読書を続ける。喧嘩なんかしたくない。暴力は代償が高いし痛いから、関わりあいたくない。




この手の、何か、誰かに喧嘩を売るような口をきく社会人というのは、電車内に限らず、会社組織内などにもしばしばいる。男女問わず。

大抵は、そんな「喧嘩上等で遠慮ない自分」を喧伝しているし、それがカッコいいと、そんな自分がビッグだと思っているのが見え見えだ。


だが、そういう場合でも、ごく近しいケース以外、相手を特定しないで言うヤツが多い気がする。

つまり、

「もしXXな話になったら、ふざけんなって言ってやる」
「(ここにはいない誰かの話題で)マジでぶん殴りてえ」

な話。


でも、実際にそのシチュエーションになると、

「まじで殴りたかったけどギリギリ耐えたよ」

であって、実際にはもちろん殴っていないし、それどころかまともな抗議もしていなかったりする。

「怒り過ぎて話する気が失せた」

とかって。


結局、何もしていない。


何も起こらない予定調和を本能的に狙って、波を立てない程度にバチャバチャと騒いでいる。
それなら最初から黙っていて欲しい。


JOJOで、プロシュート兄貴は、ギャングは「ブッ殺す」という台詞は使わないと言った。そう思った時には相手は死んでなければいけないから、言う必要がないのだそうだ。そうだと思う。

我々はギャングじゃないから殺しはしないが、喧嘩をするつもりなら、宣言するより先に殴るべきであって、そこまでやる気がないならイチイチ騒ぐべきじゃないと思うわ。

騒がないで、普通に話しをして物事は解決すべきだ。口喧嘩は、より一層、みっともない。

まあ、とは言え、喧嘩を買うでなく、聞き流すはずがこんなところで不満をブチまけるあたり、俺もまだまだ弱い上に人間が小さいと認めざるを得ないか・・・。

美人時計

iGoogleに「美人時計」なるガジェットを入れていた。

http://www.google.co.jp/ig/directory?hl=ja&type=gadgets&url=bijint.com/bijint.xml

たまたま見かけて、興味半分ネタ半分で使っていたのだが、1分おきに、「美人」が時刻を手書きした黒板を持ったストリートスナップが現れるというもの。

「美人」と括弧をつけなければならない点が残念だということは、一般的な評価と言っても差し支えなさそうだが、まあそれはそれとして。そもそもタダで撮影できる美人なんて、そうそう転がってるもんじゃないでしょう。仕方ない。

「水着版が欲しい」という意見もいくつか見たが、それじゃ余計につらくなるし、じゃあ、予算かけてグラビアモデルを使えばいいかと言えば、それじゃこのガジェットの企画としての斬新さは半減だろう。ただのエロいユニクロックになってしまう。


間違いなく、このガジェットの面白さは、素人のストリートスナップである点にあったのだと思う。どこの誰かは知らないが、モデルや芸能人ではない個人としての女性が、デスクトップで入れ替わり微笑む様を見て、ある種の癒しを感じる。

・・・ということなんだろう、と。

でもこれって見方を変えると、たとえば、女性の多いショップや繁華街にウェブカメラをこっそり設置しまくり、それをザッピングしてニヤニヤしたいような男の欲望を、オブラートに包んでソフトに手軽に合法的に実現しているだけではないか、と。

まあ、そんなことはわかっていた。わかったからこそ、ためしに使ってみた。

そして、いい加減、中途半端な見てくれの女の半端にカメラ慣れしたような半端な微笑がいちいち視界に入るのがウザくなって消した。

このガジェットに共感と愛着を得られなかったということは、どうやら残念なことに俺にはストーカーの資質が十分でないらしい、と考えた。

少し、安心した。

2009年7月29日水曜日

すげえ久しぶりに映画見た。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

何年ぶりだろうか。

三十路超えたオッサンが数年ぶりに映画館に足運んでエヴァか?と、突っ込む自分もいないではないが、やはり俺の中に脈打つOTKの血が、滅多に劇場に向かうことのない俺の足を叱咤し搦めて招くので、仕事帰りにレイトショーで見てきました。

本当に、映画館は久しぶり。何年ぶりかわからないが、たぶん、エヴァの旧劇場版以来。(←オイ!?)

とは言え、テレビ版がちょうど俺が学生の頃だったしねえ。メカもキャラも設定も好きだったが、結末だけは微妙にいただけないと、テレビでも映画でも思っていたし。こんどはまたひと味違うと言われれば、気にならないわけはないし仕方ない。


公開から日が経っているから容赦なくネタバレする。


見た結果。

ひと味とか微妙とかじゃなく、旧作とはまったく別の作品になっていた。あらすじ自体が。何か、「序」が、東京(正確には田端)から品川までホームを共有して並走する山手線と京浜東北線に喩えられているようだが、まさにそんな。ここまで変わるかとびっくりした。

変わった結果、なにせ、シンジは男らしくなった。ともかくジメジメしていた、応援する気になれない主役の代表みたいだった貴奴が、すっかり男に。

だって、死にゆこうとして絶望している少女に命懸けで手を伸ばして「来い!!」なんて、まるでヒーローじゃないか。

総じて、クサくなった。だが、それでいいと思う。

相変わらず不器用な登場人物達だが、ゲンドウやリツコまで含め、総じて過去の作品よりも、変な卑小さが抜けて素直になっている(あくまでもそれぞれの”当社比”でだが)。それが、以前あった変な陰惨さを拭い、能天気とは違う明るさをもたらしていると思う。そして、それはやはりロボットアニメにはあるべきものだ。


いくつか、気になった点。

テレビでは、JAの暴走を止める時にミサトがリツコに

「奇跡を待つより捨て身の努力よ」

と行った筈だが、破ではそれに代わり、宇宙から落ちて来る使徒を受け止める無茶な作戦を実行しようとするミサトに、リツコが

「奇跡を待つより地道な努力よ」

とミサトに抗議する。


俺は、このポリシー的にはリツコ派だな。一応、俺も理系の端くれだからだろうかね。

後、トウジが3号機に乗らず、妹が無事に退院したのは良かった。テレビでも死ななかったが、彼は、何かただ物語を凄惨にするだけの噛ませ犬みたいな扱われ方に思えて、あのエピソードが嫌いだったから。

ま、代わりにアスカが瀕死になるが、その瀕死のアスカを「まさか処置されないか」みたいな、つまり救われずに殺されてしまわないかというマヤの心配に、「貴重なサンプルを捨てるわけない」みたいなことをリツコが言うのだが、これも、俺としては好感だったね。

ドライっぽいが、「論理的に考えて、ネルフがアスカを見捨てはしない、そんなことはあってはならない、あって欲しくない」と、そういうことだと思う。これは、自らの不安を祈りや願望より論理で否定しようとするということで、理系的には最大の心配をしているということの現れだろう。誤解されやすいが、俺もそういう言い方をして「ひどい」と言われることがあるから共感した。

実際、そんなドライな心境じゃないのは、言いぶりや山と積まれた吸い殻からも推測できる。

ま、別に俺は特別に赤城博士マニアなわけではないが…。今回は、前作のような悲惨な最期は迎えてほしくはないな。


新キャラのマリがどういう思惑で動いているのかも謎のままだし、エンドロール後の予告編はまた大変なことになっていたので、さっさと次の急だかQだかも公開してくれ。

2009年7月20日月曜日

なんつうか、風邪が治らない。

それより少し前から、夢のお告げ(扁桃腺を切除する手術を勧められる)などで無意識下からのアピールを続けていた夏風邪が、遂に表層意識でも意識でき、意識し認めざるを得ないまでに存在感を増したのがもう10日以上前。

確か水曜日に空手の稽古に行って汗をかき体を冷やしてしまいつつ疲れ果て、帰って風呂に入ってそのまま、窓全開で寝て起きたら喉に明確な疼痛を覚えたのが始まりで、土日を寝込み、月曜を休み、その後出勤はしてるが調子が悪く、次の土日を寝込み、この土日月の連休もどこにも行かずにゴロ寝で過ごしてようやく、調子が戻ってきた。


いつもながら、自分の体の貧弱さ、回復力の乏しさには嫌気が差す。が、まあ、このくらいは自己管理不足と反省して対処するしかないだろう。


ま、おとなしくしてるのも悪いことばかりじゃない。

釣りに二度ほど行こうとして体調から見合わせたが、同好の後輩のブログを見たら、海が荒れててダメだったらしいし。


しかも、しばらく、週末毎にいつも9ヶ月の子どもと遊んでいた(風邪がひどい間はくっつかなかったが)からか、ずいぶん懐いて来た気がする。
一人にしておいて、退屈して、わあわあと叫んでいるところに近づいて座ると、フゴフゴ言いながら俺の体を這い上って来て、首に抱きつき、眼鏡をむしり取り、喜びの叫びを上げる我が子。
たまに、本当に、タラちゃんよろしく「バブ!」と言ったり、ケツのあたりからうんこ臭をまき散らしていたり。いや本当に可愛い。親バカをバカにしてたけど俺もバカでいいや。


ちなみに、この間に、モノを投げる、モノを容器に入れる、手を振る、拍手、を教え込んだ。あと、人類の共通語、「まんま」がはっきり言えるようになった。飲み込みがよいじゃないか。さすが俺の子だ。


さて、ようやく風邪も本格的に治ったことだし。夏休みは何をしようか。今週中くらいには考えないと。

2009年7月17日金曜日

自由と規律 〜吃驚の邂逅

「嗚呼、麗しい『自由と規律』」

…俺の通っていた県立高校の効果の一節である。
BメロだったかCメロだったかも思い出せないが、ここだけは旋律もはっきり覚えている。


俺は、新卒の時はある程度大きな会社に就職したが、そこには馴染めず、2度転職し、今の職場に落ち着いて5年ほどが立つ。

入社した頃は10人前後の社員しかおらず、まさに自由、ただし誰かが手抜きをすれば即会社は傾く、そんな状況だった。これが俺には馴染めた。

だが、その後、会社は順調に成長してしまい、今は社員は5倍に増え、これからも増員が計画されている。
人数が増えれば、「組織」特有の病は月並みに発症してきており、20代のルーキーだった俺も中途入社5年、三十路も半ばの中堅社員となり、管理部門が強化され、日々、「規律」の部分はとりあえず水平は出てるから問題ないだろ程度の型枠にコンクリを流し込むように、着実に固められてきている。


システムエンジニアという仕事において、人間とその創造的活動を山崎パン工場のラインに配置された「大福に餡子を注入する機械」と同じような尺度で稼働効率を測ろうとする姿勢に、断固反対、というより単純に不愉快だという意思表明でレジスタンス的行為を行いつつ、これも仕方ないことか、と諦めかけている今日この頃だが。


今日、ふとした理由で、社長に呼ばれ、新しい事業を考えている過去の大手のお客さんと初めて会い、一緒に食事をした。

気楽な場で、いろいろとくだけた話をする中で、そのお客さんが、自分の会社の状況について話す不満は、俺が今の会社に抱くものと酷似していることに気づいた。日頃、俺の抗議を受けている社長もそう言ったくらいだから勘違いではないだろう。

2時間ほど飲み、くだらない四方山話もする中で、ふと、出身地の話が出て、あれ?まさか?と…明らかになったことには、そのお客さんと俺は、同じ高校の出身だった。相手は4つ上なので同じときに在籍はしていないが、そう変わらない時期で。

都内通勤圏に立地する高校ではあるが、その出身者に仕事の場で出会ったのは初めてで、お互いに驚き、ローカルなネタで随分と盛り上がったが…。


その相手と俺との双方を数年前から知る社長から言わせれば、「自由と規律」というその言葉は、我々の共通項にあるもの、そのバックグラウンドとして大いに納得できるものだとのことで、俺自身もそう思った。


高校は、普通に偏差値が合うという理由で選んだ県立高校で、ことさら惨めでもなかったが、ことさら際立つ思い出もなく、ありきたりで、どちらかというと地味な生活を淡々と送ったようなつもりでいた。

だが、ある側面から見たときに、今の俺やそのお客さんの考え方や行動原理を、この高校の「創立の精神」だか何だかが、雄弁に説明しているとは…非常に驚きだ。


もちろん、それはたまたま同じ高校出身の、関連した業界に身をおく二人が、たまたまある部分で似た資質をもっていただけかも知れない。しかし、偶然ではない、と考えることも、不可能ではない。

面白いと思った。


いずれにしても、自分の関わる周囲に限ってみてさえ、世界は広く、狭く、面白い。

2009年7月11日土曜日

シチメンヤマを探せ【思い出話】

まったく奇妙ではないのかも知れないが俺にとっては今、奇妙に思える符合について。


俺が幼い頃を過ごしたのは川崎市の「津田山」という場所。津田山駅は、東西に長い川崎市を横断し、東は川崎、西は立川とそれぞれある程度発展した都市を繋ぐ南武線の中程にあり、この路線中おそらくもっとも発展していない駅だ。

駅周囲には、いくつかの商店があったが本屋がなかった。銀行もなかった。隣の久地駅は駅前が小さな田圃だったため、津田山の子どもたちは久地を指して「すげえイナカだよな」とか言っていたものだが、後から冷静に考えると、久地には大きなスーパーも、数件の本屋も、銀行もあったので、明らかにあちらの方が発展していたのだ。

津田山駅前には、巨大な霊園があり、ほど近くに市の葬祭場があり、菊ばかり目立つような花屋と石屋が並んでいた。あとはせいぜい法要向けの飲食店が数軒あり、毎日喪服の一行が行き来していた。…なんという死の影の濃い町。まあ、子ども心にはそんなことはどうでもよかったが。



ところで、津田山、という地名は、駅などでは通っていたが、住所ではなかった。

そもそも、津田というのは、このあたりを宅地開発した(途中で頓挫したような形らしい)鉄道会社社長の名字でしかなかった、というのをさっき調べて知った。

山というほどの山ではなかったが、丘陵地帯なため起伏に富み、緑の多い場所で、小学生の頃は子ども同士、あちこちでクワガタを採ったものだ。よく採れるポイントは、仲間内で秘密にしていたり、それでも情報というのはどこかから漏れるもので、いっぱしの諜報戦が繰り広げられていた気がする。

「1区がいいらしい」「57区はノコ(ギリクワガタ)採れるらしい」「”亀”(のいる池が見える山の斜面)は採れるけど、禁止らしい」

そんな情報が、日々交錯していた。ちなみに「区」とは、津田山から隣駅までにわたる広大な霊園の区画のことだ。


大場所は既に有名だったが、その中で1つ、最後まで俺の周囲では誰もはっきりわからなかった場所があった。

その場所ではたくさん採れるらしいのだが、そしてすぐそこだというのだが、それがどこだか特定できない。特定できないのだが、夏が過ぎ、また次の夏にも、その名は情報に乗って流布される。

その場所が「しちめんやま」だ。

クワガタは、七面山に行けばたくさん採れるらしい。だが、それがどの山か、わからない。周囲は、ある意味で小山だらけだったから、「山」といっても全然限定できない。
俺は結構しつこく探したのだが、探すと言っても、そこに行けば地面に七面山と書いてあるわけでもあるまいに、どうしても見つけられなかった。

さて、その七面山の正体。

これを、30年近い時を経て、さっき、ふとしたきっかけで、ほぼ偶然にWikipediaで知った。

なんと。「津田」氏が宅地開発をする以前の津田山が、「七面山」だったのだそうだ。

とすると。つまりあのあたり一体が七面山だったわけだ。七面山というのは、ピンポイントでの場所を示していたのではなかったのか。おそらく、霊園の丘と反対側、駅の北側の山というか丘というか、その一帯のことで、古くから住んでいた人、つまり級友の父親とか祖父とかが、七面山という呼称を使っていたのだろう。

俺の家は、七面山が津田山になってから越していったものだから、親に聞いてもわからなかったのだ。たぶん。


さて、その疑問が解けたところで。


七面山と言えば、もっと有名な山がある。

七面山とは、「しちめんざん」と読む、山梨の山である。
これは、身延山地の山梨県内最高峰であり、日蓮宗の名高い霊場でもあるそうだ。



幼い日々の中で記憶の一端に印象強く残っているのは、ふらふらと近所を徘徊していると家々から聞こえるお経のようなもの。おばさんが数名、延々と何かを唱えている。

「なんみょーほーれんげーきょーなんみょーほーれんげーきょー…」


とても当たり前のことで、当たり前過ぎて環境音のように聞き流していたくらいだ。

近所では、創価学会の勢力が強いようだった。小学校の級友の親は結構な確率でメンバーだった。

創価学会は、日蓮宗から派生した新宗教だ。

小学校の友達は夏になるとなぜか身延に行くものも数名いた気がする。


ま、関係ないのかも知れない。


でも、もしかして、「しちめんやま」は「しちめんざん」だったのだろうか。

現職卑近生物図鑑シリーズ ゴマダラカミキリ

出勤しようとしたら階段にいた。
顎が鋭く力強い咬み切り。噛まれないように気をつけろ!

子供の頃、シロスジカミキリはよく捕まえられて、ゴマダラカミキリはレアだったのだが、最近はゴマばっか。川崎とさいたまという地理の差か、20年を超える時間的隔離の問題か、生活スタイルの差によるミクロな地理の問題か。

2009年7月4日土曜日

久しぶりに愛車にワックスをかけてみた



なんとなく、作業完了時の携帯写真。

とりあえず愛車というのとはマイカーというのと同じ程度の意味かも知れないが、でもやっぱりただマイカーと呼ぶよりは愛車だな。それなりにこだわって選んだクルマなので。

絶妙に厳つさと軽快さとが同居した感じがイカす118i。M-Sport専用色のルマンブルーの鮮やかさが自慢さ!

…と、思うのだが、なにせろくに洗車していないので常にくすんでいて哀しい。

今日、夕方に暇だったので、少し前に衝動買いしてあったシュアラスタークイックだか何だか、スプレーして拭くだけでカルナバ蝋入りワックスがかかる!的な代物を試した。ボンネットだけ。

結果。

やはり、ますは磨くことから始めないと、染み付いた垢が取れんようだ。あまりピカピカにはならんかった。残念だ。写真では結構きれいに見えるんだけどな…。



そうそう。マンションは洗車がしにくいから嫌だ。一戸建てに引っ越したい。




あと、今日の発見。

乳児の頭皮は、もつ鍋の匂いがする。

辛かったり味噌だったりしないもつ鍋。って、昨日、仕事帰りに食ったものだが。なんつうか、特上カルビとかもそうだけど、肉の脂が甘い匂いの時ってあるでしょう。アレだ。美味そう。

愛娘は今日で満9ヶ月。

甘い頭皮臭?もさることながら、栗色のふわふわの髪、血管の透ける白く薄い肌、その下のポヨポヨの弾力、2本だけ歯が覗くだけの口はよく開き、切れ長の目に茶色めの瞳、まばらな睫毛、小さな顎、その下にたまった肉の二重あご、ぽっこり丸い腹、縊れたソーセージのような短い手足に楓の手。それが言葉にならない言葉で喜怒哀楽を全身で表現しながら、精一杯の力で俺の体をよじ上って来る。(そして眼鏡をむしり取って大喜びをする…)

驚くべき可愛らしさ。


もともと特別、子どもが好きではない。でも自分の子は可愛いだろうな、と予想はしていた。が、その予想を遥かに超える上出来な可愛さだ。

…笑うとテレビで観た誰かによく似ている…


…と思っていたら、魔人ブウだと最近気づいたけど。

MacBookにiBATISを入れる

さあ、俺のMacBook(アルミ、10.5.6 Leopard)も、Tomcatを入れ、Eclipseを入れ、MySQLも入れ、だいぶアプリケーションが揃ってきた。余暇時間に使うべく購入したMacの正しい楽しみ方として微妙に何か間違ってる気がするが、まあ良い。

ここまで用意したからには当然、何かWebアプリを作ってみなくてはいけないわけだが、せっかくなので、仕事では使っていないもの…

いわゆるO/Rマッピングツールを試してみることにした。…最近じゃ、これ系の仕事でこの手のツール使ってないのはおかしいのかな?俺はおかしくないと思うけど、古いだろうか?

まず、概要を把握。
http://www.thinkit.co.jp/free/article/0606/13/2/


続いて、本家サイトを確認。
http://ibatis.apache.org/

そこの、ダウンロードページ
http://ibatis.apache.org/javadownloads.cgi

日本語ドキュメントも。
http://svn.apache.org/repos/asf/ibatis/trunk/java/ibatis-2/ibatis-2-docs/ja/

で、入れ方
http://svn.apache.org/repos/asf/ibatis/trunk/java/ibatis-2/ibatis-2-docs/ja/iBATIS-SqlMaps-2_ja.pdf


SQL Map Configファイルは、基本そのまま。SQL Mapファイルだけ、自分が使うのに書き換える。

SQL Map Config Propertiesは、接続先の情報だから書き換える。

で、使いたいオブジェクトに合わせて、SQL Mapファイルを作り、SQL Map Configの中のサンプル、Person.xmlの代わりに指定する。

これらの設定ファイルはすべてクラスパスの通っているところに置かなければならない。指定は、クラスをimportする時と同じように、最上位からディレクトリを辿るが、区切り文字はあくまでもドットではなくスラッシュだ。このファイル配置とパス指定が煩雑でタイプミスによるエラーも多く嫌いだ。

つまり、Tomcat + Eclipseで使うつもりの俺としては、srcディレクトリの、マップしようとしているクラスと同じパッケージ内に一般ファイルとして作成。

http://codezine.jp/article/detail/1289?p=2

select, insertまで順調にやって、insertをさらにまともにしようとしたら引っかかった。

beanのプロパティに、Enumのメンバーを加えたら、わけのわからんところでNoClassDefFoundException が。何か手があるかと思ったが、そこまでしてEnumにこだわってもたいして効率がよくなる部分でもないかなあ、と、スッパリ諦めて文字列を使うことにした。ヘタレ開発者の鑑。

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この後、メモを忘れてしまっていた。

結局何を作ったかというと、まあ、ありきたりだが、掲示板のようなものを作ってみた。タイトルと、記事と、記事に対するタグを付けられるというような。で、検索/表示+登録、更新、削除を実装。

これを進める中で、マッピング用のxmlはもりもりすくすく、元気に育っていった。

育つにつれて、煩雑さばかりが目についてきた。だいたい、XMLの中に条件分岐を書くってのはどうなんだ?もはやXMLに書くことのメリットがわからない。コンパイルしないファイルに書いてあるってことがそんなに偉いとも思えないし。

ということで、この手のツールに対する興味は、急速に冷めていった…。

MacBookにPostgreSQLを入れるつもりがMySQLを入れる

MacBookにTomcatとEclipseが入れば、次は当然DBMSを取りあえず入れたくなるのが人情というもの。

はっきり言って、自宅用のノートにDBを作って使い道なんかまったく思いつかないが、それを言ったらTomcatだってそうだし。
とりあえず、Macにそういうのを入れる、ということ自体が俺の中では斬新で愉快なのでやってみる。


PostgreSQLダウンロードページ
http://www.postgresql.jp/PostgreSQL/8_3/8_3_5

ソース版を選択。Mac用とは書いてないがWindows用インストーラを持って来てもしょうもないので。

オンラインマニュアルから、簡易版インストールマニュアル。
http://www.postgresql.jp/document/pg835doc/html/install-short.html

本当に簡易版だ…

で、ともかくやってみたら、

configure: error: no acceptable C compiler found in $PATH

だとよ。

Cコンパイラがない、ということだろうが、これを入れるにはMacPortsというのを使うと入れられるらしい。

で、それを使おうと思ったが、
$which port
とやったら入ってないらしい。

なので今度は、PostgreSQLを入れるためのCコンパイラを入れるためのMacPortsのインストールを試みる。

すると、そのためにまずXcode Toolsを入れろと。なんのこっちゃ。

http://developer.apple.com/jp/technology/tools.html
よくわからんが、
Xcode for Mac-only Development
でいいだろうと、ダウンロードしようとすると…
ログインを求められる。
とりあえず、iTunesとかで使ってるAppeIDを入れたら、さらに英語で住所登録を要求される。

適当に入力し、ダウンロードページに到着。
ダウンロード開始したが…

なかなか落ちてこないな…って998MBもあるのかよ!?

…イラネ。


やってられんよ。そこまでしてPostgreSQLを使わねばならない動機は俺にはない。


そこで、オープンのRDBMSでPostgreSQLと並び立つ両雄、MySQL
http://dev.mysql.com/downloads/
こっちに移動。

MySQL Community Server
をダウンロード。

Mac OS X (package format)
http://dev.mysql.com/downloads/mysql/5.1.html#macosx-dmg

おお、あるある。

Mac OS X 10.5 (x86)をチョイス。

なんかまた英語フォームでいろいろ聞かれるが、適当に気前よく答えて、ダウンロード。60MBくらい。

ダウンロードしたものをダブルクリックしてマウントしたら、pkgファイルが2個出現。
たぶん1個が本体でもう1個が管理ツールだろうなあ、と、とりあえず両方入れる。

起動は…わかんねえ。つうかどこにインストールされた?


仕方ないのでいやいやドキュメントを見ることに。
http://dev.mysql.com/doc/refman/4.1/ja/post-installation.html


/usr/local/mysql発見。起動を試みる。

$./scripts/mysql_install_db

[ERROR] Aborting

軽く失敗。
$sudo su -
$cd /usr/local/mysql
$./scripts/mysql_install_db

OK、OKと2回くらい見えたのでおkの模様。

mysql/binに移動して、
./mysqladmin version
./mysqlshow

とかやるとそれらしい回答もある。

わかったから俺はさっさとDBを作りたいのだが。

http://dev.mysql.com/doc/refman/4.1/ja/mac-os-x-installation.html

rootのパスワードがどうとか、aliasがどうとか、まあ後でいいや。

で、
$/usr/local/mysql/bin/mysql
がクライアントだということはわかったので、

チュートリアル
http://dev.mysql.com/doc/refman/4.1/ja/tutorial.html

に従い、
mysqlにて、

> grant all on test_jhon_01.* to 'jhon01'@'localhost';

ERROR 1044 (42000): Access denied for user ''@'localhost' to database 'test_jhon_01'
だってよ。

> create database test_jhon_01;

こっちが先なんじゃね?と思ってそうしたら、DBは出来たがユーザは依然できず、結局、

mysqlを終了し、改めて

$ mysql -u root
で入ったら出来た。さっきは-uは付けてなかったが、あれは何者として接続してた?…匿名か。

mysql> show databases;
+--------------------+
| Database |
+--------------------+
| information_schema |
| mysql |
| test |
| test_nkd_01 |
+--------------------+
4 rows in set (0.00 sec)

出きったぽい。

http://dev.mysql.com/downloads/connector/j/5.1.html
Connector/J 5.1なるものをダウンロードして、Tomcatのlibに置き、EclipseのDatabase Developmentパースペクティブにて、テーブル生成のテストまで完了。

ふう。


と思ったら、日本語が一切使えない。

http://wota.jp/ac/?date=20061011
が、ここに解決策を発見。

要は、MySQLは、アンチマルチバイト圏で開発されたアプリケーションにありがちな、世の中にはユニコードという立派な国際派文字セットがあるにも関わらずとりあえず文字っつったらアルファベット(Latin1,iso-8859-1)でいいだろという、気の利かないデフォルト設定になっているので、これを/etc/my.cnfなる設定ファイルを書き換えればよい、ということだった。

つったら/etc/my.cnfなんてねえよ。なんだよ。と思いきや。
http://kinoushi.blogspot.com/2008/05/mysql5-mycnf.html

Macは何かとアレだよね。いくらUnixになったとかiPod売れたとか言っても、依然、マイノリティ的苦労とは縁が切れない。

つまり、
/usr/local/mysql/support-files/my-xxx.cnfの適当なの(俺はsmallにした)を/etc/my.cnfにコピーし、
[mysqld]の直後に
default-character-set=utf8
skip-character-set-client-handshake

と書いて、

# ./mysqladmin -u root shutdown
# ./mysqld_safe &

で、前に作ったDBは相変わらず化けてるけど、
# ./mysql

mysql> crete datebase test_jhon_02;

で、こっちにつなぎ直したら化けなくなったよ。

ところで、02を作るにあたりgrantとかしてないけど実は関係ないのか?


それは、まあ今度気が向いたら確認しよう。いまのところ、俺はDBが使いたいだけであってDB管理者になりたいわけじゃないから。

2009年7月2日木曜日

ゴクリ…!

Gokuriはうまい。夏の風呂上がりによく冷えたのを一気飲みするのが最高。

今日は二日酔いがひどくて会社休んだ。昼になっても頭がクラクラ。

冷蔵庫の奥にGokuriがあったのを思い出し、半分ほどを喉に流し込む。

ふと気付くと飲み口のわきに数字が。

090306。


賞味…期限?

…3ヵ月前か…。

俺は思わず唾を呑み込んだ。