2012年1月24日火曜日

男の弱さ、脆さ

今日はびっくりした。

雪の予報は知っていたが、降水量の予想が1mmだったので、大したことにはならんだろうとタカを括っていたらまさかの積雪。

都内のオフィスを出た頃は「雪が混じって来たかな?」くらいだったのだが、さいたまは…つうか武蔵野線は止まってました。まあ、ポイント故障とかいう話だから、そんなこともあると諦めるところか。武蔵野線と言えば風が吹いても止まるってな感じで悪天候に弱かったのだが、最近は各種の工事により改善してきてたのだけどね。

それでも、(振替乗車の券を貰い損ねたのが悔やまれるが)バスを利用して帰って来られたのでまあ、良い。良かった。雪で滑った車に轢かれることも、無理に妻に車を出動させて事故ることも無かったのだから、良かったのだ。家に着いて、そう思った。

さて、しかしこのバスというのは酷かった。何せすごい混雑だ。予想は出来たのでタクシーも検討したが、何せ料金がねえ。ステーキ1回食えるくらいはかかるし、そもそもタクシー待ちの行列も凄い長さになっていた。

で、大人しくバスに乗ったのだが、何せあり得ないほどの混雑。と言っても、きっと朝の通勤通学ラッシュ時の2割増程度で、荒天時のデフォルト程度なのだとは思う。少なくとも、かつての山手線の伝説のように、圧力で本当に肋骨を折って人死が出るほどのものではない。足も地に着いていたしね。耐えられるレベルだった。

耐えられるレベル、とは言っても、俺は本来はあまり混雑に耐性がない。会社への出勤が遅いのも混雑した電車が嫌いだからだ。言い訳と言われようと我がままと言われようと、他人と身体を密着させるような混雑は嫌いだ。耐えられない。臭いも酷いし二酸化炭素分圧が高過ぎるし。

でも、それは日常としては耐えられない、という意味であって、今日のような特殊な場合に短い時間であれば耐えられる。嫌ではあるが、大人しくしていられる。

ところが、それが出来ない者がいる。

雪の中、長い列で待っている時、バス会社の社員が臨時に駆けつけて「…XX系統のバスですが、国道YY線でスリップ事故に巻き込まれまして、大幅な遅れが見込まれます!」などと大声でアナウンスするのを聞き、一人大袈裟に溜め息を付く。何やらブツブツ独り言を言う。

満員の車内では、やれ傘だかカバンが足に当たるだの、混み過ぎだの、降り難いだの、何かにつけてブツブツと文句を足れる。降りる人がぶつかる(満員なのだから当然だ)とイチイチ後ろから睨む。そして、こういう場合に常に目撃するのだが、一度立った場所から動かない。掴んだ吊り輪を離さない。愛する人が崖から落ちるのを必死で繋ぎ止めているその腕であるかのように、身体が押されて離れても、その手だけは放さない。あるいは、床から足を、1センチだって動かさない。

これらは、はっきり言ってまったく理に適っていない。けして快適な環境でないのはその通りだが、それに対する反応として、まったく合理的でないのだ。にも関わらず、そういった攻撃的あるいは防衛的な振る舞いをせずにいられない。

それはつまり、ストレスに対する適応機制なのだと思う。つまり、その非日常的に不快な状況に対して、平常心を保てなくなった者のギブアップ宣言なのだ。もうダメです。苦しい、疲れた、こんな状況には耐えられない、叫び出したいです。と。

たかだか、電車かバスが遅れたとか混んだとか、その程度でね。大の大人が。



いささか恥ずかしいことだと思うのだが、そういった行動をとっているのが、大抵は…というか、俺の経験した範囲だけであればおそらく99%くらいは、男なのだ。

今日も、爺さんが2、おっさんが1、若い男が1。そんな感じ。


それで、結局のところは、男というかオスというのはストレスに対する耐性が弱いのかなと、こんな時にいつも思うのであった。


とは言え、深夜に近い帰宅時間という都合上、そもそも男ばかりだという確率の問題なのかも知れない。んー、でもどうかね。今日のバスにもお姉さんもおばさんもそこそこ混じっていたけどね。やはり、おっさんの不満の方が…本人は苛々を声に出して、ある意味ワイルドに思っているのかも知れない(実際、「俺はこういう時に黙ってらんねえからよ!なんで皆黙ってんだ、だから日本人はダメなんだ」とか宣っているおっさんもかつていた)が、その内容と声音は、俺にはストレスに押しつぶされる寸前の悲鳴にしか聞こえない。

だから、科学的な判断ではないが、やはり環境ストレスへの耐性という点では男は弱い、というか脆いなと思う。


もっとも、かと言って、俺が女性を見る時にいつも「女は強い」などとくだらないバイアスで判断しているということはない。それは、「アメリカ人?なら彼は金髪で碧眼なのだな」という判断と同じ程度の精度しかない発想だということも、よくわかっているつもりだ。

2012年1月22日日曜日

とりあえず、走ってる

いろいろやりたくて、出来ないでいる。理由はいろいろあって、だが瑣末なもので、本当に理由なのだか本当は言い訳なのだか、わからない。

で、体力系については、ともかくせめて休日に走るくらいはと。

夕方なので、東廻りにコースをとったら、後半は富士山が綺麗でよかった。

豚まんは電子レンジじゃダメだ

昼に豚まんを食った。

チルドの。どっちかと言うと俺はこの食い物を「肉まん」と呼ぶのだが、こいつはパッケージにそう書いてあったから豚まんである。

いずれにせよ中華まんは昔から好物だ。だが、最近は家で食うとどうもしっくり来ない。中村屋や井村屋であってもだ。

これらブランドはコンビニの中華まんも供給しているので、基本的にモノが悪いわけじゃない。少なくとも、俺の期待値までのクオリティは有しているはずだ。

となれば、しっくり来ない原因はやはり、調理方法。つまりレンジで温めるというやり方にあるのではないか。最近では、パッケージにも「電子レンジの場合」という温め方が記載されており、中華まんの公式調理方法となった観のあるレンジ法だが、かつては、レンジで調理して失敗するアイテムの代名詞といえば中華まんという時代もあった(と思っている)。

つまり、中華まんを普通に電子レンジで温めれば、確実に固くなる。中華まんは蒸すもの、つまり熱と同時に水分を加えながら調理するものであるのに、電子レンジは水分を奪ってしまうからだ。本体を炙らずに水を温め、その高温の水分を本体に含ませることで本体を温める「蒸す」という方法と、本体に含まれる水分を温め、気化に脱水を招く電子レンジ。考えてみればまったく逆のアプローチである。

と言う事で、昨今ではご存知の通り、この手の調理においては水をふりかけラップして…という手法が編み出され、定着するに至ったのだが、果たしてそれで問題は解決しているのか。

電子レンジはやはり、蒸すと同等の機能は持っていない、それが、俺が家で中華まんを食う際の残念な感覚につながっているのではないか。

ということで、蒸すことにした。

が、蒸し器がない。

そこで編み出したのが以下の方法だ。



パスタ鍋の内鍋に凧糸を二本、橋渡し(つまり穴に通して輪にした状態)し、そこに割り箸を2膳、枕木状に配置した。やや綱渡り的な不安定さがあったが、慎重に扱えば十分役に立つ。あとは通常通りに外鍋に入れ、低く水を張って沸かし、蒸すのみだ。ちなみに蓋に布巾を挟んだりはしなかった。最近の鍋は密閉性が高いというか、蓋の合いが良いから大丈夫じゃねえかなと。

これで、3つの豚まんを蒸した。

豚まんは4つ入りだったので、1つは、レンジで調理した。茹でもの専用のザル状のインナーが付いたタッパーでなので、電子レンジ的にはだいぶ頑張った調理だ。蒸すのは湯が沸いてから5分からかかるが、電子レンジは1分で出来るのは確かに美点だ。

だが、出来上がったものは、やはり違っていた。

まず、皿に載せようと掴んだ時点で明確に手応えが違っている。レンジのは普通にやわらかくなっていたが、蒸したものはもっとこう、指に吸い付くような柔らかさだ。

そして、実際に食べれば、蒸したものが明らかにもちもちのふにゃふにゃ(まあ、コンビニで買うのと同じだ)なのに対して、レンジ調理品はやはり、どこか芯が感じられる。パンを食っているような、というか。

さらに驚いたのは、味が違っていたことだ。蒸した方が生地が甘かった。おそらく、食感の違いのせいではあるまい。澱粉と水と加熱の何かの作用が甘みを引き出しているのではないかと思う。糖がどうとか、そんな話で。面倒なので調べないけど。

なので、これからは断固、蒸すチルド食品は蒸すと決めた。

しかし、だからといって蒸し器を買うのは邪魔だし嫌だ。鍋に入れて使う変な羽みたいな簡易蒸し器?も見たことがあるが、あんなのも邪魔だ。そこで、凧糸方式の改良を試みた。

それがこれ。



…我ながら、器用なものだと思っている。2本の綱渡りだった凧糸の二カ所を結び、それを別の糸で外側から引いて蜘蛛の巣状にした。凧糸がもったいなかったから別の糸でやったけど、最初からこうするつもりなら1本でも出来るな。台所スポンジを載せてテストしたが、肉まんくらいなら、十分に安定して乗りそうだ。

…まるで亀の甲羅のような幾何学的パターンだ、という点から余計なことを着想しそうになるが、それはしなくていい。ただ、こういうことをさらっと思いついて実現できる自分のクリエイティブさに感心してしまった。




追伸

夕食にはチルドシュウマイを食った。この時点で、鍋の中にお菓子作りようの「ふるい」を伏せてやれば見事に蒸し器になるということを発見し、上記のアイデアはお蔵入りになった。

ま、シュウマイも、レンジ調理より格段にうまかったわ。皮のもちもち感が違う。蒸すのが、すっかり気に入ってしまった。今度はあんまん食べよう。

2012年1月21日土曜日

本を読むことは役に立つ

が、本に書いてある字を読む事自体はさほど役には立たない。

…昔から云われていることだが、本当にその通りだと思う。子供なら、まだ良い。それでも読んだ本が教科書ならば成績はそれなりに上がるだろうし、物語を読んで本来そこから得られるはずの感動の半分も得られなかったとしても、何かの暇つぶしにはなる。いくらか語彙も増えるだろう。

だが、大人だとタチが悪い。特に、ビジネスハウツーに近いものだと最悪だ。よくベストセラーだと電車で広告されているような、極めて浅薄なものであれば、その内容の無さに気付かないで何かわかった気になるという問題があるし、先見と洞察に満ちた良書であれば、その内容の深さに気付けないでいながら何かわかったような気になるという問題があるし、どちらにしてもそういった勘違いは周囲からすればいい迷惑だ。

大人が本を読むということは、字を読むことではない。考えることだ。著者の問いに答え、答えに問いかけ、対話することで何かを得るのだ。書いてあること自体が重要なのではなくて、それに対して自分が考える事が重要なのだ。俺はそう思う。

書いてあることをそのまま読んでそれで済むのは、せいぜいが18歳までだ。それを超えてそんな読み方しか出来ないなら、いっそ字なんか読むのは止めた方がいい。時間とカロリーの無駄だから。


…なんでかな。急にそんなことを思いつきました。寝よう。

2012年1月20日金曜日

富士塚

先週の日曜日は、血迷って10km走ってしまった。
その途中で富士山にも登ってしまった。



自宅の近く(と言っても隣駅に近いか)に、富士塚があったとは。富士塚とは、その昔に富士講の流行とともに各地に作られた、ミニチュア富士山。本物の富士山に参詣出来ない人も、これに登ることでご利益だか何だか得られるという大変に便利なものだ。確か。詳しくはWikipediaでも見てくれ。

もっと小さいものもあると思う。これは、結構立派な方じゃないかね?広大な田圃の端にあるので、頂上からの眺望は悪くなかった。昔ならもっと良かったろう。

ランニング中で小銭も何もなかったので賽銭も入れなかったが、一応、手を叩いてナムナム…いや違うか、まあ何かの神にお祈りをしておいた。

ま、信心は無いのだが。いや、信心が無いわけじゃないか。

ともかく、何か祈るなら妻子の健康を祈るようにしている。自分のことは自分で何とかするのでね。

2012年1月15日日曜日

フレンチトーストを効率良く作る

うまく出来た。

検索したらすぐ出て来る、ホテルニューなんとかのレシピを参考にしつつでやったが、なるほど過去に俺が作ったフレンチトーストの中で最高の味であった。気に入った。

今回、卵液を残さず使うという点でも非常にうまくいったので、方法をメモる。




ちなみに、焦げてるのではなく、既にシナモンパウダーとメイプルシロップが大量投下されているのである。シナモンは、GABANのものを使っているが穴がでかくてダマになると味もイマイチなので茶こしを通してかけている。

で、今回の材料のあんばい。

  • 8枚切食パン2枚。普通の食パンの残りで少しパサついてしまったもの。
  • 卵1個
  • 牛乳100cc
  • 砂糖 大さじ1(軽くすり切り)
  • 焼く時に、バターとサラダ油。それぞれ小さじ程度か。適当。
で、卵、牛乳、砂糖をボウルで混ぜるのは当然だが、その次に、これをビニール袋に入れる。で、パンを入れて、さらに空気をストローで吸い取る。



と、こんな具合になって、全体に液体がまわるので、その状態で冷蔵庫に入れ、1時間ほど置いておいた。結果、見事に均一に液が沁みて、パンを取り出した後は袋はそのまま捨てる程度にしか液が残らなかった。ブラボーだ。

あとは、ググったレシピの記述通り、フライパンにバターと油をしいて蓋して弱火でじっくり焼くのみ。とは言え、後半は気を抜くと一気に焦げるなこれ。要注意だ。

8枚切りで薄かったせいか、片面5分…かもうちょいくらいだったと思う。が、ともかく見張ってたまにチェックするのが一番だな。

かなりフニャフニャな感じだったから、同じ液量でももう少しパンが多くても悪くないのか。でもフニャフニャ感がむしろうまかった。

また作ろう。

2012年1月9日月曜日

ビッグアメリカ グランドキャニオンバーガー

アメリカバーベキューソースのような甘スパイシーのワイルド系の味である。

でかいパティで食べ応えもあり、このジャンルとしては特にヒネリのない単純なうまさ。いける。

2012年1月7日土曜日

年末年始のうまいものリスト

引きこもってても一瞬で過ぎた年末年始の、惜別の回顧録。

あー。正月休みなんて2ヶ月くらいあってもいいのに。

では、クリスマスの連休から…


予告通り、クリスマスにはローストチキンを作った。ちょっと良い肉(といっても通常1本300程度に対して500円程度のものという意味)をチョイスしたので美味かった。マーマレードと醤油などに漬け込んでオーブンで焼いたものである。


アボカドの切り方をマスターしたと思う。角切りにして、クリームチーズとクラッカーと食うとツマミというかデザートというか、微妙な感じなんだがうまい。


牡蠣フライ。久々に衣付けるところからやった。加熱するなら生食用でない方が美味いと知って、たまたま宮城産だかの加熱用があったので、思い付きで。粉付けたりするのに洗い物が増えるのを敬遠してビニール袋とかで適当こいたら、ちょっと衣が不均一になったが…牡蠣は確かにジューシーで美味かった。


年末年始には、東北在住の義姉が遊びに来た。お土産の「はやぶさロールケーキ」。中身は、やや細身の普通のロールケーキだったが、新幹線が大好きな娘(ザッキー3歳)は大喜びで、いつになく元気に食っていた。その後、いまだにこの空箱をオモチャにしている。


同じくお土産、これはリクエストしたもので、青森県は津軽海峡産の潮うに瓶詰め。ウニ瓶なんて臭くていけねえ、という勿れ。青森辺りのものは、東京のスーパーマーケットで普通に売ってるものとは違う。

これを、刻んだ大葉とともに切り込みを入れた蒲鉾スライスにホットドッグ状にはさみ込んで、わさび醤油をちょっと付けて食うとすげえ美味い。


色合いよく写せてないけど、年越しそばには春菊と海老のかき揚げを合わせた。以前はよく鴨そばにしてたけど、近所のスーパーで鴨売ってなかったし海老が売ってたから。冷蔵庫に残ってた人参と玉葱もちょっと混ぜたのだが、この2点はやはり薬味的に香りがよくなって良いな。パリパリのサクサクで上出来であった。

ちなみに蕎麦は、近所の買い物好きの奥さんが分けて(と言うのか?代金は払ってる)くれたもの。絶品!というほどのものでもないが、腰もあってなかなか良い。…俺の茹で方の功績が大きいかも知れんがな。でかい鍋でがっと茹でて、氷水のように冷たい水でガシガシ冷やしたからして。





今年はネットでおせちを頼んだ。去年は底上げが話題になったけど、ネットの買い物でのリサーチ力に自身を持つ妻が選んだだけあり、味も量も満足だった。早期割引適用でも1万円ほどしたのだが、バラで買っても結構かかるし、それだとこんな種類は揃えられないからねえ。




そしてこれは自作したローストビーフである。特売の交雑牛で作ったが、美味い美味い。塊を切るのが楽しいし、ちょっと厚切りにしたりして。ちなみに、写真のトマトはプチトマトではない。中くらいの奴だ。

レシピは、以下を参考にした。
http://www.kobebeef-shop.com/recepi/roastbeef.html

フライパンで表面を焼いて、220度で30分、取り出してアルミ箔で30分。アルミ箔はなくても良さそうだったが、妻がレアを嫌うので。


実は、さらに煮豚もあって、これもなかなかの成功で妻や義姉にも好評だったのだが、酔っぱらったか写真を取り忘れたようだ。煮豚は、今年は普通に醤油やみりんで作った。去年まではドクターペッパーやコーラで煮てたんだけど。






最後は、うまく書けてる愛娘ザッキーの書き初め。「のこぎりくわがた」。…3歳2ヶ月だぜ?すごくないか?俺なんか6歳まで字書けなかったのに…。

ちなみにザッキーは、カタカナも読むしiPhoneでなら漢字も書く。俺はもう驚いちゃって、あちこちで自慢しちゃってますよ。



あと、ロスタイム的3連休をせめて満喫するべく、今日は寝よう。