2015年5月8日金曜日

あの武甲山登山

GWに登山してきました。

渋滞を避けたいので電車の便が良いところをと思い、埼玉県の秀峰武甲山をチョイスです。自宅の窓からいつも遠くに見えているし、昔はバイクでのツーリング中にもよく見ていたので、あの独特の山容が気になってたというのもあります。

手持ちの本によると秩父駅からタクシーで登山口へ向かうのがセオリーのようでしたが、そもそもそこまでハードでもない山なんだからと思い、横瀬から徒歩で一の鳥居を目指しました。1時間ちょいくらいだったんじゃないかな?道中、武甲工業の設備などがあり、「何か”プレジデント武甲”がいる”武甲カンパニー”ってイメージあるな」などと同行のP君と妄想会話をたのしんでいたら、わりと飽きずに歩けました。




この写真はスケール感が出てませんが、なかなか巨大なコンクリートの、塊感・・・ソリッドというよりバルクと言った感じですかね?の建造物が、山肌に張り付くように食い込むように建設されて、ガシャガシャと音を立てて砂利のようなものを運んだりしています。

話逸れますが、ここがどうだかはともかく、一般的に鉱業には環境汚染や健康被害などの負の側面、暗い歴史があることは承知していますが、僕が持っている登山ガイド本で見かけたような見方、つまりこういったものを「自然を傷つける不快なもの」と切り捨てるようなものの見方はどうなんだろうと思います。

僕も子供の頃には自然は常に尊いという価値観をストレートに受け入れて、世の中のすべての開発を悪しきものと考えて憤っていましたが、この歳までずっと考えながら、ちょいちょい釣り行ったり山にも登ってみたりしているとですね。

別にすべての開発を必要悪と認めるわけではないし、そういう発想もまた拙いとは思うものの、さんざんそういったものの恩恵に預かって生活していて、また、そういう自然を犠牲にした開発のおかげで、ただの便利や娯楽のためでなく、本当に救われてきた命や価値というものがどれほどあるのかということもよく考えてみもせず、原生林のようなものばかりを神々しく尊いものと崇めるかのようなものの見方は、非常に幼いエゴによる態度だと思うのです。

石灰の切り出しで痛々しい姿となった武甲山ですが、その石灰はおそらくコンクリートとなり、方々でビルや橋や道になったのでしょう。それを作る時にまた自然が失われたりもしたのでしょう。中には無駄な工事もあったでしょう。そうやって生きてきた人間(社会)には罪があるだろうと思いますが、悪だというのは早計です。

罪もなく生きていけるものなんて人間以外にだっていやしないと言ってみても、人間はとりわけ多く大きな罪を犯しているのも確かですが、同時に人間ほど罪と向き合っている存在は今のところ宇宙に他にはいないのだから、そう恥じることもないのだろうと思えます。




まあ、そういうわけだから、こういうものもあるわけです。







武甲山、登頂して撮った写真はさほど綺麗でもなかった(もやっていたし)ので、そのあたりはすっ飛ばして、浦山口に下山した際の橋立鍾乳洞です。

巨大な岩盤に嵌り込むように、秩父巡礼の札所二十八番、橋立堂があります。ちょっと面白い光景です。

巨大な岩の質量感というのは人を圧倒するものがあり、それだからこそ畏怖や信仰の対象ともなるのだろうと思います。人間の、自然への畏れの顕現でもあり、反対側の登山口の鉱業設備との概念的な対称性が見事です。


そういう意味では、横瀬から歩いて浦山口に抜けるこのルートは(あるいは逆から行っても)、実に見どころのあるというか、考えさせられるところがあり面白いコースだと思いました。山登りだと言って山野草と高所の展望だけ見て「わーきれい」では小学生の遠足です。たくさん歩けてすごいだろー、というのならルームランナーでもやってればいいのです。大人はいろいろ勉強しているのだから、自分なりの考え方、見たものに対する解釈というのをする、という姿勢が常に必要じゃないかなと思います。


さて、それでも16時ころには駅に出て、そこから秩父駅まで移動したものの、連休だけあり特急も終電以外満席。

でもせっかくなので特急に乗ることにして、それまで散策をすることにしました。


で。



めんまぁぁぁああああ!!!





・・・てな感じの場所に行ってみました。いわゆる巡礼ですね。秩父札所巡りとかじゃなくて、ダメな方の巡礼。「あの花」です。

まあ、あれですよ。アニメですから、文化。これは文化なのです。

原始的な信仰では救いきれない世界を救ってきたのが科学により切り拓かれた技術、その技術を行使する人間の力です。しかしその力で救いきれない人の心を救うのが信仰です。この不安定な天秤を揺らし続けるのが文化です。その文化の、人類的に見てもっとも新しい表現のひとつがアニメです。わかりやすいアイコンとしての物語、寓話です。

この秩父を舞台にして、幽霊少女をロケットで送ろうというお伽話が語られるのは、ある意味では必然なのです。だから、武甲山に登ったらあの花巡礼、というのも自然。


・・・もう一度、強調します。

「武甲山に登ったらあの花巡礼、というのも自然」。


これを言いたいがために僕はこれだけ長い前ふりをしました。あー疲れた。


作品自体、もう数年前ですが、僕が見たのは去年の春です。ひょんなことで一話みて、いっきに全部見ました。主人公の不器用な生き様がもどかしくも、共感できるんですね。制作陣の思う壺なんでしょうけど。

この橋も何かバイクで通ったことあるような気もしてたんですが、記憶が定かじゃなくて。知ってる場所のような知らない場所のような。でも、訪問してみて何だかちょっとスッキリしました。ああ、こういう場所かと。以前から知ってたかはわからないが、今はともかく知ってると。


しかし未だに結構、あの花巡礼と思しき人達がいるのが驚きでした。「思しき」じゃないよな。すれ違いざまに「めんまが・・・」とか聞こえてきたし、スタンプラリーやってたり、ポスターと同じ構図の写真をしつこく撮ってたり。完全に、だ。好きなものにエネルギーをかけられるってはいいですね。失礼ながら、いかにもオタクという感じでちょっと挙動が変?な人もいましたが、別に迷惑になるわけじゃなし、微笑ましく感じました。

つうか、むしろ駅や居酒屋で、いかにも「山男」って感じの風体の男グループの方が、大勢のいる場所で傍若無人に叫んだり、人が大勢いるところでタバコふかしたり横柄な態度で地元の人に接したりと、見ていてムカつくような輩が何組か目立って残念でした・・・この日だけの偶然なのかも知れないけどさ。・・・・なんでああ、「俺は強い男」的示威的態度を取らないと気がすまないんだろうか。バカだからか。そうか。ガキが深夜の幹線道路でバイクの空ぶかししてるのと何にも変わらん。


まあ、あまり思い出しているとウザさが甦ってくるのでこの話はもういいや。




このエントリーは半分くらいネタとして書きましたが、実際、秩父というところは少し不思議な魅力がある気もします。西武鉄道のサービスもいまいちだよなと思ったりとか、秩父橋の最寄の駅の前の弁当屋?は夜逃げか?とか、いろいろと微妙なところもありつつも、やはり地質的な古さ(恐竜の時代のもっと前の岩石も多い)からくる奥行きの深い自然と、それだからこその信仰と鉱業と、関東の外縁部としての境界感と。

頻繁に通うことはないでしょうが、また行ってみたいかなと思いました。

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