2016年7月14日木曜日

ジブリ映画の意味不明さ

多くの人が賞賛する、そして俺も賞賛するジブリ映画の意味がよくわからないとか、しかし正確に言えば「俺はわかってるけどお前らはわかってない」、というような話を見かけた。

http://d.hatena.ne.jp/type-r/20150226

引用の引用になってしまっててアレで、語り口がずいぶん偉そうだなとか思ったりはしてなんだか読んでると不愉快だけど、言わんとすることはわかる気がする。

ただ、いうほど多くの人が誤解?をしながらジブリ映画を見ているのだろうか?

実は明確なテーマなどないことは創作ではわりと当たり前のことなのじゃないだろうか。戦争反対だけど兵器はかっこいいという感覚はむしろ普遍的なのではないだろうか。

ナウシカを観て戦争反対、森は大切、というメッセージが重要だと思う人がどれほどいるのだろう。あれはただ単にヒロインが強くてかっこよくてかわいくて、メカもかっこよくて、人間の戦闘も大型兵器や巨大生物の戦闘もひたすらかっこいいということが重要な作品じゃないのだろうか。見た結果、「ああ、火の七日間をもたらした人間の罪は深い、腐海の生態系を理解できない人間も愚かだ、虫をも愛でる博愛でエコロジーを理解することこそが重要だ」というような感想を持つことも自由だが、それはある意味ロールシャッハテストみたいなもので、受け手の問題だろうと思う。それがふつうの捉え方ではないだろうか。

まあ、友人知人の少ない俺の考える「ふつう」よりは多くのところで人の話を集約してるソーシャルな人の意見の方がきっと的を射ているのだろうが・・・。

俺の親は、映画や本にはテーマというものがあって、それを感じ取ることが重要だと子供の頃に教えてくれた。お陰で映画を見たりすることがちょっと億劫になった。
その後、俺はなんだかんだで、一部のメッセージ性の強いものを除いて、たいがいの映画や小説にテーマなど実はないと思って観たり読んだりしている。作者は、思いついた描きたいものを描いているだけのことがほとんどなんじゃないだろうか。
ただ、商業でやりながら、テーマを問われたりするので、思いつきで何かを含ませたりすることはあるんだろうけど、根本的には思いついたものを具体化しているだけじゃないかと。

戦争と兵器についても、子どもの頃にガンダムを観ていると「戦争の話で面白がっているのは日本の子どもだけだ」と親に説教されたものだが、しかし面白いものは面白いと思ったし、それだからといって実際に戦争が起こればいいと思っているわけじゃないのに何が問題なんだ?と思ったりしたものだ。戦争放棄を掲げる政党に肩入れしていた叔父がしかし趣味では戦闘機のプラモを作っていて、親父(叔父の弟にあたる)は、「わからない」と評していたが・・・なるほど、そうか。わからないものなのか。

道具に罪があるのではなく、道具を使って罪を犯す人がいるだけだ、とか、いやしかし兵器はその出自から罪を背負っているとか、そういう理屈以前に、F22とか格好いいでしょう。海でたまたま自衛隊の艦船を見た時にも、戦艦ではなくても、民間の船とは明らかに違うその質感に痺れるものでしょう。その後で、「これが使われたら人が死ぬのだ」と思ったとしても、だからといって「格好いい」と思った気持ちまで否定しなきゃいけないことはないだろう。

きっと問題は、立派な業績を残した偉人は常に一貫した崇高な信念に基づいて行動していたのであり、そこから勘案して人間が常にテーマと目的をしっかり持って生きていないと立派でいられないと考える、そんな思い込みにあるのではないかと思った。

とすると、しばらく前からビジネス界にも蔓延る、目標管理とかキャリアパスとか、そういう考え方もそういう延長にあるわけで、くだらない思い込みだと思ってしまう。今はそういう組織から自由の身だが、上長として部下に目標設定をさせなければならなかった頃には、苦労したものだった。・・・・自分に目標がないのに他人にそれを決めさせるという役割に。

ちなみに自分はプログラマだ。立派な目標は書けてもまともに動くプログラムは書けない社員もたくさん見たが、自分にはまともな目標は書けなくても十分に動作するプログラムは書けたと思っている。目標は、あって悪いこともないが、なきゃいけないものでもない。(『納期』とかの目標は別として。)

・・・と、ここまで来て、そんな考え方が「蔓延っている」と感じていたということは、なるほどやはりジブリ映画は誤解をされていることが多いのかも知れない。他の映画も。


ところで、この投稿のきっかけとなった冒頭の記事にいきついたそのきっかけは、「変態仮面」の実写映画を観たからであった。ろくに期待せずに観たのだが、面白かった。

実は言いたかったのはそれだけだ。


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