2011年2月22日火曜日

ほっかほっか亭に呆れる

昼から会議があって時間がないので仕方なく、職場のすぐ近くの「ほっかほっか亭」でワゴン売りの「のり弁当」を買ってきて今まさに食っている。すげえ不味い。290円の価値が感じられない。この海苔は紙ではないのか。

そもそも数年前、ほっかほっか亭は、ワゴン売りをするのはほっかほっかのポリシーだか創業精神だかに反するのにそれをした、ということで大手フランチャイジーのプレナスを排除したのではなかったか(現・ほっともっと)。

問題はもう少し複雑だったのだろうが、方便であれ、ワゴン売りをそれだけ非難したのだ。それを自らがやるとは。しかも何の工夫もなく、普通にかなり冷めて不味い弁当を売るとは。コメ硬くなってるし。海苔噛み切れねえし。

東日本はプレナスの方が強いのだから、近所の店も「ほっともっと」になれば良かったのに。「ほっかほっか亭」の弁当は二度と食わねえ。前にも言った気がするが今度こそ。

海苔とコメが最悪に硬くて不味い海苔弁当って、もはや弁当ではないだろ。

2011年2月15日火曜日

まさかのドカ雪

ま、幸いにしてさしたる混乱もなく帰宅出来ました。

2011年2月12日土曜日

眼鏡を買い替えた。

今まで使っていたのは、1年ほど前に買った5万円ほどもするものだったのだが、どうも掛け心地が悪かった。眼鏡屋曰く、「服飾ブランドの名前だけ付けたようなのとはモノが違う」だけあって、手の込んだ造りではあったのだが、下側フレームにボリュームのある形状の問題かどうも重たく、ズレやすく、しかも視界にフレームが邪魔だった。

ついでにメタル部分の塗装も禿げてきたので、心機一転のためにも眼鏡を買い替えることにしたのだ。

で、今度はしばらく前にオダギリジョーの電車広告で知った「JINS」。最近の廉価眼鏡チェーンだ。

近くのショッピングセンターに店舗があるので買いに行き、さくっと作ってきたのだが・・・。

最近流行のウェリントンは、俺が高校生の頃にも流行っていたはずだが、当時に使ったものの、どうにも周囲には不評だったし自分でもあまり似合わないと思っていたのでパスとして、チタンのメタルフレーム(これがレンズ付きで7990円とか)にしようかと思っていたのだが、かけて見るとちょっとかっちり過ぎるかと思い、つい、今まで使っているのと似たものにしてしまった。まあ、デザインは気に入っているのでいい。

写真の、俺の選んだフレームはセル調のメタルで、7990円。

持ち帰ってから今までの眼鏡と重さを比べると、30gと28gと、少ししか変わらない。が、以前のものはレンズも高級だったので、おそらくフレームの重さはもうちょっと開きがあるだろう。どっちにしても、かけた感じは軽くなったし視界も良好だ。

何でもかんでも価格が高ければ品質(とりわけ機能的な意味において)も良い、というのは現代には通用しないのだなあ、と実感した。


2011年2月9日水曜日

聖剣伝説2 ― 10年ぶりにRPGをやる。

先日、ついにガラケーと決別しiPhone4を入手した。

今まではauだったからAndroidという手もあったのだが、1)最近のauが嫌い、2)俺は15年来のMacユーザー、3)auのAndroidはガラケー仕様、4)俺にはAndroidがモバイル端末版Windowsに見える(本物のモバイル用Windowsの存在は俺の視力では見えないほどにちっぽけ)、などの理由により迷わずiPhoneをチョイスした。

ケータイにおいては、ゲームどころか有料コンテンツも見なかったし、着メロの類も初期に1、2回使っただけだったが、iPhoneでは違う。

ということで、無料のAppをいくつかと、早速いくつかの有料Appも入手した。その中でも、購入前からiTunesで気にしていた、俺の中で極めてホットなAppがコイツだ。


・・・スーパーファミコンのソフトとしては1993年の発売。ちょうど大学受験の頃、つうか浪人してた頃。まあ、俺の高校は浪人率が極めて高く、友人も漏れなく浪人だったので、暗く寂しい浪人生活というよりは、長い夏休みという感じだったが。

と、このソフトの発売も確か夏で、暑い中をチャリンコをこいで玩具店に出かけたのを覚えている。ちなみに、我が家のスーファミは妹のものだったが、このソフトだけが俺が自腹で、しかも新品で買った唯一のものだったと思う。

ゲームの内容そのものよりも、発売前の広告でこの表紙のイラストを見て衝撃を受けたのがその執心の理由だが、しかし内容も良かった。

当時(今もか)主流のドラクエ、FFとはまた違った空気、強いて言えば民俗的な雰囲気をまとった世界観が、よく出来た音楽とともに印象に残った。ストーリーも悪くないが、それ以上に世界観が良い。


で、そんなお気に入りのゲームだったので、FFⅦのクリア以来は遠ざかっていたRPGを実に10数年にプレイしている。

・・・で、結果、とても眠い。そういうこと。






2011年2月4日金曜日

軟骨

免許更新

残念ながら違反者講習なので、会社を休んで来た。まあ休むのは好きだから構わない。

だがやはり、優良運転者講習と違反者講習の教室は空気が違うなあ。明らかにバカっぽさのレベルが。

もうこっち側には来たくないなあ、と思った。

2011年2月2日水曜日

労働の価値は動的であると

先日の日記は、何か情けないことを書いたような気がする。今日は10日程ぶりにEclipseに触れた。ちょっと焼き付いていた頭がやっと回り出した感じだ。

Amazonから本が届いて、今日から読み始めた本がある。







これ。マルクスの資本論。

ネットの何かの記事で紹介されていて興味を引いたので買ってみた。文庫で安いし。古典も良かろうと。古典と言えば、試しに買った「レ・ミゼラブル」は1巻の1/3程度まで読んで何も面白く感じられずに放棄したままだ。今のところ、資本論はそれよりは面白い。喩え話や大袈裟に叙情的な修飾(昔は自然だったのだろうか)が的を得ているところなど、意外に笑える。・・・と言ったら言い過ぎだが、実際、ちょっと面白いなと思う。

今度、その気があったら適当に引用でもするわ。


・・・俺の親父はバリバリの共産党員だった。稼ぎがイマイチだったのはプロレタリアートとしての人生を全うしようとしていた為ではなく、ただ単に不真面目だったから(或いはあるところで生真面目過ぎたから)だったと思うが、家には「共産主義読本」上下巻があり、「これはいずれ読むべき」と言われたことを覚えている。ついぞ読んだことはないが。

ただ、マルクスやエンゲルスといったあたりは、思想家としては未だに高い評価を与えられている筈で、左翼だなんだと安易なレッテルで捉えるのはいささか幼稚だろう。・・・なんて思っていたものの、実際のところ何を言ってるのか、彼らについては中学の教科書以外に関連書物を読んだ覚えがなかったので、ま、暇つぶしに手を付けてみたのだ。

まだ冒頭しか読んでないのだが、「労働価値」の説明なんかは納得のものがある。商品の価値、これはその使用価値ではなく交換価値により近い(どうやらイコールではないらしい。今後の展開に期待だ)だが、その価値というのは結局のところ、労働の価値であると。そしてその価値の大きさは労働時間の大きさに比例する。が、ここでいう労働時間とは、社会の総体における平均的な労働の時間であって、個人の就業時間のことではない、と。然るに、ある商品の価値を産み出すある人の労働が、単位時間中に別のある人の2倍になっていたりすることはある。商品の価値は交換価値であり、その交換価値は、労働価値の蓄積ではあるが、それがどうやって蓄積されたかはどうでもいい話である、と。

・・・常々、仕事の出来不出来と労働時間は関係ない、つまり残業や休出をしているから彼は頑張っているという評価は甚だおかしい、ということを考えている俺としては、こういった考えは実に納得だ。

もっとも、資本論は最終的にはそういった価値観を否定するのかも知れない。だが、現在はまだ少なくとも資本主義社会だ。マルクスが資本主義を批判しているとしても、その捉え方が正しいのであれば、それは現状に対しては正しい認識となるんじゃなかろうか。

まあ、せめて1巻だけは読了するようにしよう、ともかく。