2011年2月2日水曜日

労働の価値は動的であると

先日の日記は、何か情けないことを書いたような気がする。今日は10日程ぶりにEclipseに触れた。ちょっと焼き付いていた頭がやっと回り出した感じだ。

Amazonから本が届いて、今日から読み始めた本がある。







これ。マルクスの資本論。

ネットの何かの記事で紹介されていて興味を引いたので買ってみた。文庫で安いし。古典も良かろうと。古典と言えば、試しに買った「レ・ミゼラブル」は1巻の1/3程度まで読んで何も面白く感じられずに放棄したままだ。今のところ、資本論はそれよりは面白い。喩え話や大袈裟に叙情的な修飾(昔は自然だったのだろうか)が的を得ているところなど、意外に笑える。・・・と言ったら言い過ぎだが、実際、ちょっと面白いなと思う。

今度、その気があったら適当に引用でもするわ。


・・・俺の親父はバリバリの共産党員だった。稼ぎがイマイチだったのはプロレタリアートとしての人生を全うしようとしていた為ではなく、ただ単に不真面目だったから(或いはあるところで生真面目過ぎたから)だったと思うが、家には「共産主義読本」上下巻があり、「これはいずれ読むべき」と言われたことを覚えている。ついぞ読んだことはないが。

ただ、マルクスやエンゲルスといったあたりは、思想家としては未だに高い評価を与えられている筈で、左翼だなんだと安易なレッテルで捉えるのはいささか幼稚だろう。・・・なんて思っていたものの、実際のところ何を言ってるのか、彼らについては中学の教科書以外に関連書物を読んだ覚えがなかったので、ま、暇つぶしに手を付けてみたのだ。

まだ冒頭しか読んでないのだが、「労働価値」の説明なんかは納得のものがある。商品の価値、これはその使用価値ではなく交換価値により近い(どうやらイコールではないらしい。今後の展開に期待だ)だが、その価値というのは結局のところ、労働の価値であると。そしてその価値の大きさは労働時間の大きさに比例する。が、ここでいう労働時間とは、社会の総体における平均的な労働の時間であって、個人の就業時間のことではない、と。然るに、ある商品の価値を産み出すある人の労働が、単位時間中に別のある人の2倍になっていたりすることはある。商品の価値は交換価値であり、その交換価値は、労働価値の蓄積ではあるが、それがどうやって蓄積されたかはどうでもいい話である、と。

・・・常々、仕事の出来不出来と労働時間は関係ない、つまり残業や休出をしているから彼は頑張っているという評価は甚だおかしい、ということを考えている俺としては、こういった考えは実に納得だ。

もっとも、資本論は最終的にはそういった価値観を否定するのかも知れない。だが、現在はまだ少なくとも資本主義社会だ。マルクスが資本主義を批判しているとしても、その捉え方が正しいのであれば、それは現状に対しては正しい認識となるんじゃなかろうか。

まあ、せめて1巻だけは読了するようにしよう、ともかく。

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