2010年11月27日土曜日

ヘルビガーの宇宙氷理論

—これは奇想科学の歴史の上で偉大な古典の一つである。写真と精巧な図解がいっぱいあり、ドイツの学風どおり完全徹底をきわめているが、はじめから終りまで、まったく何の価値もない。

マーティン・ガードナー、「奇妙な論理 Ⅰ だまされやすさの研究」 (市場泰男訳)

ヘルビガーの宇宙氷理論とは、宇宙には水素が満ちていて、その抵抗のためにすべての惑星は中心天体に落ちて行くが、その過程で小さな天体が惑星にとらわれて衛星となることがあり、すなわち、地球にとっては月となるが、これが実は少なくとも6個目の月であり、月が代替わりする際にはその物理的な均衡の崩壊により天変地異が起こるというもので、つまりその天変地異こそ、ノアの洪水その他の世界の伝説、とりわけ聖書に描かれる事象の説明であるという話だそうな。

ま、微妙にちんぷんかんぶんな話なのは当たり前で、これはいわゆる疑似科学の話。ただ、その理論を提唱したヘルビガーは、790ページに及ぶ大論文を書いてこの発見を世に訴えたそうだ。


で、なんでこの文を俺がいまここで引用したかというと、現代のIT業界、少なくとも俺の従事する商用Webアプリの世界において、未だ支配的なウォーターフォールモデルの出来損ないのような開発工程で生み出される大量のドキュメントのことが想起されたからである。

「完全徹底をきわめているが、何の意味もない」

そのものだとは言わないが、連想せずにはいられない。


Webアプリで送信フォームというのは、不定なものだと思う。受信と処理に意味があるのであって、フォームの入力値はそこから導かれる必然であり、U/Iの並びや、hiddenだtextだというのは瑣末な問題だ。hiddenだから操作されないなどという前提は置けないし、selectだから値は列挙される期待値のいずれかなどとも想定できない。

オブジェクト指向とMVCを要求しつつ、画面レイアウトとパーシストを組みで定義して間のビジネスロジックをすっ飛ばす。

「単体テストはしっかりやってください」と要求しつつ、何が単体かと問われればクラスであるとかいう定義未満の答えをするか、下手をすると画面だなどと…そりゃあ登場人物全部結合してるじゃねえかよと…。

あれもこれも継ぎ接ぎで、噛み合っていないから、いつまで経っても生産性が上がらない。

何もかも非効率で間違っているように思うのは、俺がヘルビガーその他の疑似科学者のように、自分だけが真理に到達しており他者はすべて救いようのない無知蒙昧だと錯覚する本物のバカだからなのか。


…そんなことはないだろう。ガリレイほどに革新的だと驕る度量もないが。



関係ないが、晩秋には蜘蛛が肥るらしい。天高く蜘蛛肥ゆる、とか言うものな。言わないか。

送信者 D3000

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