まったく奇妙ではないのかも知れないが俺にとっては今、奇妙に思える符合について。
俺が幼い頃を過ごしたのは川崎市の「津田山」という場所。津田山駅は、東西に長い川崎市を横断し、東は川崎、西は立川とそれぞれある程度発展した都市を繋ぐ南武線の中程にあり、この路線中おそらくもっとも発展していない駅だ。
駅周囲には、いくつかの商店があったが本屋がなかった。銀行もなかった。隣の久地駅は駅前が小さな田圃だったため、津田山の子どもたちは久地を指して「すげえイナカだよな」とか言っていたものだが、後から冷静に考えると、久地には大きなスーパーも、数件の本屋も、銀行もあったので、明らかにあちらの方が発展していたのだ。
津田山駅前には、巨大な霊園があり、ほど近くに市の葬祭場があり、菊ばかり目立つような花屋と石屋が並んでいた。あとはせいぜい法要向けの飲食店が数軒あり、毎日喪服の一行が行き来していた。…なんという死の影の濃い町。まあ、子ども心にはそんなことはどうでもよかったが。
ところで、津田山、という地名は、駅などでは通っていたが、住所ではなかった。
そもそも、津田というのは、このあたりを宅地開発した(途中で頓挫したような形らしい)鉄道会社社長の名字でしかなかった、というのをさっき調べて知った。
山というほどの山ではなかったが、丘陵地帯なため起伏に富み、緑の多い場所で、小学生の頃は子ども同士、あちこちでクワガタを採ったものだ。よく採れるポイントは、仲間内で秘密にしていたり、それでも情報というのはどこかから漏れるもので、いっぱしの諜報戦が繰り広げられていた気がする。
「1区がいいらしい」「57区はノコ(ギリクワガタ)採れるらしい」「”亀”(のいる池が見える山の斜面)は採れるけど、禁止らしい」
そんな情報が、日々交錯していた。ちなみに「区」とは、津田山から隣駅までにわたる広大な霊園の区画のことだ。
大場所は既に有名だったが、その中で1つ、最後まで俺の周囲では誰もはっきりわからなかった場所があった。
その場所ではたくさん採れるらしいのだが、そしてすぐそこだというのだが、それがどこだか特定できない。特定できないのだが、夏が過ぎ、また次の夏にも、その名は情報に乗って流布される。
その場所が「しちめんやま」だ。
クワガタは、七面山に行けばたくさん採れるらしい。だが、それがどの山か、わからない。周囲は、ある意味で小山だらけだったから、「山」といっても全然限定できない。
俺は結構しつこく探したのだが、探すと言っても、そこに行けば地面に七面山と書いてあるわけでもあるまいに、どうしても見つけられなかった。
さて、その七面山の正体。
これを、30年近い時を経て、さっき、ふとしたきっかけで、ほぼ偶然にWikipediaで知った。
なんと。「津田」氏が宅地開発をする以前の津田山が、「七面山」だったのだそうだ。
とすると。つまりあのあたり一体が七面山だったわけだ。七面山というのは、ピンポイントでの場所を示していたのではなかったのか。おそらく、霊園の丘と反対側、駅の北側の山というか丘というか、その一帯のことで、古くから住んでいた人、つまり級友の父親とか祖父とかが、七面山という呼称を使っていたのだろう。
俺の家は、七面山が津田山になってから越していったものだから、親に聞いてもわからなかったのだ。たぶん。
さて、その疑問が解けたところで。
七面山と言えば、もっと有名な山がある。
七面山とは、「しちめんざん」と読む、山梨の山である。
これは、身延山地の山梨県内最高峰であり、日蓮宗の名高い霊場でもあるそうだ。
幼い日々の中で記憶の一端に印象強く残っているのは、ふらふらと近所を徘徊していると家々から聞こえるお経のようなもの。おばさんが数名、延々と何かを唱えている。
「なんみょーほーれんげーきょーなんみょーほーれんげーきょー…」
とても当たり前のことで、当たり前過ぎて環境音のように聞き流していたくらいだ。
近所では、創価学会の勢力が強いようだった。小学校の級友の親は結構な確率でメンバーだった。
創価学会は、日蓮宗から派生した新宗教だ。
小学校の友達は夏になるとなぜか身延に行くものも数名いた気がする。
ま、関係ないのかも知れない。
でも、もしかして、「しちめんやま」は「しちめんざん」だったのだろうか。
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