2009年3月9日月曜日

目標だの夢だの、なきゃいけないものか?

「夢はないもん。ゴールを設定して、そこに向かう生き方をしてこなかった。受け身の人生です」

坂本龍一がAppleのイベントで若者向けに講演し、司会者に自身の夢を聞かれて。
http://mainichi.jp/life/today/news/20090308mog00m200019000c.html?inb=ff

夢を持て。
夢は諦めなければ叶う。
目標を持て。
その目標の達成に向けて努力しろ。
プランを描け。
キャリアパスを描け。
人生を設計しろ。

そういう、ポジティブな言葉が、いろんなところで聞かれる昨今。

俺はどうも苦手だ。いや嫌いだ。

例えば職場でも、「会社をより良くしていくために」将来の目標とか夢とか、何かと語らせようする。

だが、そんなもの語ってどうする?夢なんてものは寝ている時に見て、起きたらすぐに忘れればよい。個人の長期的目標なんてものは、つまるところただの現時点での期待に沿った願望だ。

そんなものを真面目な顔して馬鹿みたいに議論している暇があったら、目の前にある問題の1つでも2つでも片付けたらよろしい。

2つ片付いたら目標達成、とかでなく、とにかく出来る限りで、次から次へと、わかる範囲の事柄に対して最善の判断に努めればいい。

ある時点での自分が、10年前の自分が描いた目標を達成しているかいないか、夢を叶えたか夢に破れたか、そこに価値を見いだすのは10年前の自分だ。そして10年前の自分なんてのは現在においては架空の人物だ。そいつが無念と思うかどうかはどうでもいい。

そうだろう?10年前の自分の想像した未来と現在が違ったからといって、現在が誤りだと考えるべき理由などない。10年間、ひたすら怠けていたんでない限りは。

だから俺は、ずっと昔から、自分の将来の目標など決めようとしたことはないし、夢など語りもしない。やりたいことで着手できることはすぐにやればいいし、すぐに手を着けられないものは出来るチャンスが来てその時に意思が変わってなければやればいい。

俺が言っているのは刹那的になれという話じゃない。だが、その真意は、安いビジネス論の上っ面に毒された連中にはとてもとても伝わらない。

まあ、伝わろうが伝わるまいが、俺は自分の行動指針を変えはしないが。

それが、現時点の俺の最善の判断だからね。

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