2009年8月7日金曜日

竹中平蔵ってそんなにすごいのか

いよいよ選挙も近づいてくるにつけ、俺としてはさほど各党の政策に興味がない。

ぶっちゃけ、今は仕事やら何やら考えることがいっぱいで、生真面目にマニフェストなど読もうという気はおこらない。

そんな中、たまたま目についた記事。


【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 住宅一軒贈るに同じ「子供手当」

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090807/wlf0908070305000-n1.htm

この人、前は小泉と一緒に何かやってた人だから、というわけだからかどうかは知らないけど。

民主党の打ち出す、高額な子供手当についての批判として、
しかし、よく考えてみるとこの政策は、子供を持たない家庭から、子供を持つ家庭への所得のトランスファー(移転)である。高所得者から低所得者への移転ならまだ理解できるが、子供のない家庭は一種のペナルティーを受け、子供の多い家庭は恩恵を受けるという仕組みだ。

と。

よく考えなくたって、明らかにそうなのだが。別段、それ自体、つまり所得の再分配自体が悪いこととは思わない。それを否定したら、社会は成り立たないだろう。あとは金額のバランスの問題だ。

高所得社から低所得への移転ならわかる、とのことだが、子供のない家庭の方が余剰があるはず、というのは大枠としては検討外れじゃないだろう。

手当がもらえないことを「ペナルティー」と呼ぶのは恣意的に過ぎるんじゃないか。それを言ったら、世の中は今やペナルティだらけだろう。それこそ、高速道路料金は、高速道路の維持以外に使われるなら高速利用者へのペナルティーだし、一方で、道路や関連施設を作るのにガソリン税など以外が利用されれば、それはクルマを利用しない人へのペナルティーで…。

とは言え、月々2万6千円はちょっと、無理あるんじゃないの?とも思うが。ただ、出産子育てを巡る環境は、最近に自分が経験しているからこそ実感したのだが、「これどこの発展途上国?」と言いたくなるようなお粗末な話が多い。
しかし施設の問題などはすぐに根本解決は出来ないだろうから、とりあえず金で、というのはある意味で有効な手かとも思える。

お金で買えない価値がある、と何かのCMが言っていたが、まず、ほとんどのものはお金で買える。そういう万能性こそがそもそもお金の価値なんだろうから、金で解決、というのは聞こえは悪いが、場合によってはありだ。


ま、結局のところ、俺がもっと気になったのは、続くこの一言。

子供の多い家庭が多くの支給を受け、貧しくて子供のいない家庭が負担するという制度であるとすれば、一体どこまで支持されるだろうか。

「貧しくて子供のいない家庭」というのは、どこまで一般的な存在なのか。

俺は、自分の周囲を見るかがり、収入と子供の数が比例していると感じたことはない。

子供が入れば育てるのに金が必要なのは確かで、「もう一人育てられるか?」ということを考える時に、自分の収入が気にかかる人は多いだろう。

だが、子供を一人育てるのに、どのくらいの金が必要か?という感覚は、人それぞれの価値観によって明らかに違う。
「二人前の養育費を弾き出せるから二人子供を作る」そんな計算で世の中は動いていない。

竹中平蔵は、きっと利口なんだろうと思う。

しかし、上の一文を読んで、直感的に、この人は偏狭だなと思った。大臣じゃなくなってくれて良かった。もう出てこないでくれ。

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