2009年8月30日日曜日

政権交代、その後

そういや、俺の仕事であるプログラマだのSEだのの世界には、「スパゲッティコード」なる言葉がある。

システムを構成するプログラムコードというのは、良い設計であれば奇麗に構造化されているものだが、それがスパゲッティの麺のようにこんがらがって絡まって、何がどうなっているのかわからないという状態のことで、当然、悪い状態とされる。

しかし、スパゲッティだから動かないということはない。と言うかむしろ、実際に世の中で人の役に立っているプログラムの多くはスパゲッティだと思う。俺が作るものもそう。

勉強用のサンプルならいくらでも奇麗に書く。

これから開発するシステムの動作する試作品でも、結構きれいに書ける。

だが、いざそれが、本当の現場で運用されるという段階では、いつの間にやらスパゲッティ化するのだ。「現実の問題」を、モデルでも仮定でもなく、本当に解くということはそのように難しい。

で、人が作ったシステムを後から別の開発者が、例えば少し機能を追加しようと思ってみると、そのスパゲッティなプログラムコードの汚さに絶句し、「もう俺が全部書き直してやるわ」とか、思うのだ。


ところが、同じことを、きれいな設計で作り直したはずのものは、”だいたい動く”ところまではきれいだが、いざ現場に出すための細かいアレコレの問題に対処していくと、気づいた時には元通り、ただ別の皿に盛っただけのスパゲッティになっている。

前任者のスパゲッティコードを見て、「汚い、ひどい設計だ」と見抜くことは多くのプログラマに可能だが、それをきれいな状態で(しかも限られた時間で)作り直すということは、前任者に比べて後任者が圧倒的に優れている場合しか成功しない。


なんでもそう。他人の仕事の悪いところを指摘するのに必要な能力があったとしても、それを改めて仕事をやり直すには、それより遥かに優れた能力が要求される。

逆に言えば、だから、小説の一本も書けない人が書いた小説の論評もそれなりに的を得ることがあるし、ハリウッド映画の酷評がもっともだとしてもハリウッド映画の監督には誰もがなれるものではない、という事実が、別に不思議もなく認められる。



で、今回の選挙。

政権交代したところで、何十年も、良い悪いはともかく、人も社会そのものも含めたシステムとして、自民党が、作り上げてきたシステムを、いかにそれが酷くても、動く状態で作り替えるのは、そうそう簡単なことではない。簡単ではないどころの話じゃない難しさだろう。

だから、民主党の能力が、標準以上にあったとしても、きっと問題が続出する。しなかったらおかしい。

問題を続出させながら、軌道なんか必要に応じて修正し『ブレ』させながら、最終的により良くなるようにしていただきたいものだ。


そもそも計画なんてものは、作ることに価値があるのであって、作った通りに実行すること自体には価値などない。実行過程で得られた知識をもとに、以降の計画は絶え間なく修正されるべきであり、むしろ、「当初計画通りである」という理由だけでもはや不適切な計画が実現されることこそ、忌避すべき事態だ。


…でも世間の反応は違うだろうなあ…。

これで、1年2年で、「やっぱり政権変えてもうまく行かない」と自民党に回帰するのが、一番良くないパターンだと思う。心配だ。

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