いつもそうだったが、やはり飲み明かすと後悔しかしない。何が嫌って、二日酔いもいやだけど自分が臭いのが堪え難い。消化不良なアルコールと食い物、そして、タバコの臭い。ここのところ日常ではタバコを吸っていないから、タバコ臭がいっそうキツい。シャワーをしても髪の臭いが残ってる気がするし、飯食って歯磨きしてもまだ口に味が残ってる気がする。最悪だ。
それはそれとして、数日前にAmazonに頼んでおいた絵本が3冊届いていたので読んでみた。
1歳半の愛娘にはちと早いかなと思うものもあるが、絵をよく見せて読んであげればいいだろうと。
教育というつもりもないけど、良い画を見せてあげたいと思うので、自分が惹かれる画のものを選ぶようにしている。一応、セル画のアンパンマンも1冊はあるんだけど、それだったらテレビ(というかYouTube)でいいだろうと。以前に買って妻には不評な「あんぱんまん」(原作)も、娘は意外と好きなようだから、子供はやはりセル画ばかり好きなわけじゃないと思うしね。
というわけで買った3冊のうちの1冊が、俺も30年以上前に愛読していた「三びきのやぎのがらがらどん」。名作と言われているものであり、Amazonのレビューやその他ブログなどでも、総じて評価は高い。
ただ、この「がらがらどん」についての評価をいろいろ見ていると、どうも「好きだが意味がわからない」というものが多い。中には「意味がわからないから嫌い」という意見も見られる。
確かに、意味はわからない。いや、意味を読み取り難い。
あらすじはこうだ。
あるところに、皆がらがらどんという名前の3匹のやぎがいた。草を求めて山に登りたいが、そのためには谷川の橋を渡らなければならない。
しかし、その橋の下には恐ろしいトロルが住んでいる。橋を通りかかるものを食べよう待ち構えているのだ。
がらがらどん達は、橋にさしかかる。
小さいやぎのがらがらどんがまず橋を渡る。橋の向こうへ渡ろうかというところでトロルに見つかり、食べられそうになってしまう。が、「すこし待てば、もっと大きいがらがらどんが来ますよ」と言って見逃してもらい橋を渡る。
二番目のやぎのがらがらどんも同様に「もっと大きいのが後から来る」と見逃してもらい、最後に大きいやぎのがらがらどんが現れる。
遂にトロルは大きいやぎのがらがらどんを食べようとするが、がらがらどんはとても大きく強く、逆に八つ裂きにされてしまう。
こうして3匹はみな橋を渡り、山へ登っておいしい草を食べましたとさ。
…と、言う話。
多く指摘されており、俺も子供の頃に不思議に思っていたのは以下のようなこと。
- なぜ、小さいやぎのがらがらどんから渡ったのか?最初に大きいやぎのがらがらどんがトロルを倒してしまえば安全だったのではないか。
- なぜ、トロルは小さいやぎのがらがらどんを見逃したのか?3匹とも順にすべて食べてしまえばよかったのではないか。
だが久々に読み返してみて、俺は少なくとも自分では納得できる解釈が初めて出来た気がする。改めて、考えてみよう。
まず、最初の問題、がらがらどんの順番については、簡単な答えがある。
つまり、がらがらどん達は、トロルが橋の下に隠れていることを知らなかったのだ。
本に、「隠れていた」とは書いていない。橋のしたに「すんでいました」としか書かれていない。だが、これは絵本だ。文字ですべてを語っているわけじゃない。絵を見れば、トロルは橋の下の暗がりに身を潜めている。
そもそも北欧民話に登場するトロルとは、石属性の化け物だ。岩のような肌であり、また実際に陽光を浴びると岩になってしまったりする。一見、岩のようであったりする。橋の下の暗がりに身を潜めているのは日を浴びないためであり、またそれは、この場合は橋の下から大きく動けないという条件にもなる。
ついでにトロルは、いわゆる人食い鬼であるから、がらがらどんに対する「ひとのみにしてやる」は脅しでも何でもなく本気宣言である。
橋をうるさくされて威嚇しただけで殺されるトロルが可哀想、という評価も見たことがあるが、そんな同情はそういう意味では的外れだ。トロルに対するということは即ち生死をかけた問題である。
さて、ともかくも、がらがらどんはトロルに気づいていないから小さいやぎから渡ったのだ。別に策を弄したわけではない。小さいやぎが、「後からもっと大きなものが」と言うのは機転であって策ではない。
で、この機転を卑劣、身内を売り飛ばしていると受け取ってしまうことも可能だが、やはりそう解釈するよりは、それだけ「大きな」がらがらどんを信頼していると言うように受け取っておくのがいいだろう。
さて、次の問題、トロルはなぜ小さいがらがらどんから順に、全部を食べてしまおうと考えなかったか?だ。これも、先のトロルの置かれている状況を考えれば合理的に理解できる。
つまり、小さいがらがらどんを食べる、ということは、そこで正体を現してしまうことになる。トロルは、橋を渡るものに対して、橋の下、谷底から声をかけている。後続のがらがらどんにはまだ気づかれないようにしているのかも知れない。
トロルが小さいがらがらどんを見逃さないという選択をした場合、小さいがらがらどんは食べられることしか選択出来ないだろうか?実はそんなことはない。トロルには勝てないかも知れないが、その橋を渡るのを諦めて逃げ帰るという手がある。必ず成功するかどうかはわからないが、トロルは待ち伏せ型で襲っているので、橋の向こうへ渡ることを諦められては狩りの成功確率はかなり下がるはずだ。
小さいがらがらどんが逃げ帰ってしまえば、トロルの待ち伏せを知った仲間のがらがらどんも皆、橋を渡るのを止める可能性が高い。逃げ帰らなくても、小さいがらがらどんと格闘したり骨をしゃぶったりしている間に次のがらがらどんが来れば、渡って来ない可能性が高い。
つまり、トロルは、最初の小さいがらがらどんを見逃さない場合、良くても小さいがらがらどんしか食べられず、悪ければ何も食べられない。
つまり、トロルは獲物の選択において、数の組み合わせは「最低でも1匹食う」というマキシミン的戦略を、個体の選択については「もっとも大きなものを獲る」というマキシマックス的戦略をとったのだ。
ただ、もっとも大きな獲物はもっとも強力であり、狩りが成功しない可能性が高いというリスク要素については配慮が及ばなかったために哀れな最期を遂げることになるのだが、そもそも伝説上トロルというものは愚鈍であるとされるので、致し方ないところであろう。
ところで、先の問題に戻って、このマキシミン戦略による判断という概念に沿えば、実はがらがらどん達が、橋を渡る前にトロルの存在に気づき、作戦として小さい順に渡ったというもうひとつの解釈もまた合理的になると思う。
この場合ひとつ、注意して考えるべきことは、「大きいがらがらどんは、本当に必ず勝てる自信があったのか?」ということだ。
これは、トロルと大きいがらがらどんの初対峙シーン。
谷底から姿を現した巨大なトロルと、眼光鋭く低く構える大きいやぎのがらがらどん。
数ページ後の結果はがらがらどんの圧勝なのだが、それは結果。トロルは恐ろしい化け物だ。いくら大きいgらがらどんでも、絶対に勝てる見込みがあったかは怪しい。
大きいやぎのがらがらどんでさえ負ける可能性を、がらがらどん達が認識していた場合。
大きいやぎのがらがらどんが最初に渡れば、トロルを倒せた場合の安全性は確保されるが、負けた場合、1匹も草のある山へ辿り着けない。そうなれば、草(食料)のある山に辿り着けずに飢えるか、橋に挑んでトロルに食われるか、いずれにせよ全滅だ。
が、話どおり、小さい順に渡り、上手く最初に2匹がトロルをやり過ごせたならば、少なくとも最初の2匹は橋を渡れる。大きいがらがらどんが食われたとしても。
つまりこれも、「最悪(大きいがらがらどんが負ける)の場合でも、最大の成果を得る」戦略ということになる。
とは言え、俺はたぶん、「がらがらどん達はややばらばらに橋に到着し、トロルの存在は気づかずにそれぞれ渡り始めた」という前提での最初の解釈の方が本来だろうなとは思うが…。
問題は、いずれにせよ、一見不条理なところがありつつもよく考えれば合理的な解釈が可能な筋書きになっているということだ。
もちろん子供は、上記のような七面倒くさいことを考えないだろうが、しかし子供はまたそういうことを肌で感じるものでもある。本当にただ不条理な話であれば、きっと何度も読みたい(読んでもらいたい)とは思わない。
底の方では合理的な話について、敢て説明不足の状態で語られるからこそ、想像力が掻き立てられるのではなかろうか。がらがらどんやトロルが、なぜあのような行動をしたのか、わからないから何度も聞いて考える。
詳細で緻密な設定が用意され、キャラクター一覧で各人の内面や行動特性まで明示される物語が一概に悪いと言わないが…絵本の価値はそこにはないだろうと思う。
そういう意味で、「三びきのやぎのがらがらどん」はやはり名作だと思う。
ちなみにこの本、怖いという評価も多い。実際、トロルは怖いが、大きいやぎのがらがらどんも結構、怖い。むかし妹は、怖さのあまりトロルの画の部分を全部破り捨てた上で母親に読んでもらっていたくらいだ。
後に語るところによると、「怖いけど読んで欲しい、という矛盾を解決するためにトロルの画を捨てた。そうしないと安心できないくらい怖かった。だが、怖いものを本当に恐怖を感じるほど怖く描いているからこの本は名作なんだ」そうだ。
初めまして。
返信削除4歳の息子が幼稚園から借りてきたこのがらがらどんを読んで、ちょっと意味が解らない部分があったので、検索して貴方様のブログを拝読させて頂きました(^^)
とても興味深く、そして楽しんで拝読させて頂きました。
有り難う御座いました(o^-^o)