- 薄力粉 70g
- 水 300cc
- 卵 1個
- ベーキングパウダー 3gくらい
- 粉末だし 水に対して標準の倍量(標準的使用量が600ccに半分、と書いてあるスティックの昆布だしを300ccに対して半分入れた)
2011年12月18日日曜日
たこ焼きが簡単過ぎる。いや、俺の才能かも知れない。
2011年12月11日日曜日
皆既月蝕
せっかくなので撮影したみた。200mmではそう大きくは写らないので、この写真はトリム済み。
月蝕が始まってすぐのうち。
皆既月蝕。
赤っぽく写ってるけど、肉眼で見る限りはそう赤くは見えない。単純にもっと暗い感じ。ただ、これを明るく撮影すると、上の写真のように赤銅色になる。
参考までに、左の写真が実際の見え方に近いイメージ。肉眼だと暗い部分ももう少しはっきり見えたが、しかし光ってるという感じではなく、影って感じ。
…今回、改めて思ったのは、三脚が安いと微妙にブレてしまって意味ないってのと、リモコンは欲しいということかね。
月蝕は日蝕に比べると地味な感じだけど、実際に屋上で見ていたら、思ったより面白かった。確かにさっきまで満月だったのがみるみる欠けていく姿は、通常とは違う。空が澄んでいて、他の星もよく見えた。
ただ、すげえ寒かった。こんどこういうことをする時は、面倒でもしっかり防寒して、逆に一杯飲みながらやれるくらいを目指すか。
2011年12月9日金曜日
Black Boy
Black Boy!
暗闇に沈む Dining Floor
微かな香りが Calling me in the night 誘(いざな)う
Black Boy!
夜明けは まだ遠い
縋る神さえ無くとも
ここが Best Place for me, forever
誰が僕を止められるのだろう?
黒い翅は飾りじゃないぜ!
( Running to shadow, from shadow )
街から街へ闇から闇へと
( Living in darkness on loneliness )
陽の当たらない孤独と甘い罠
( Running to shadow, from shadow )
部屋から部屋へ隅から隅へと
( Living in darkness on loneliness )
塵に塗れても Yes, I'm survivor
世界は進化し続けるけど
何が僕を変えたというだろう?
( Running to shadow, from shadow )
街から街へ闇から闇へと
( Living in darkness on loneliness )
陽の当たらない孤独と甘い罠
( Running to shadow, from shadow )
部屋から部屋へ隅から隅へと
( Living in darkness on loneliness )
辿り着いたなら 今夜は会えるさ
2011年12月3日土曜日
天才かも知らんね(笑)
さっきまで、3歳になってちょっとの愛娘であるザッキーを寝かしつけるために、いっしょにベッドに入って本を読んでいた。
絵本も読むがザッキーは図鑑が大好きで、今日のチョイスは「こどものずかんMio くさばな・き」であった。
基本的には、写真を見ながら「これ!」と指差されたところを読んであげるというのがいつものスタイル。ところが、どんぐり一覧のページに来ると、ザッキーが自分でひとつずつ指差しながら「あべまき…どんぐり、…くぬぎ…どんぐり、」と。
まるで字が読めるみたいじゃないか、と感心したが、まだまともに字を教えたりはしていないので、おそらく、妻に読んでもらっているのを暗記しているのだろう。どんぐりは好きだから何度も読んでもらっているに違いないし。
と、思ったのだが、ザッキーのどんぐり名読み上げが「…ならがしわ、…うばめがし、…しりぶかがし…」と、10数種類に及ぶにあたり「あれ?もしかして本当に読んでる?」。
試しにその後、普段はあまり興味のない花のページで、「これは何?」と指差して聞いてみると「おんしじうむ」、「ふぁれのぷしす」…。
おお!完全に読んでるではないか!
実際には「ぷ」は「ふ」になってたり「ぁ」も「あ」だったりというのはあるが、まずおよそ読めている。確かに、安っぽい「ひらがなマシーン」みたいなオモチャは与えていたし最近よく一人でいじっていたようだが、まさかここまでとは…。
ちなみに、妻の話では先日、家の前で遊んでいたら通りすがりの小学生が少しかまってくれたそうで、
小学生「てんとうむしあげるよ」
ザッキー、受け取って「…てんとうむしじゃないよ。ななほしてんとうだよ」
小学生「え、なにそれ」
ザッキー、眺めて「…ああ、ナミテントウか」
小学生「…なにそれ」
と、毎日図鑑シリーズを読み込んでいる博識ぶりを遺憾なく発揮していたそうだ。
今朝も絵本の風景画を見て、指差されたものを「あー、これ?鳥だねえ」と答えてやったら、「カモメみたい」と返されたり(実際それはカモメの絵だった)。
…俺なんて、自分の名前が平仮名でわかるようになったの小学校入る頃だぜ。つうか入学時点で「おめでとう」読めなかったもの。それに比べて何とすばらしい将来有望ぶり。…スタートダッシュだけ終わらなければ良いが(笑)。
まあ、ともかく眉根を寄せながら図鑑を読んでいる3歳児の図は可愛いので良い。タイトルはもちろん冗談だが、俺には無い博識を身につけてくれたら嬉しいなあ。
2011年11月23日水曜日
調理器具の買い物メモ
かす揚げ。
麺を茹でるやつ。なんつうの?
…家庭ならこっちの方が便利か。安いし。
クールな軽量スプーン。
使おうって瞬間に普通のスプーンの群れから探すのが「チィッ!」となる。
コンロ奥に調理中器具の一時置き場。
…絶対に便利だと思うのだが妻に「ダサい」と否定された。
2011年11月21日月曜日
秋も終わるのに夕立とはね、と
送信者 D3000 |
ホワイトバランスを日陰にした。
2011年10月24日月曜日
Mantisバグトラッカーで検索結果の項目を変更する
システム管理>設定管理メニューにて、オプションを設定すればカスタマイズできる。
手順は以下サイトの通り、
http://www.mantisbt.org/wiki/doku.php/mantisbt:customizing_columns_in_view_issues_page
だが、
array ( 'selection', 'edit', 'priority', 'id', 'sponsorship_total', 'bugnotes_count', 'attachment', 'category_id', 'severity', 'status', 'last_updated', 'summary' );
こんな値を入れろと書いてあるところで、引用符を付けたままだとダメで、(selection, ...のように引用符を付けないのが正解のようだ(ちなみに俺が使ってるのは1.1.8)。
追記 -----------
項目名 view_issues_page_columns
型 Default
設定可能な値一覧
- selection - The tick box that allows the selection of the bugs to perform a group operation on.
- edit - The pen that allows opening an issue in Edit mode.
- id - The issue id.
- project_id - The project name
- duplicate_id - The id of the last duplicate set for an issue.
- reporter_id - The reporter of the issue.
- handler_id - The handler of the issue (i.e. the person assigned the issue).
- priority - The issue priority.
- reproducibility - The issue reproducibility.
- projection - The issue projection.
- eta - The issue fix eta.
- resolution - The issue resolution.
- target_version - The issue target version.
- fixed_in_version - The issue fixed in version.
- view_state - The issue view state (private vs. public).
- os - The OS to which the issue applies.
- os_build - The OS Build to which the issue applies.
- platform - The platform to which the issue applies.
- version - The product version to which the issue applies.
- attachment - The column that identifies whether an issue has attachments.
- category_id - The issue category.
- severity - The issue severity.
- status - The issue status.
- last_updated - The issue last updated time stamp.
- summary - The issue summary.
- bugnotes_count - The number of notes associated with the issue.
- custom_xyz - Custom field with name “xyz”.
2011年10月19日水曜日
引っ越しして10日ほど。
思えば2年近くかかったわけだよ。疲れたわ。
娘が生まれたドタバタから、落ち着いて来るや否やでの家探し、一度買ってトラブってキャンセル(普通はしないなコレは)、気を取り直して注文と、しかもちょうどこの期間中を通して仕事も盛り上がっており(これは今、まさに絶賛総仕上げ中)、そんなこんなもあっての「疲れたわ」。だから引っ越しというか家作りばかりがしんどかったわけではない、とも言えるが…。
とは言ってもね。すげえ借金してのワンウェイチケット的プロジェクトはね。
ま、なんにせよ。今日は遂に注文してあった家具の最後、某名作椅子も来たし、だ。
まだ、そういやカードの住所変更してねえや、とかいくらかのバックログはあるが。
…しかし、通勤のためと思って買った原付二種のスクーターが、もはや何の必然性も無くなってしまったのが問題だ。買い物だけするには半端にでかくて邪魔臭いし、趣味だけで乗るには面白みに欠ける。
とりあえず売っちまおうと思っているが、はてさて、その後どうするか…。今はデカいバイクを買う気はしないし、でも乗るなら高速乗りたいなやはり、っつう…。
あれこれやるより、大人しく釣り竿(これも折れたままだ)でも買って車で釣り行く方がいいか、それとも。うーん。
ま、どっちにしろ今年はもうシーズンオフが近いしな、何であれ。来年は楽しみだ。うん。
2011年7月10日日曜日
ホタル
定かじゃないか、もしかしたらどこかの動物園か何かでケージに入っているものは見ていたかも知れない。ただ、俺はホタルを見た記憶はないし、その生息地に赴いた覚えもない。
ホタルほど、誰でも知っているのに実は見た人の少ない生き物も珍しいのではないだろうか。昆虫があんなに光るなんて、皆バカみたいに「へえ、そうですか」と信じているが、ホタルどころか光る昆虫、いや発光する生物さえ見た事もないのにそう易々と信じられるならば、ツチノコだって信じるのだろうと思うが、そうでも無いのが不思議だ。
ホタルは写真や映像がよく出回るからだろうか。しかし今時、写真もう動画もどうとでもなるからな。
と、まあ脱線は置いておき、ともかく俺はホタルが見たかった。本当はちゃんとした生息地に行きたくて、その計画も立てたか立てないか(少なくとも生息地は詳細に突き止めた)のだが、いかんせん何とも忙しく、休みの日のうち予定がない日に、ちょうどよくその…一人高速道路を走るモチベーションが確保できない。
で、悔しいので、行くつもりでは無かった地元の「ホタル祭り」と称されるイベントに夜、出向いて来たのだ。妻曰く「そもそもわざわざアチラ様が出向いてくださるのにこちらが出て行く事は無い」のだそうだが、俺はやはり、ネイティブのが…。
と思いつつも、まあ、付近の民家園+自然観察園のような場所の湿地に放すらしいから、以外とそれっぽいものが見えるかなと。
果たして、夜8時にチャリで出向くと、なかなかの盛況で市長まで来て挨拶などしており、その後順路に従い公園を進み、いざ問題の湿地へ。
さほど広いわけじゃないが、少なくとも数百平方メートルはあるんだろうなという湿地を囲み、人びと(主に小さい子供を連れた家族)が、目を凝らす。
だが、どこにも何にも光らない。誰か、訳知り風のお父さんが、「今日は月が明る過ぎるから光らないんだよ。もうちょっと待ったら光るかも」なんて言うのが聞こえた。
頭上に輝く弦月を見上げ、ふーん、なるほどなんて思いつつ、ほんとかよとも思いつつ、しばし。
木が繁る暗いエリアの方から、「おおぉ…!」と低いどよめきが起こった。とっさに目をやると、少し遠くの陰に、錯覚かと思うような光跡がちらと見えた気がした。
それからしばし。
ホタルが馴染んだのか、「木陰がいい」とか「根元にいる」とか人びとが観察のコツを掴み始めたからか、あちこちで歓声があがるようになった。俺も、半歩引いて見ていたが、それでも結構、そこかしこに、草に揺れ、あるいはフラフラと飛ぶ、しかし思っていたよりも鋭い光の軌跡を楽しむことが出来た。酸化ルシフェリンが還元されるとかされないというのはどうでもいい感じがして、ただただ、不自然なまでの自然に嘆息した。
近くにいた3つくらいの子どもなど、ようやくホタルを発見すると「きぃゃーーーーーーーーー!!!」と奇声を発して喜んでいたから、うちにザッキーも連れてきてやりたかったが、イベント開始時間が就寝時間であるから。ま、来年かな。
俺はしかし、思った以上に奇麗なものだったからこそ、やはり天然のシチュエーションで見たいなあという想いを新たにした。
…ザッキーは、妻にどう説明されたのか、翌日(今日)、俺が夜にランニングに行こうとしたら、「かざむし(俺の事を最近そう呼ぶ)、ホタル山、行くの?」「ホタル山!おしりピカー!」「早く!早くホタル山行って!(悲痛に)」との事だった。
いったいどういう物語が2歳の彼女の脳内に展開されているのだろうかと思うが、ずいぶんとドラマチックな話になっている様子だから、やはり来年は「ホタル山」…と言えるような場所に連れてってあげたいと思うな。
2011年6月22日水曜日
2011年6月15日水曜日
ランニングシューズ買った
ナイキと迷ったが、色が気に入ったのでアディダス。AdiZero Boston2。
今まではナイキとは言えトレッキングシューズみたいので走ってたのだが、やはりランニング専用は違う。
何せ軽くて楽だし、膝が痛くならない。これまでは5キロ走ると膝に来て限界っつうか辛くてやめてたのだが、これならもっと行けそうだ。
人生でまだ6キロは走った事がないからな。楽しみだ。
それに、専用シューズを履くと、一端のランナーになった気分だ。悪くもない。…上半身はシルキードライでちょっと変態ぽかったかも知れないが。
2011年5月30日月曜日
やる事ないから飯を作った
テレビで見た舞茸酒がやりたくて、舞茸を買った。
酒に合わせて、旬の生カツオを買った。
が、酒に入れるのはひと欠片だから、あまりは天ぷらにしようと。天ぷらならサラダ代わりに春菊でも揚げようと。油使うなら唐揚げも食おうと。ついでだから厚切りのポークソテーも。
と、俺が好き勝手に作ると、かなりオイリーな飯になってしまう。妻子は天ぷらと、唐揚げ粉がなかったために照り焼きにした手羽元をいくつか食ったところで腹が膨れてしまったようで、大量の肉と脂を今日も摂取してしまった。
しかし、春菊がとりわけうまかった。新しく考案した「摘まんで浸けるメソッド」により、サクサクに出来たのだ。油が少し年季入ってまってたのだが、新鮮なのだったらもっとうまかったろう。
あと、ポークソテーは粒マスタードとウスターソースに漬けたものだ。これも簡単でうまい。
またやろう。
…ちなみに、写真はおよそ食った後の残骸である。俺の手料理の最大の武器は温度だからして、盛った直後は写真なんて言ってられない。
2011年5月19日木曜日
親バカ日記
最近は週に一度のプレ保育に通っており、今日もその日だった。
ところが、家を出るところで一悶着。ザッキーが玄関で最近買ってもらってお気に入りのサンダルを履いてしまい、スニーカーに履き替えてくれない。妻の話では今日は外で運動するからスニーカーでと言われているそうで、何が何でもスニーカーで行かせねばならない。
…こういう場合に、親に依頼されていることをしっかりやらないという責任放棄はしたくない。だから、俺も協力して説得したのだが、ザッキーは玄関で泣き崩れるばかり。
時間がまだ少しあったので、一度家に入って気持ちを切り替えさせようということになった。
リビングで、子供が靴を履いている絵のある本はないかと俺が絵本を漁っていると、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして号泣しながらザッキーが寄ってきた。不憫である。
最近はよく言葉で出るとは言え、まだまだ片言。それがしゃくり上げながら、切れ切れに俺に何か訴えている。
「…うえ…えぐ…まちがってう…まちがってうおぅ…。いち、にい、さん、しい、ご、ろく、なな、はち、くう、じゅう…まちがってう…」
一体、何を言ってるのか。おそらく、妻が靴を代えさせようとしたことに関連して「間違ってる」と言いたく、怒られた悲しみから、数字を数えるという自分の得意技でもアピールしているのだろう…。不憫ながら何とも愛おしいではないか。
…と、その時は思った。
が、その後、何とか持ち直して無事に妻とスニーカーを履いたザッキーが保育園に出かけ、俺も出勤し、駅までてくてく歩いている途中に、ハッと気付いたのだ。
玄関で号泣して愚図るザッキーに、怒った妻が、「あと10数える間に靴履かないなら今日は行けないよ!10、9、8、7…」とカウントダウンをして見せたのだった。
当然、そんな手は通じなかったのだが、そのカウントダウンが。数字の順序が逆だ、「間違っている」と。正しくは1、2、3という順序だと。ザッキーが号泣しつつ俺に訴えていたのは、実は母の数字の数え方の間違いを指弾していたのであった。
そう言えば前にも何かそんなことがあった気がする。
お気に入りのサンダルが履けないショックの中でも、人の間違いは見過ごさず、指摘せずにはいられないザッキー。まさに俺のDNAだと、余計に可愛く思ったのであった。
2011年5月8日日曜日
連休が!
…いつもはヱビスなのだが、今日は黒ラベルな気分だ。連休が終わってしまうショボくれ感になぜかマッチする気がした。
今年は久々にまともな連休だった。たいしたことはしてないが、飛び石部分を有給とったので、とにかく長かった。足りないけど。
…よく、学校でも会社でも、休みが長くなるとやることがなくなって行きたくなるという話があるが、俺は小1から大学院まで、夏休みが終わる日に始業式が楽しみだったことなど一度もない。学校が好きか嫌いかじゃなく、単に休みが一番好きだということだ。この絶対優位は何があっても揺らがない。だから当然、会社に入ってからも、休みが足りたと思った事は無く、今日も連休が終わると思うと悲しくて仕方ない。
何だって好きでもないのに明日からまた会社かよ、と。
ま、たいして嫌いなわけでもないから諦めるけどさ。
今日は、トンカツを揚げた。この連休で、キャベツの千切りと揚げ物が上達した気がする。
ちなみに、パン粉は食パンをフードプロセッサーにかけて作った。単にパン粉がなくて食パンがあったからだが。ガーッとやっただけ。最初はなんか変なパン粉になったと思ったが、揚げ上がってみたら意外に、ランダムな粒がいい感じにサクサクでうまかったわ。
パソコンの処分
ずいぶん前から起動できなくなっていて、直したとしてももはや使わないしで、物置と化した部屋の片隅に転がっていた。
が、秋には引っ越しを控え、この連休中からさっそく、家の中のどうでもいいモノを片付け始めるにあたり、さっさと始末を付けたいと。
ところが、もはや使わないパソコン2台をずっと転がしていたのには当然、それなりの訳があった。
1つには、廃棄にはやたらと金がかかること。合わせて8千円以上かかる。「リサイクル」つう錦の御旗を掲げられても、俺としては、それなりの金額を出して買ったものが、何年も経って使えなくなって処分するにあたり、さらに費用を求められるのはやはり納得がいかない。ケチと言われようと何だろうと、仕組みとして何かおかしいんじゃねえか、と。
リサイクルってんだから資源価値があるのだろう?ならばなぜ、資源を提供する側が対価を払うことになるんだ?…資源化にコストがかかるから、という教科書的回答じゃ納得できない。世の中の原則に従えば、金がかかるということはそれだけどこかでコストがかかっており、それはつまり必ず何かの資源を消費しているということになる。輸送費かも知れないし、電気代かも知れないし、誰かの事務仕事の給料かも知れない。それが何であるかはどうでもいいことで、とにかくコストがかかるということは、必ず何か資源が使われている、というのが問題だと俺は思う。
リサイクルそのものが目的ならどうでもいいが、省資源が目的ならば、余計に金がかかるというのはおかしな話だ。偏狭と言われようと俺はこのシステムには欺瞞の臭いが感じられて納得が出来ない。
かと言って、不法投棄して山に捨てることも出来ない。これでも俺は、釣りを趣味とし野鳥や野草を愛でる男だ。緑深い山間の不法投棄現場はたくさん見ており、そのたびに心を痛めている。そんな悪行に加担することは勿論、出来ない。
で、もう1つの問題が、データの問題。
2台のパソコンは両方とも、起動できない状態になっており、しかし、ハードディスクにはいくらかの情報が保持されている。記憶によれば、そこにはさほど致命的な秘密の情報は無いが、多少の写真くらいはバックアップされていたと。それとて記念写真程度のものだが、まあ、うっかり流出させるようなことがあれば、あまり気分のいいものではない。…軽トラックで回って来る廃品回収に預けるにはちと抵抗があるというものだ。
で、そんなわけで、以前にIT系ネットニュースか何かで見て気にしていた、「パソコンファーム」を利用することにした。
ま、もちろん世の中には疑り深い意見もあるが、基本的には評判がよく、しかも自宅から結構近い。送るんじゃなくて持ち込みをすれば、手続き的にも極めて手っ取り早い、というのが選択の理由だ。
動こうが動くまいが問答無用で引き取ってくれるというのと、確実に無料で引き取るということがポイントだ。資源化という意味でも、無料で引き取ってしまうからにはどこかしら資源化しなくては彼らの生業は破綻するので、確実に何かは資源になっているのだろう。善行を積んだ気分にもなれる。
車にマシンと周辺機器少々を積んで、数10分であっさりと到着し、倉庫のボロさにちょっと驚きつつも駐車場とおぼしきところにとウィンカーを出すと、倉庫内から3人くらいのスタッフが揃いのポロシャツ(ユニフォームだろう)を来て走ってきて、車を誘導してくれた。なかなか手際がいい。
車を降りると、爽やかな挨拶で迎えてくれ、廃棄品を取り出しますと。リヤのハッチを空けて段ボールを指し示すと、すばやく二人が取り出して検品(極めてざっくりしたもの)し、同時に一人が住所と名前を書く申込書?的なものの記入を求めてきたので、書く。書いてる間に、サービス中なのでコーヒーかジュースを、と聞かれたので、名前を書きつつ「コーヒー御願いします」と取りあえず応えてみたら、スタッフがそのまま走っていき、住所を書き終える頃には冷えた缶コーヒーを持って戻ってきた。
そして缶コーヒーと名刺を手渡され、「ありがとうございましたー」って。
え?もう終り?
まあ、とにかく無料だから、見積もりもクソも無い訳で。完全に対象外な変なものを持ち込んでないかだけチェックしたら終りだから、こんなもんかと。
5分もかからずに再度、車を発進させることになった。
帰り道で、別のリサイクルショップに寄って、使わなくなったチャイルドシートも売却。売値は800円だけど、基本的には使えるのに捨てるのが忍びないという話であって、これで儲けようとは思ってないのでオッケーだ。
気持ちよく片付けが出来た良かった。
* * *
ところで、パソコンの廃棄サービスについては、検索してると個人情報の悪用を極端に警戒している人もいるようだが、俺はビビり過ぎじゃないかと思うわ。
そもそも、個人のPCに、「人に知られては絶対にまずい情報」なんてそうそうは入っていないだろう。犯罪の証拠とか彼女の裸とか格納している人はまあ、HDDを破壊でもしたら良いと思うが…。
俺は今回捨てたものにはクレジットカード番号なんかも入れてはいないが、もしあったとしても、それも俺はさほどは気にしない。ちゃんとデータを消去すると宣言して、そういう業務を既定しているのに出すのであれば、特に。
…というのは、俺自身、仕事で他人のクレジットカード番号を見ることが出来たりしたからだ。今現在は担当してないが、顧客情報を持つシステムの保守を担当していたりすると、個人情報なんてものは目の前にいくらでも転がっていて、いかようにも出来る。…出来る権限が、システム上はある。だが、職務上の権限はないわけで、これを超えるのは、そうそう楽なことではなく、またリスクに見合うほど魅力的でもない。
包丁を握って眠っている人の前に立てば、誰だって人を殺せる…状況にはなる。が、本当に刺す奴は、そうそう滅多にいるものではない。というのと同じ話で。
それでも極稀にはいるじゃないか、というレベルのリスクを恐れるならば、HDD破壊でリスク回避できるパソコン廃棄の瞬間なんかよりも、逃れようがない日常での個人情報曝露を恐れるべきだろう、と思うのだ。ネット通販の向こう側の人だけではない。店頭でカードを使って、一時預けた時に、レジ打ちが番号を暗記できないことはない。あるいは、ビデオレンタル屋で会員証を作る時に預けた免許証の情報が、不正にコピーされていないことを、今まで忘れずに確認してきたか?自宅から出る紙ゴミは、ちゃんとシュレッダーにかけているか?千切ったくらいなら、素人でもすぐに解読できるだろう。郵便局員やそのアルバイトが、手紙の中身を読まずに届けたと確信する根拠はあるのか?
かつてはレシートに印字されていたクレジットカード番号と同じで、パソコンのデータも、漏洩は恐ろしいと言われたら今度は過剰なまでにビビるのは、最近の原子力パニックにも通じるものがあるなと思う。
結局は何にせよ、パソコンにでも紙にでも、人に知られたら首を吊りたくなるような情報は最初から記録しなければいい。あと、クレジットカードは、利用明細をちゃんと確認しておくことだろう。そして、いかに個人的な情報と言えど、人に知られても照れくさい程度の情報、あるいはその気になられたらいつでもバレる情報については、あまりムキにならずにほどほどの配慮だけしていれば十分ではないかと。
* * *
もっとも、件のパソコンファームは、確かに倉庫はボロかったが、えらく忙しそうでしかもオープンなので逆にコソコソと不正をしていられる環境には見えなかったし、スタッフはド金髪だったりするものの礼儀正しく、よく教育されている感じだったので、俺は良い印象を持った。
2011年4月27日水曜日
時計じかけのオレンジ
iPhoneで。
iPhone買う前に、iTunesを見てて「映画のレンタルも出来るんだ」と驚いたのが購入のキッカケの一つだったのだが、そのわりに全然見てねえや、と気付き。
品揃えはまだそう豊富とも言えないが、居ながらにして200円とかでレンタルでき、電車の中でも視聴でき、返却の必要もないというのは、やはり楽チンだ。
しかし、時計じかけのオレンジは、噂通りに時代を超越してる感じで面白かったものの、ヘアー丸出し全裸が点在していて、電車ではちょあ気まずかった…。
2011年4月22日金曜日
ぱんつが一枚、
深夜に帰宅すると妻子は当然寝ているが、洗面所のバケツに入っているパンツの数で、その日に娘が何回お漏らししたかわかる。
今日は一枚。朝に穿いていたお気に入りの自動車の絵がついたパンツだけが、雑巾と共にバケツに収まっていた。
つまり、それ以外はトイレに行けたという事だ。
成長は嬉しいが、可愛いオムツ姿はもうすぐ見れなくなり、いずれは、いまは得意げに見せつけているパンツも見せなくなるのかと思うと、寂しい気がする。
最近は言葉も加速度的に発達しで来ている。父親に似ず素直だし、何も問題ないのだが。
ああ。せめて連休にはよく遊んであげよう。
2011年4月9日土曜日
鍛錬
もともと少ない筋力の低下だけでなく、反応が鈍くなり、身体が固くなり、そのためフォームが崩れてさらに技のパワーが落ちるという、これはもうどうしようもないなと。白髪も急激に増えてるし。なんか、代謝が落ちてもう、寿命がつきようとしてんじゃねえのかと。
とは言え、30代半ばでそこまで衰えるものかなあ?という気もするが、きっと俺は衰え易い体質なんだと。
ならば空手にもガンガン通えばいい、となるのだが、これがなかなか・・・常日頃の帰宅時間が23から25時の俺には難しい。だからせめて、ということで、出来る時には走るくらいはしようかなと。筋トレもいいけどまずは、一定量、体を動かすのがいいのではないか?というか動かしたいなというのがあり。
で、夜だと近所の用水沿いを付近の神社まで2kmほど走るのだが、今日は午後で明るいし他の場所へ行こうと、用水を反対に行った。桜並木がきれいだ。宴会が無いのは自粛のせいか天候のせいかわからないが、1カ所だけブルーシート広げてたな。
で、この「昼間コース」の折り返しくらいまで行ったところでふと変な気を起こし、その先の調整池をぐるっと回るのも追加してみた。少々しんどかったが、静かな砂利道で左手には桜、右手は広大な芦原と池と、住宅地にしては気持ちのよいコースだ。一部は線路沿いになるが、これも田園調でのどか。また、野鳥が結構いて、今日はカワセミを間近で見た。コイツはやはり、何度も見ても奇麗だ。
てな感じでせっせと走って帰って来てから調べたら、6kmも走っていた。俺としてはベリーロングだ。でもまあ、ゆっくりであればこのくらいは走れるんだなあというのも意外な発見。高校のマラソン大会の5kmよりも長い距離は走ったこと無かったし。
時間も40分ほどと良いあんばいだったし、休日ならこのくらいはやってもいいかなと思った。
でも、その距離を計ったツールによると、そんだけやってもおにぎり3個程度しかカロリー使わないらしい。なんかショボく感じる。けどま、40分でおにぎり3個消費するってのはそれなりには運動になってるのか・・・おにぎり3個と言えば俺の昼飯のスタンダード量であり、それだけ食えば普段はその後10時間くらいは食わずに仕事するんだから。
2011年3月23日水曜日
2011年3月20日日曜日
唐揚げは揚げたてに限る
唐揚げがゴチソウとは慎ましい感じだが、実際、普通にスーパーで国産肉買って大量生産?して揚げたてを食えば、外で食うたいがいのよりうまいと思うんだが。
2011年3月18日金曜日
我々が築いてきたもの
言わずもがなだが、東日本大震災の直後だ。宮城沖、続いて茨城沖と揺れた後で、この窓の左手からは台場で黒煙を上げるビルが見えた。
もっとも、黒煙の正体は工事中のビルの屋上で何かが燃えたというようなもので、大事に至るものではなかったのだが、晴れていたと思ったのにいつの間にか、この時間にして厭に暗く立ちこめた雲に、何とも不気味なものを感じた。
その後に何が起こったか、起こっているかはここで語ることでもないだろう。
ただ、俺の身の回りに起こったことと言えば。
当日は、すぐに帰宅許可が出たものの、鉄道がほぼ全線不通となり、帰るに帰れない。泊まることになるかも知れないと晩飯を買おうかと思ったが、窓から外を見下ろすと、弁当屋やコンビニには既に見た事がない行列が出来ている。
ま、大きな店なら空にはならないさと、同僚と少し離れたスーパーに惣菜を調達に行けば、品物がなくなり臨時閉店だと言う。居酒屋も、満席か閉店か。最期に1軒、焼き肉屋の最期のテーブルにたまたまありついて、勢いでビールなど飲んで。
ここまではまだ、事態の重大さにあまり気付いていなかったのだろう。
東北沿岸で深刻な被害があったことは既にニュースになっていたが、悪ければ1000人ぐらいは亡くなってしまうかもなと話していた。道路は凄まじい渋滞だったし、鉄道はその日には走らないとわかったが、一時的な混乱と考えた。
実際、俺は、なぜかこの日たまたま「気分で」クルマで出勤して(オフィス近くの有料駐車場に2000円払ってまで)いた後輩に、家が近いこともあり送ってもらうことにした。空いていれば30分そこそこという道のりを、4、5時間かけてのドライブになってしまったが、半分はイベントとして楽しんでいた。車の中にいてもわかる余震があっても、「おうっと!」なんて。
が、もうすぐ家に着くという頃、ワンセグテレビの速報に「震源が新潟」と出た時に、ふと、とてもイヤな感じがしたのは覚えている。あちこちで地震が起きているから、ではない。俺はこれでも地学分野を専攻していたから、プレートテクトニクスに基づく地震のメカニズムはある程度は理解しているつもりだ。宮城と連動して茨城、そして新潟まで大きく揺れるということが、規模の大きさを語っており、だとすると最初の震源の東北は…ただ事ではないのではないかと思ったのだ。いや、ただ事じゃないのは既にわかっているのだが、思っている以上に大問題なのではないかと。
結局家に着いたのは早朝と言ってもよい時間。この時点で、朝飯のパンをと深夜営業のスーパーに立ち寄った。さいたま郊外の早朝のスーパーでは、パンもコメも電池も十分だったが、都心での枯渇を見ていたので、「まとめ買いした方がいいだろうか」と考えた。だが、過剰なまとめ買いは、過剰な品薄感を演出し、さらなる買い占めを呼び…と、そういう悪循環はすぐに想像できたから、その日に食べる分のパン程度を普通に買って、帰宅した。誰に咎められるわけではないが、パニックの先鞭をつけたくはなかったし、本当に食糧が枯渇することなど無いと確信もしていたから。
土日、延々と流される災害特別番組。見れば見るほど、とんでもないことが起こったのだとわかった。それでも、まだ、問題は東北で起こっていると考えていた。関係ないと思ったわけではない。東北には親族もいる(無事は確認できていたが)し、景気が悪化するだろうなとも思ったし、停電の話もあった。義援金を送ることを決意したりもした。が、問題の現場はもうちょっと北だと。自分は…首都圏の人間は、淡々と粛々と日々の仕事をこなしながら気持ちとお金で支援をして行けばいい、と。
コメの買い占めもガソリンの買い占めも、予想は出来た。そういうことは起こるだろうと。だが、ほどなく解消するだろうと思っていたから発作的行動はとらなかったし、今もそうだ。俺はガソリンを買うのに2時間も並ぶ気はないし、コメを探して市内中を旅する気もない。
原発の放射能汚染へのパニックから、首都圏を脱出して西へと逃げる人びとも、多少は出るだろうと思った。こんなに多いとは情けない限りで、ああ、もうさっさと出て行って、その代わりに二度と関東に戻って来んなよ、バカが減るなら都合もいいしな、などと言いたい気にもなるが、まあ、そこそこ想定内の事象ではある。
が、交通の混乱を見越して休日となった月曜、火曜が明け、水曜日に出社してみると、まさかの展開が待っていた。
何人かの、外国人の社員が、パニック状態に陥り帰国してしまったのだ。その中には、本人ではなく本国の親が、国内報道以上にセンセーショナルな海外メディアのニュースを見てパニックを起こし、「何がなんでも帰って来い、すぐに日本を脱出しろ」と騒いでいるため、仕方なく帰った者もいる。
そんな中に、優秀なエンジニアであり俺の信頼できる部下である者も複数、含まれていた。
帰国すると言っても、会社を辞めたくなったわけではない。実際、辞めもしない。だが、とにかく今はここにいられない、ということなのだ。インターネット経由の回線を使って仕事をすることも出来るが、しかし、やはりそれは効率が落ちる。俺は、出来れば踏みとどまって欲しかった。
だが、地震のない国で育ち、「津波」という概念すら持たない彼ら(或いはその親)には、天災で1万人以上が消息不明となるような事態そのものがまったく呑み込めない。理解の問題ではなく、受け入れられない。そして原発事故も。実は日本は、過去に何度も原発事故を体験している。原爆も落ちている。嬉しい事ではないが、ある意味での核への免疫はあると思う。だが、それも彼らには無い。
俺は、偏狭なナショナリズムは嫌いで、日本だニッポンだとすぐ括るのは嫌なのだが、この時に、ああ、アホな都知事は無いと言ったが、確かに日本人にはアイデンティティがあるのだなと感じた。
明文化して定められてことのあるものでも無いし、一言であらわす単語を俺は知らないが、この、凄まじい災害を受け入れられる姿勢、ある種の諦めと開き直りと粘り強さというか、今、海外メディアがさかんに賞賛してくれている日本人の美徳が多少持ち上げ過ぎだとしても、何か独特なものはある。
…自称「社内一の少数精鋭チーム」として長く一緒にプロジェクトを進めてきた部下に、その日の便で帰ると告げられた時、俺はもはや、それを責めようとか止めようとかは思わなかった。いくら仕事が何だと言っても、何の比喩もなく命をかけてやれとは言えない。そういう仕事じゃない。もちろん、俺は、今の東京に留まることが命懸けの決断だなんてちっとも考えてはいない。だが、それは理屈だ。恐怖は理屈ではない。日本人ですらその恐怖に負けて首都圏脱出をしているのだ。
ここはけして危険じゃないが、お前が不安になることは理解できる。だから気にせずにまずは逃げろ。諸々が落ち着いてから、どうするか考えてくれ。そんな話の中、ふと、会議室の窓を見やり、俺は言った。
なあ、ちょっと外見てみろよ。東京だってあれだけ揺れたろ。向かいのビルが曲がってるのが見えたろう?
でも、ここから見えるビル全部、ガラスの1枚にヒビだって入ってないだろう?日本は地震の国だ。何度もあちこちで大きな災害があり、建物も壊れ、多くの人が死んだ。が、その度に耐震基準を厳しくし、揺れに強い建物を研究して、こうして街を作ってるんだ。
耐震も都市計画もいろいろケチも付いてるが、でも確かに成果は出てるだろう。この無傷の景色がその証拠だ。
何をそんなに怖がることがあるんだ?
そんなことを言いながら、これまで、何度も破壊され、作り直し、非難され、改善し、破壊され、また研究し、造り…そういう歴史の積み重ねを思った時、なぜか、泣きたいような気持ちになった。
日本人の総体の素晴らしさに感動したんじゃない。
常に研究、研鑽をして、より高い安全性を確保しても、どこかに綻びがあれば庶民からもお上からもボロクソに言われ、それでもまた何かを前進させ、確かに何かは進んでいるのに、普通の人には出来ないことをしているのに、「完全じゃないから欠陥だ」という魔女裁判のような理屈で批判され、たとえ無能だ嘘つきだと言われても、それでも前に進んで行く技術者の業のようなモノに泣けてきたのだ。
地震で壊れないビルや街を作った彼らの”活躍”は、被災地の前線の男達のように派手ではないけど、全部は救えなかったけれども、でも確かに無数の命を救った筈だ。
まあ、少々大袈裟、おセンチな話だ。
ただ、俺は冷徹な素振りを意識してるけど、実は結構、涙もろいんでね。
2011年3月15日火曜日
2011年3月12日土曜日
5時間かかったが帰れただけ僥倖
しかし、道中にワンセグで知る被害の予想以上の凄まじさ。さらには中越でまで地震が。
いつも、自分が深夜に帰る頃はガラガラの駐輪場がほぼ満車。
やはりまだ多くの人が帰れないようだ。鉄道や高速の復旧も思ったより遅れそう。都心は停電などはなかったが、食料品がなくなってた。オフィスに残った同僚は思いの外しんどい目に合うかも知れず、心配だ。
2011年3月11日金曜日
2011年3月4日金曜日
2011年2月22日火曜日
ほっかほっか亭に呆れる
そもそも数年前、ほっかほっか亭は、ワゴン売りをするのはほっかほっかのポリシーだか創業精神だかに反するのにそれをした、ということで大手フランチャイジーのプレナスを排除したのではなかったか(現・ほっともっと)。
問題はもう少し複雑だったのだろうが、方便であれ、ワゴン売りをそれだけ非難したのだ。それを自らがやるとは。しかも何の工夫もなく、普通にかなり冷めて不味い弁当を売るとは。コメ硬くなってるし。海苔噛み切れねえし。
東日本はプレナスの方が強いのだから、近所の店も「ほっともっと」になれば良かったのに。「ほっかほっか亭」の弁当は二度と食わねえ。前にも言った気がするが今度こそ。
海苔とコメが最悪に硬くて不味い海苔弁当って、もはや弁当ではないだろ。
2011年2月12日土曜日
眼鏡を買い替えた。
今まで使っていたのは、1年ほど前に買った5万円ほどもするものだったのだが、どうも掛け心地が悪かった。眼鏡屋曰く、「服飾ブランドの名前だけ付けたようなのとはモノが違う」だけあって、手の込んだ造りではあったのだが、下側フレームにボリュームのある形状の問題かどうも重たく、ズレやすく、しかも視界にフレームが邪魔だった。
ついでにメタル部分の塗装も禿げてきたので、心機一転のためにも眼鏡を買い替えることにしたのだ。
で、今度はしばらく前にオダギリジョーの電車広告で知った「JINS」。最近の廉価眼鏡チェーンだ。
近くのショッピングセンターに店舗があるので買いに行き、さくっと作ってきたのだが・・・。
最近流行のウェリントンは、俺が高校生の頃にも流行っていたはずだが、当時に使ったものの、どうにも周囲には不評だったし自分でもあまり似合わないと思っていたのでパスとして、チタンのメタルフレーム(これがレンズ付きで7990円とか)にしようかと思っていたのだが、かけて見るとちょっとかっちり過ぎるかと思い、つい、今まで使っているのと似たものにしてしまった。まあ、デザインは気に入っているのでいい。
写真の、俺の選んだフレームはセル調のメタルで、7990円。
持ち帰ってから今までの眼鏡と重さを比べると、30gと28gと、少ししか変わらない。が、以前のものはレンズも高級だったので、おそらくフレームの重さはもうちょっと開きがあるだろう。どっちにしても、かけた感じは軽くなったし視界も良好だ。
何でもかんでも価格が高ければ品質(とりわけ機能的な意味において)も良い、というのは現代には通用しないのだなあ、と実感した。
2011年2月9日水曜日
聖剣伝説2 ― 10年ぶりにRPGをやる。
先日、ついにガラケーと決別しiPhone4を入手した。
今まではauだったからAndroidという手もあったのだが、1)最近のauが嫌い、2)俺は15年来のMacユーザー、3)auのAndroidはガラケー仕様、4)俺にはAndroidがモバイル端末版Windowsに見える(本物のモバイル用Windowsの存在は俺の視力では見えないほどにちっぽけ)、などの理由により迷わずiPhoneをチョイスした。
ケータイにおいては、ゲームどころか有料コンテンツも見なかったし、着メロの類も初期に1、2回使っただけだったが、iPhoneでは違う。
ということで、無料のAppをいくつかと、早速いくつかの有料Appも入手した。その中でも、購入前からiTunesで気にしていた、俺の中で極めてホットなAppがコイツだ。
・・・スーパーファミコンのソフトとしては1993年の発売。ちょうど大学受験の頃、つうか浪人してた頃。まあ、俺の高校は浪人率が極めて高く、友人も漏れなく浪人だったので、暗く寂しい浪人生活というよりは、長い夏休みという感じだったが。
と、このソフトの発売も確か夏で、暑い中をチャリンコをこいで玩具店に出かけたのを覚えている。ちなみに、我が家のスーファミは妹のものだったが、このソフトだけが俺が自腹で、しかも新品で買った唯一のものだったと思う。
ゲームの内容そのものよりも、発売前の広告でこの表紙のイラストを見て衝撃を受けたのがその執心の理由だが、しかし内容も良かった。
当時(今もか)主流のドラクエ、FFとはまた違った空気、強いて言えば民俗的な雰囲気をまとった世界観が、よく出来た音楽とともに印象に残った。ストーリーも悪くないが、それ以上に世界観が良い。
で、そんなお気に入りのゲームだったので、FFⅦのクリア以来は遠ざかっていたRPGを実に10数年にプレイしている。
・・・で、結果、とても眠い。そういうこと。