2010年1月14日木曜日

神懸かり的三連コンボ(α)

実は、この事故—盗難事件は、それだけではない。

なんと、事故の前日には山道で初の転倒も喫しているのだ。

つまり、新車で買ったバイク、ちょうど一ヶ月点検を挟んだわずか3日のうちに、
  1. 転倒し (バイク屋も気づかないほどだったが、左足は打撲しずる剥けた)
  2. 翌日に事故に遭い(被害者。右真横に突っ込まれ、両手と右足と顔面を打撲、創傷)
  3. その翌日深夜には盗まれた (まだ事故の見積もりも取れてねえのに)
というわけだ。

普通、あるか?

最近は原付しか無かったとは言え、俺も長い事バイクに乗っており、それなりにトラブルにも遭った。しかしだよ。こんな奇跡的な悪夢のジェットストリームア タックには遭ったことがない。この、本来は単独でもレアなそれぞれのトラブルは独立して発生しているのだ。それが見事に連続だ。神懸かってる。

しかしだ。

ここでよく考えてみよう。

高校1年で自動二輪の免許を取得してからの、俺の免許歴は18年ほどに及ぶ。

バイクの窃盗に遭ったのは2回目だ。

運転中の事故は、クルマのケースや警察に行かずに示談したのも含めると、実に…ええと…少なくとも…8回はあるな…。

転倒は、ちょっと思い出して数えられるような回数じゃない。とりあえず50回としておこう。足りないと思うが。

さて、今回、もっともレアな窃盗は起こった。
だが、18年もの間、何らかのバイクをほぼ常に所持しており、しかもいずれの期間も保管場所は集合住宅の駐輪スペースであり、そして俺はお世辞にも施錠に熱心とは言えない(ワイヤーロックU字ロックは持っていても掛けない事が多い、今回もだ)、原付ではカバーすら掛けない(不便になるから)、という状況に対して、2回の窃盗被害というのは必ずしも大きい確率だろうか?
また、前回の窃盗と今回の窃盗、共通するのは、ホンダのゴリラ、カブといったポピュラーで構造が単純な原付であり、しかも保管場所が俺の過去の住居の中で、居室から離れて死角になる度No.1と2の場所であるという共通点がある。
そういう意味では、ある意味で、今回被害に遭うことは奇異に見えない。もちろん、鍵を追加してないから俺に落ち度があるなどとは思わないが。だからと言って、どう考えても盗まれるはずはない!なんて状況じゃないのは確かだ。

で、転倒は。
これは何の不思議なことはない。
とても久々に山道に行った。正月明けで路面が凍っていた。空いていたし、カブの手軽感もあったし、いつもの通り、面白くなってきて気が緩んだ。下りのヘアピンで寝かせ過ぎた。転けた。
先の50回、つまり年に2、3回ということだが、実際の所、いくらなんでも晴れて路面が乾いた市街地で転けたりはしない。転ぶのは雨の日、山道、路面温度が低い時など。この日に転ぶ確率はつまり、2/365などではなく、もっとずっと高い。

事故は。
18年の間に8回はある、としたら、2、3年に一度はあるペースだ。通勤もあり、毎日クルマかバイクのどちらかは乗るし…それでも多いのかも知れないとちょっと思ってるが。ともかく、自分の実績はそうだ。前回の事故は3年前だ。とすると、今頃に事故があるのは、これも不自然ではない。この確率にはいろいろ要因があるだろう。俺の注意力レベルの問題、生活パターン、いろいろな要素の結果だと思う。だが、結果として言えることはともかく、急に事故に遭い易くなったという事実は無いということだ。

ちなみに、自分で事故多めかなと思ってるのだが、重大事故を起こしていないのが救いだ。歩行者を撥ねたことはないし、誰にも流血させたことはない。俺は結構血みどろになったことがあるが。運がいいのか悪いのかわからないが、単に、バイク対クルマが多いという問題だろう。

つまり、個別の事象については、とりたてて奇特な確率で起こり始めたとは言えない。それぞれの相関関係は薄いから、それぞれがポアソン分布的に起こるとしたら、たまたま同じ時期に集中することはおかしくない。逆にきっちり17日おきにトラブルが発生するとかの方がむしろ恐い。

加えて、この3日間というのが、正月休み明けの3連休であることにも意味はある。

窃盗がクソ厨房の犯罪だとすれば、冬休みの火遊びの勢いが残ってる(管内で正月に同型車がやられている)と言えるし、転倒の原因である山道というのも連休だからこそ行ったのだし、事故についても、相手方も正月気分の最後の日で何か立て込んでて焦りがあったかも知れない。俺自身も、これでお屠蘇気分もおわりだと思ったからいつもより早く買い物に行き、結果、道路が買い物客で溢れる宵の口という、いつもよりはリスクの高い時間に動いたのだ。


そう考えていくと、確かに結果はすごい連続技になっているが、まあ、嫌だけどこのくらいのことはあるか、とも思えなくもない。もっと注意力をあげるようにしなければいけないが…。

それに、こう立て続けに起こるのも、必ずしも悪い事ばかりでもない気がして来た。

いや、起こってしまったことは仕方ないとした上で考えればだが…

そもそも、窃盗は事故と関係ないから、事故に遭わなくても起こっただろう。目を付けられていたなら尚更だ。これが単純に窃盗なら、単純に無くなって終わりだった。
だが、事故がその前だったから、いくらかでも補償されるのだ。もちろん、逆に先に盗まれていれば事故で痛い目に遭わなくて済んだとも言える。死ぬ目に遭うくらいなら先に盗んでもらった方がありがたいけど、結果的には打撲程度で済んでいるしな…。
もう一回やれと言われたら全力で断るが、そう捉えてみれば、何やらこの痛みにも価値を見出すことは出来るのではないか。見出せ。



そして、いまこうして、一瞬奇異に思える出来事から、自分の過去に注意を向けたことにも価値はある。

つまりやはり、2、3年に一度の事故は多過ぎるし、年に2、3度の転倒も多過ぎる。

仮にこんなペースで事故に遭い続けていれば、可愛い愛娘と、娘に付いて来る妻を同乗させて事故を起こしてしまう可能性は、低いとは言えない。俺は自分だけでなくて家族もいろいろなところに連れて行ってやりたいと思うが、事故には遭わせたくない。怪我をしたりさせるのは論外だし、怪我がなくても、事故現場の虚しい気分を娘に味わわせたくない。俺が一人で怪我をして働けなくなるのも困る。

子どもが出来て丸くなった、なんて揶揄されようが、俺は、反省しなければならないのだろう。
もし妻子に何かあれば、貰い事故だとか、過失がない筈だとか、補償がたくさん出るとか、そんなことを言ったって何の慰みにもならない。

神懸かり的な出来事だ、と言ったが俺は神だの運だ霊だの厄だの障りだの、そういうものは一切信じてはいない。文化としてはある部分まで受け入れるが、「超自然」のような意味では一切。

それでももし”神懸かり的”と捉えようとするならば、これは優しい戒めだと理解すべきだろう。活かすことが出来れば、少しの、一時の痛みと引き換えに、将来の災厄を避けることが出来るはずだから。

…出来ればあと少しお手柔らかに願いたいところだったが…。

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