2010年1月14日木曜日

神懸かり的三連コンボ(β)

実は、この事故—盗難事件は、それだけではない。

なんと、事故の前日には山道で初の転倒も喫しているのだ。

つまり、新車で買ったバイク、ちょうど一ヶ月点検を挟んだわずか3日のうちに、
  1. 転倒し (バイク屋も気づかないほどだったが、左足は打撲しずる剥けた)
  2. 翌日に事故に遭い(被害者。右真横に突っ込まれ、両手と右足と顔面を打撲、創傷)
  3. その翌日深夜には盗まれた (まだ事故の見積もりも取れてねえのに)
というわけだ。

普通、あるか?

最近は原付しか無かったとは言え、俺も長い事バイクに乗っており、それなりにトラブルにも遭った。しかしだよ。こんな奇跡的な悪夢のジェットストリームアタックには遭ったことがない。この、本来は単独でもレアなそれぞれのトラブルは独立して発生しているのだ。それが見事に連続だ。神懸かってる。

思えば、俺の人生はツキがない。いつもそう思っていた。

かつてやっていた競技の、最後の大事な試合の直前には食中毒になった。体重も筋肉も落ちてベストどころか大会出場基準の記録さえ出せなかった。
受験の直前にはインフルエンザに罹った。マスクをして38度以上の熱に茹だりながら受けた試験は当然落ちた。
初めて買った大型バイクは多額の借金を残し2週間で大破した。
ツーリングでフェリーに乗れば台風で接岸できず。別の時には行く先々で大雨が降って(災害史に残るヤツだ)俺自身も体調を崩した。そういや高校の修学旅行も記録的台風だったか。宿の窓が割れたり、建物自体が崩落したりしたなあ。あ、小学校も中学校も雨だった気がする。

まあこんなのはまだ気楽な笑い話に出来るネタで、実際の所は他にも、重過ぎてここに書く気にはなれないあれやこれや。

いつもいつも、これからと言うとき、何か良い事がありそうだと思う時、どこからともかく不幸が忍び寄って来る気がする。

善かれと思った選択はいつも間違いで、運を願って叶うことはない。

もうずっと前からそう思っていて、だからこそ、俺は物事を理詰めで考える。運なんてものはない。何か思い通りにならないなら、それは己の実力不足だと。運なんてない、無いものに頼らない、無いものを恨まない。

だけど、こりゃあいくらなんでもな。

ちょっと、無いんじゃないかなと。

偶然というには、酷いんじゃないの?俺が何をしたって言うのさ?

ま、初日の転倒は不注意だったよ。

でも、二日目の事故はさ。見てたんだよちゃんと。俺は優先側に…標識もそうだし、左でもあるし、直進でもあるし、どう考えても優先側の道路にいて、それでも注意して見て、アクセルも緩めたのさ。そして相手が止まったから進んだ。そしたら真横だよ。俺は悪くないだろ?優先でもなんでも交差点だから徐行しろって、十分注意してれば何だって避けられるって、そこまで求めるのか?そこまでしなかったからってこんな痛い目見ないといけないのか?
おまけに窃盗か。
事故現場に放置とかじゃないんだぜ。ちゃんとウチまで持って帰って、鍵も掛けたんだ。それなのにだよ。壊れた証拠がないから、下手すりゃ物損補償は何も出ないぜ?貰い事故で受け取るべき補償がなくなって、直すべき車両も無くなってって、辻褄合ってると言えば合ってるが、何かおかしくないか?なんで不条理のしわ寄せが全部俺に来る?

絶望したい。どうせこんなことの繰り返しなら、何をやったって最後は裏目に出ておしまいだ。神がいるなら、そいつはよっぽど俺の愕然とする顔が好きなのだろう。特別待遇だというならば有り難き幸せだ。反吐が出る。

バイクだけの話じゃないんだ。人生そのものがそうなんだ。ずっと前からそうで、誰のせいでもない。自分はそう言うものなんだ。

やってられない。

0 件のコメント:

コメントを投稿