カブはもし発見されてももう乗る気はない。
なんつうか、さすがに縁起悪い(心霊は信じないが縁起は担ぐことはある。理由はあるが面倒なので説明しない)し、曲がりなりにも命を預けて乗るもので、バカにいじくられた車両など気持ち悪くて乗れない。
…すべて点検し直せばいいかも知れんが、んなことやってりゃ損がかさむばかりだし。
ということで、次に何を買うかを何となく検討している。
せっかくなので今度はスクータータイプにしようと思う。
同じホンダならリードだが、トランクが浅いという噂が気になる。
ならば快速の呼び声高いアドレスV125か。でもそうするとまた店を変えないといけないなあ。ホンダドリーム店はなかなか良さそうだったのに。
エイプ100にボックス装着?意外とアリかも知れない。GIVIボックスは使い勝手良かったし、ギヤはやっぱりロータリーよりリターンだ。市街地で多くなる低速での取り回しではクラッチもあった方がいいなと、カブに乗ってて思ったし。
とは言え、エイプはちょっと高いか…。
ああ、それに大型ウィンドスクリーンの効果は絶大だったから…やっぱりスクーターかな。
それともいっそMTB?たぶん、駅まで原付で15分のところがせいぜい20分強になるだけで、時間の差は意外と小さく、健康上も良いならば…でも、夏は汗掻いて電車乗るの気持ち悪いな。
…なんていろいろ考えていたら、そんで予算はどの程度組めるかなと気になり、一応、目処を付けたくて事故の慰謝料について検索してみた。
俺が探していた情報は、要は全治二週間で普通どの程度になるか、一般的な算出による例が知りたかっただけだ。確か1日数千円程度だった気がするが…と。
ところが、検索すると出て来る出て来る、
「保険屋を徹底的にしゃぶってやりましょう!」
「むちうちで数千万円を手にする方法!」
「早めに首が痛いと言っておけばいい」
「示談交渉の勝ち組になる方法!」
…。
何だ。
何なんだこのカスどもは。
交通事故というのは不幸だ。確かに。被害者はつらい。それはわかる。現に俺も今被害者だ。愉快な気分とはほど遠い。
しかし、何か違わないか?
被害者ならば何を言ってもいいというものでもないだろう。
自分に過失がないのに怪我させられたんだから、嘘でも強弁でも金を取り立てていいと、そういう理屈はないだろう?
それは、言うなれば、先に1発殴られたら仕返しは死ぬまで殴ってもいいんだ、とそう言う理屈じゃないか?
もちろん、飲酒ひき逃げで大事な家族を失うような、冷静でなどいられないケースもあるだろうが、上記のようなものは、およそそんな話じゃない。
そういうバカがいるから逆に保険会社も被害者を疑いの目で見るんだろ。お陰で善良なる(普通の)被害者が時に受けるべき補償を受け損ねるんだ。
まあ、こういう話は保険に限らないか。
貧困ビジネスも話題になっているし、最近頻繁に郵便受けにチラシが入ってる、借金の過払い取り戻しビジネスも然り。
被害者だなんて言ってる連中はいつの間にか加害者になっても平気でいる。苦しいから、怒っているから、相手が悪人だから何をしてもいいなんてはずはないのに。
小学校の先生なんかはよく、「いじめられたことのある子は他人をいじめない」とか抜かす(抜かしていた)が、そんなのは嘘だ。いじめられっ子というのはチャンスが来れば復讐に走るし、下手すれば復讐先は八つ当たりになる、というのがむしろ現実だ。そんなことは小学生でもわかってる。
目に目を、歯に歯を、という血腥いフレーズで有名なハムラビ法典は実は平和的だ、なぜなら…受けた被害までの報復しか認めないからだと、大学の哲学の授業で習った。それはもっともだし、現代において、確かに憲法や法律はそれ以上に進んだ。
しかし、少なからぬ人間の心は未だに古代バビロニア以前から一歩も進んじゃいない。
なぜ人間はこうも進歩しないのか。自分さえ良ければいい、という単純な罪から、なぜいつまで経っても抜け出せない?
交通事故や盗難は痛かったり金や物が無くなったりするのも嫌だが、実は、その対処の中で、結局こういう絶望的な事実をしばしば突きつけられるのが…それが一番堪える。
まあ…まずはとりあえず、1日も早くむちうち症の客観的・合理的かつ明確な診断が出来るようになるといいのだが。
保険金の未払いという不祥事があって、保険会社も要求額の削減を求めることが簡単にはできない、という状況がある。だから、被害者の言われるがままに保険金を支払うとい構図がなくはない。でも、商品内容を改定して不当な要求に対処する工夫もしている(例えばケガの部位や症状によって定額払いとする等→むち打ちならいくら、腕の骨折ならいくらとか)。
返信削除少し冷静になられましたね。友達も事故の後、原因不明の後遺症に悩まされています。ジョンさんもお大事に。
返信削除不幸なんてこの世には、あり余っていますよね。それが、業なのでしょう。難儀な生き物ですね。この教訓が妻子のしあわせにつながります。